4月16日。土曜日。晴れ。
今日は、
大好きなNHK大河ドラマ
現在放映中の『鎌倉殿の13人』、
ゆかりの道の散策です。
目指すは・・・
源平合戦の時、
源義経が
鎌倉から出て神戸の途中で一気に降った
『丹生山』からの下り道の『義経道』
『丹生山』
『丹生神社』の鳥居の先に見える『丹生山』
丹生山系が連なる中の『515mの低山』
丹生山から一気に山里まで下る道が『義経道』
その道は細く
『源平合戦』に向かう義経の騎馬隊の大軍がどのように降ったのか?
謎の一つです。
『鎌倉殿の13人』の脚本家・三谷幸喜氏が
『義経道』をどのように脚本するのか楽しみで楽しみで・・・
『本番』を観る前に、
自分の足で歩いてみてこなくてはと、今日の散策になった次第です。
朝9時半。
箕谷駅出発。
まずは、
『丹生山田の里文化財』巡りです。
『新兵衛石』
そこは、
晴天の青空の下、
北側に丹生山系が連なる、美しい 田園地帯でした。
徳川10代将軍家治の時代(1770年頃)
このあたりの領主・下総古河藩主土井炊頭が、領内巡見のついでに福地に立ち寄った。
そのとき、この石の陰から庄屋の子・村上新兵衛が突然飛び出して、
年貢の軽減を訴えた。
村の田畑は、日照りの害が多いのにもかかわらず租税が高く、
かねてから代官に訴えて続けていたがその効果がなかった。
直訴は大罪である。
15歳の若年の親兵衛は捕らえられ、尋問され、その言い分を訴えた。
大炊頭は、少年の勇気を賞して、罪を問うことなく許した上、
年貢の軽減も聞きとどけた。
村人の喜びの記念として、ここにこの石を据え、後世に残したのです。
正義の領主・土井炊頭
そして 正義の15歳青年
二人の話が250年続いて、
記念の『石』が語り継がれる。
美しい里山の美しい話です。
続けて・・・
『六條八幡宮』
『三十塔』は国指定重要文化財
旧山田13ヶ村の『氏神六條八幡』
丹生山系の山すその農道あたりは自然がいっぱい残っている。
※平清盛の明要寺の月参り。
※源平の戦いに深い関わりを持つ地。
古くから大坂への交通の要路であり、文化の流入に恵まれ
※古跡や文化財を多く残した地。
美しいながらも、
陽を遮るものがない中で
フウフウと
2時間歩く。
11時半。
一休憩・・・ 『昼食』
イカナゴ巻き寿司(いかなごも巻きずしも手作り)。 果物とデザート。 生ビール。
今日は『KIS会』の月例会。三人の登山会を楽しむ。
今日の登山会は平坦な里山歩きで、いつもの険しい登山とは少し勝手が違います。
これでは登山の満足感がないかもと・・・
『丹生山』登山は来月の月例会に残すことにしまして、
昼食後・・・ 『藍那古道』約4,6km
予定を変更して、『険しい山歩き』をすることにしました。
険しいこの道は、
※義経軍勢も歩いたはずです。
道途中で・・・
イノシシの大群が出たのでしょうか、
ふもとにある小学校の生徒を襲っては大変ということでしょうか、
※神戸市の『猟銃隊』のおおぜいの人たちに出会いました。
やはり、険しい山々!
こうこなくちゃ、私たちの『登山会』が始まらない。
今日も、”山がそこにあるから登る!”
大満足の登山会でした。
23838歩 14,5km
感謝!感謝!
そして。
今日は4月16日。復活の主日。
『復活の主日・復活の聖なる徹夜祭』
『主の徹夜祭 祭壇』
『光の祭儀』
『御子を世の光として私たちに与えた神よ、
『新しい光』 を祝福してください。
『2022年 復活のロウソク』
この過越の祭りによってわたしたちが新しい希望に燃え、
清い心での永遠の光を受けることができますように。』
『使徒書の朗読』
『皆さん、あなたがたは知らないのですか。
キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、
またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、
その死にあずかるものとなりました。
それは、
キリストが御父の栄光によって
死者の中から復活させられたように、
『復活されたイエス』
わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
もし、
わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、
その復活の姿にもあやかれるでしょう。
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、
罪に支配された体が滅ぼされ、
もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
死んだ者は、罪から解放されています。
わたしたちは、
キリストと共に死んだのなら、
キリストと共に生きることにもなると信じます。
そして、
死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、
と知っています。
死は、もはやキリストを支配しません。
キリストが死なれたのは、
ただ一度罪に対して死なれたのであり、
生きておられるのは、
神に対して生きておられるのです。
このように、
あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、
キリスト・イエスに結ばれて、
神に対して生きているのだと考えなさい。」』
ローマの教会への手紙 6章3-11節
使徒パウロは、
洗礼によってキリストと強く結ばれた者は、
洗礼によってキリストとともに死に、葬られ、
ともに『新しい命』に生まれる。
と、述べます。
洗礼は、
イエス・キリストが死に、葬られ、墓から立ち上がること、
を象徴的に表しているのです。
キリスト者は、
信仰によって心からキリストと結ばれ、
洗礼を受けることによって、
💗キリストと共に復活し、『新しい命』を与えられ、
💗キリストを頭とする『新しい人類』に属する者となり、
💗『復活のキリスト』を身に着けるのです。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『週の初めの日の明け方早く、
婦人たちは、準備しておいた香料を持って墓に行った。
見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
そのため途方に暮れていると、
輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
あの方は、ここにはおられない。
復活なさったのだ。
まだガリラヤにおられたころ、
お話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、
三日目に復活することになっている、
と言われたではないか。」
そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
そして、
墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
それは、
マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、
そして一緒にいた他の婦人たちであった。
婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
使徒たちは、
この話がたわ言のように思われたので、
婦人たちを信じなかった。
しかし、
ペトロは立ち上がって墓へ走り、
身をかがめて中をのぞくと、
亜麻布しかなかったので、
この出来事に驚きながら家に帰った。』
ルカによる福音書 24章1-12節
死んで葬られたイエス様は、復活なさいました。
復活なさったイエス様は、
人の目には見えなくても、
共同体の中に共にいて、
力強く働いておいでなのです。
使徒パウロは語ります。
『死者の復活もこれと同じです。
蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、
蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、
蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。』
コリントの信徒への手紙 15章42&43節
私たちの今のこの体は、朽ちるもの、卑しいもの、弱いものです。
しかし、
復活において与えられる体は、
朽ちないもの、輝かしいもの、力強いものなのです。
『自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです』15章44節
私たちのこの世での体は「自然の命の体」であり、
復活の体は「霊の体」なのです。
私たちは、世の終わり、キリストの再臨の時に、霊の体へと復活するのです。
弟子たちは、
婦人たちからイエスが生きていることを聞いても、
信じなかったのです。
弟子たちにとって、
復活を信じることは、
簡単なことではなったのです。
私たちも、
信仰は簡単にできるものではありません。
しかし、神は今もいつでも、人の心の中で働いて、
信仰を勧めてくださっています。
そして、信仰を生きている人を見て、又 神の働きを見て、
キリストに出会う人がいるのです。
キリスト者として、
毎日キリストに出会い、キリストを証してまいりましょう。
祈りましょう。
『今日の奉納祈願』
『いつくしみ深い父よ、
あなたの民の祈りを聞き、
過越の神秘によって始められた救いのわざをわたしたちのうちに完成させ、
永遠の喜びに導いてください。』
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
キリストの復活の時期は、新緑の候でもあります。
美しい新緑で心癒され、穏やかな日々をお過ごしください。 お元気で!
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