マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『栄華の極み』・・・織田信長とソロモンの検証・・・『知恵者』

2014-06-22 21:34:42 | 大河ドラマ。テレビ。ラジオ。新聞。映画。
日曜日。大好きな NHK大河ドラマ:『軍師官兵衛』 の日。
本日6月22日。日曜日。
  『栄華の極み ~ 絶頂の信長に迫る破滅の時』
        いよいよ…織田信長の人生のクライマックスです。期待に胸躍ります

期待を裏切りませんでした。
感動。 歴史の時代を変えていく人々を数々思い出し、胸いっぱいになりました
        今日のブログ…そんな思い出した数々。綴ってみます。各人の検証です。 よろしくお願いいたします

             『栄華に極み』 の言葉で思い浮かべる 『二人』

      『織田信長』                        『ソロモン』
  
ジョバンニ・ニッコロ 作品。                     ネット上で見つけた作品。   回心後のソロモン?
    イタリア人の画家。宣教師。      『二人』の、以外にも、穏やかな顔。 大好きです                 

            『我が世の春を謳歌した』 織田信長 と ソロモン

『二人』の検証です。

まずは・・・     『織田信長』。  どんな人?

『誕生』
1534年(480年前) ~ 1582年(48歳)        
尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。
  ・・・三英傑(信長。秀吉。家康。)。 共に尾張国出身なのが興味深いですよね
          三人の心を掻き立てる『基盤』が、尾張国にある。 ということでしょうか

『革命児』:                             
日本社会を、中世から近世へと大転換 させた。
室町幕府を事実上滅亡させ、畿内を中心に、強力な中央政権(織田政権)を確立。     
革新的な治世者として、崇敬の的となる。         

『孤高のカリスマ』:         
苛烈な破壊者として、恐怖の対象となる。 本当に、破壊者と言い切れるのでしょうか
  今日の大河ドラマのナレーションの言葉
孤高の信長の心の理解者は、秀吉と軍師官兵衛、この二人だけでした。」 と。
   ・・・確かに! 何事の先駆者も、人の理解を得にくいですよね。 孤高の人。苦労の塊。 だからこそ…魅力たっぷり

『最後』
天正10年6月2日(1582年6月21日)。非常の死を遂げる。
天下統一『天下布武』目前にして・・・
重臣明智光秀に反旗を許し、本能寺で、「跡形を遺す事のないように」と命じ、自害した。
   ・・・言葉を失う私です。 歴史の壮絶な事実を前にして、私は何を語れるのか

次に・・・   『ソロモン』。  どんな人?

『誕生』
紀元前1011年頃 (3025年前) ~ 紀元前931年頃(80歳)
イスラエル全土の初代王:ダビデ王 と バト・シェバ が両親。 

『古代イスラエルの第3代の王』
ダビデの跡を継ぎ、前961年頃(今から3000年程前)、イスラエル統一王国の三代目の王 となりました。
エジプト王・ファラオの娘を降嫁されることで、安全保障を確立し、
古代イスラエルの最盛期 を築きました。

『知者ソロモン』

『主は、ギブオンでソロモンの夢枕に立ち、
「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
ソロモンは答えた。
「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。
しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、
その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、
この僕に聞き分ける心をお与えください。

そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くこと
が、誰にできましょう。」
主はソロモンのこの願いをお喜びになった。』
                       列王記上 3章4~9節

『神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。
ソロモンの知恵は東方のどの人の知恵にも、エジプトのいかなる知恵にもまさった。』
                       列王記上 5章9&14節


ソロモンは
神に与えられた『知恵』によって、
父ダビデと同じように、『神への信仰』 を 『治世の土台』に据えました。
優れた裁判を行ない、様々な政策によって、国を繁栄させていきました。

        『平和と繁栄を謳歌しました』

『平和と繁栄』
神は、ソロモンの治めるイスラエルを、大いに繁栄させた。
サウル(1代目)やダビデ(2代目)の時代は、周辺の民族との戦いに、明け暮れていました。
そして・・・
3代目のソロモンの時代には、対外的な戦争は起こりませんでした。
船を使った貿易によって、国は大いに富み、『イスラエルの黄金時代』 が到来します。
『第一神殿』
ダビデの後を継いだソロモンは、在位4年目、『父ダビデの夢』=『神を礼拝するための神殿建設』 に着手しました。

    ソロモンのイスラエル第三代目王としての在位は、40年間の長きに渡りました。
    紀元前971年:ソロモン40歳 ~ 紀元前931年:ソロモン80歳の死去の時まで。
     ソロモンの40年間の治世は、イスラエル王国を堅固なものとしました。
      

        『神と富とに仕えたソロモン』

ソロモンのスタートは『順調』でしたが、
与えられた繁栄の中で・・・
         次第に神への信仰を失っていきます。

    『だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富に仕えることはできない。
                      マタイ福音書 6章24節

その結果は・・・

ソロモンは、豪華絢爛な王宮を建て、世界の様々な財宝を買い集めました。
そのために、イスラエルの民衆は、重労働や重税にあえぎ、次第に不満を蓄積していきます。

ソロモンは、エジプト王の娘を后として迎えました。
これは政略結婚でした。しかし、その後も次々と外国の女性を妻として迎えていきます。
そして、
『彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。』
                                列王記上 11章3節
ソロモンは、偶像礼拝に迷います。
外国人の妻たちが持ち込んだ異教の神々を、ソロモンも礼拝し始めたのです。


『晩年のソロモン』
神から、ソロモンの心が離れてしまいました。  

誰が、ソロモンを裁くことが出来ましょうか 出来ません。

     『兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。
  兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。
もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。
 この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。』
                                    ヤコブの手紙 4章11&12節


『最後のソロモン=ソロモンの悔い改め』
背信者ソロモンでしたが、繁栄がもたらす快楽は、ソロモンを満足させることはありませんでした。
むしろ、彼の心は、むなしさで満たされてしまいました。

  『かってエルサレムに住んだ者のだれにもまさって
わたしは大いなるものとなり、栄えたが なお、知恵はまだわたしのもとにとどまっていた。
わたしは顧みた。 この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。
見よ、どれも空しく、風を追うようなことであった。
太陽の下に、益となるものは何もない。』
                  コヘレトの手紙(ソロモンが著者。別名:伝道の書。)1章9&11節

      神に背を向け、世俗的な方法で幸せになろう としたソロモン。
  その結果は・・・彼の心をむなしさが満たしました。そして、ソロモンは、ついに正気に戻ります。
   『神抜きの人生のむなしさ』をソロモンは歌い上げ・・・『コヘレトの手紙』となりました。

     更に・・・
  ソロモンは歌い上げます。

   『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
       苦しみの日々が来ないうちに。
  「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。』
                                  コヘレトの手紙 12章1&2節

   ソロモンこそ・・・
父親ダビデ同様に、『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ』、小さいころから信仰に生きる人でした。
父親ダビデ同様に、青春の日々に神の許しを心に留めていたので、神への背信を繰り返しても、回心して、神に立ち返るのです。


『ソロモン後のイスラエル』
神は、心が離れてしまったソロモンについて怒られましたが、父ダビデに免じて、彼の存命中は裁きを下されませんでした。
しかし・・・
ソロモンの後を継いだレハブアムのときに、その結果が現れます。

ソロモンが課した重税にあえいだ民衆は、レハブアムが王になったとき、税を軽くしてくれるように願いました。
しかし、晩年のソロモンの影響をすっかり受けていたレハブアムは、民の言葉を聴くことなく、さらに税を重くすると言いました。

       これに怒った北の十部族は、
  レハブアムに背き、イスラエル国が『南北に分裂』してしまいました。
        こうして、
 平和と繁栄を謳歌し、周辺諸国から一目置かれていたイスラエルは、急速に弱体化してしまいます。


それでも・・・
神の計画通りに   
    悔い改めたソロモンの系図は、キリストの誕生へ とつながります

           ダビデからソロモンへ。そして キリストへと。

    『アブラハムの子ダビデの子、イエスキリストの系図。
  全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンの移住まで十四代、
      バビロンに移されてからキリストまで十四代である。』
                                マタイ福音書 1章1&17節
    『神は約束に従って、
   このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。』
                                使途言行録 13章23節

   アブラハムの誕生は・・・
  文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウル(現在のイラク南部)において裕福な遊牧民の家に誕生。
      紀元前2000~1900年頃の誕生。
    とすれば・・・
  アブラハム誕生~キリスト誕生まで。 42代。 2000年の歴史が続きました。


最後は・・・     『二人:信長とソロモン』と『キリスト』の共通点と相違点

神の一人子キリスト。
『過ぎ越しの祭』=モーゼが天の軍勢と共にエジプト脱出&自由の獲得。を神に感謝する祭=のために、ロバ二乗ってエルサレム神殿に乗り込んだ。
この時こそ・・
ユダヤ人が、ローマの圧制に反乱を起こす、絶好の機会でした。
同時に
ローマ軍には、日々その信奉者が増大するイエスキリスト を倒す、絶好の機会でした。
結果は・・・
   イエスの十字架上での処刑。

    『ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。
それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。』 
                            ヨハネ福音書 9章19節

『キリストの最後』
旧約聖書の預言を完成するために、神にこの世に派遣されて来たイエス。
最後の晩餐で・・・
弟子ユダの反旗を許し、ゲッセマニで十字架上で処刑されます。 非常の死を遂げます。


織田信長に頭を切り替えると・・・

自らを神とした織田信長。

無神論者のように思われている信長は、桶狭間の戦いを前に、織田家の氏神と同じスサノオ神の熱田神宮に、戦勝祈願を行います。
その当時。 一向一揆の一向宗、武田信玄、上杉謙信、僧兵の居る比叡山などが、信長の天下統一の大きな障害となっていた。
意気盛んな一向宗。 本願寺に君臨する生き仏の顕如法王は、法然も親鸞も説かなかった『新法』を説いた。
    『宗門のために戦うことを拒んで破門された門徒は、極楽浄土に往生することはできない』 と教えた。
そこで・・・
    信長は、比叡山を、一気に、焼き落とした。

今日の『軍師官兵衛』。
      『栄華の極み ~ 絶頂の信長に迫る破滅の時』
   いよいよ…織田信長の人生のクライマックス。 大河ドラマはどう表現するのか  興味津々


朝廷は、日々強大になってゆく信長に次々に官位を与え、『本能寺の変』の一ヶ月前には、征夷大将軍の座をちらつかせます。
しかし、信長は、既成の権威に関心を示さなかった。

このような沢山の人たちの心の葛藤で・・・

朝廷が、信長の脅威から、暗殺を謀ったのか
明智光秀が、突然、単独で行ったのか
明智光秀は、信長と朝廷との連絡役を務めていたので、朝廷の命令に従って、信長を暗殺したのか

『織田信長の最後』
天下統一:『天下布武』目前にして・・・
天正10年6月2日(1582年6月21日)。
重臣明智光秀に反旗を許し、本能寺で自害した。 非常の死を遂げます。


     織田信長もイエスキリストも
 弱きものを助ける社会設立の『社会変革』のために、自ら命を捧げたのです。
     自分の弟子や重臣の反旗のために、非常の死を遂げたのです。

以上。
今日の日曜日の『軍師官兵衛』を見ながら考えていたことです。 
  何が・・・
信長や官兵衛やソロモンやキリストの心を支えていたのでしょうね 彼らの尋常でない働きを支えたのでしょうね
  私たちも、先人達の『何』を学ぶ時…『本物の人生』 を送ることが出来るはずです!
                               
        長々とお粗末様でございました

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。 今日のブログ・・・昨夜書きかけのまま眠ってしまいました。 ごめんなさい!
今週もまた素敵な週でありますように! お元気で!

『明日の心配』が心をとらえたときには、神を信頼することから始めてみるのもいいですよ! な~んてね!

    『野の花は、働きもせず、つむぎもしない、しかし、言っておく。
  栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。』
                             マタイ福音書 6章29節   

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4 コメント

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Unknown (軟弱のリュウ)
2014-06-23 21:10:19
信長の安土城が現存していれば、、、
① 県庁所在地はもちろん安土で観光客ワンサカ。
② 世界遺産に登録間違いなしだった。
③ 彦根城は築城されなかったかも。  
④ 琵琶湖以外に自慢できた(笑)

安土城の防御は堅固では無かったけど、それだけ
攻められることはあまり想定してなかったかも知れないし、天下人の象徴として築城したんでしょーね。
焼失したことは県民としてまことにザンネンです。

  
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ソロモンと信長 (ara60kame)
2014-06-23 22:06:03
大変興味深く読ませて頂きました。
コヘレトの書、大好きです。若い頃に聖書の言葉と知らずに読み暗唱した箇所があります。
軍師官兵衛は確かクリスチャンでしたよね。
自らを神とした信長と、神であったキリスト、キリストを信じた官兵衛、面白いですね。
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安土城 ( マリア)
2014-06-25 15:05:28
現存していれば・・・
①県庁所在地はモチノロンで安土です。はい。
②世界遺産登録間違いなし。 織田信長本人も世界遺産登録間違いなし
③歴史が変わっていたかも。 彦根城も築城されなかった。 織田信長自身による天下統一『天下布武』を見てみたかった。
④滋賀県は歴史いっぱいで魅力いっぱい。何十回お邪魔していることでしょう。ご当地でレンタル自転車を借りてぐるぐると。 その地に立つと…ああ。私も歴史の人物と同じ地に立っている!! と大感動です。

安土城郭内に建てた総見寺。信長の生き様の総結集と思えて、信長びいきの私です。
それにしても、消失したことは日本人としてまことにザンネンです。

コメントありがとう。感謝です。眼を気遣ってお返事が遅くなりました。眼は心配なしです。又よろしくね。
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ありがとう! (マリア)
2014-06-25 17:12:57
コヘレトの書は、ユダヤ人の、人間の知恵では理解できぬ、境遇の不思議に対しての、神からの答ともいわれますよね。 栄華を極めたソロモン王の治世のイスラエルの40年の年月の後には・・・何もかもを失うバビロンの捕囚となるイスラエルの民の歴史が始まる。 コヘレトはユダヤ民族。 友人は神。 神の絶対性と全能性が現らわされているとか・・・。 人の人生にも重なる面もありますよね。
ユダヤ人の神に養われた強靭な精神が・・・官兵衛に、Kameさんに、私にとつながることを可能にしてくれたのですね。 面白い。感謝ですね。

来週はトライアスロンですね。 頑張って下さい! 応援しています。 なお一層格好良くなさって、ベストドレッサー賞も狙ってくださいね。 私は自転車を運んでくれる人がいなくて…参加不可です(涙) 代わりに?夏山登山の最終練習登山です。

コメントありがとう。感謝です。眼を気遣ってお返事が遅くなりました。眼は心配なしです。又よろしくね。
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