マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

道をそれて・・・『原風景』 そして 『聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者 記念日』・・・『一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。』

2020-11-24 06:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
11月24日。火曜日。晴れ。

コロナ禍のため家に引きこもる毎日。
早朝は引きこもり脱出です。

    今日のウォーキングは・・・    『田園地帯』
  
               里山風景。 原風景。       美しい♡♡

        今朝は、住まいから、いつもの街中方向でなく、 『道をそれて・・・』 出エジプト記3章3節参照
     モーセが神に出会ったように、『道をそれて、不思議な光景』 を探しに出てみました。
               そこは、心洗われる『原風景』でした。
            穏やかな人々に守られ続けている『里山風景』でした。


          今日は、 聖霊に導くままに、 道をそれてみました。
             そこは,人の作った人工的美しさの発見の場所ではなく、 
         『わたしはある』という御方『神』 に出会う場所でした。
                        感謝!感謝!


そして。

今日は11月24日。年間第三十四火曜日。

      『聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者 記念日』
 

1625年~1886年。 241年の間に、ベトナムで、117人が殉教しました。          
         そのうち96人が、ベトナム人の司祭、カテキスタ、第3会員。
     その他外国人の21人は、ドミニコ会やパリ・ミッション会の、司教、司祭だった。

1838年。 スペイン人のドミニコ会士、イグナチオ・デルカド司教、ドミニコ・エナレス司教は
           50年間ベトナムで働き、逮捕された。
        監禁された後、飢えと渇きに苦しみ、斬首された。

1839年。 アンデレ・ジュン・ラク司祭は、捕らえられ、激しい拷問を受け、斬首された。44歳。
       ラク司祭は、ベトナム北部のバックニン省の異教徒の貧しい家庭で1739年に生まれる。
       12歳の時に家族とともに移り住んだハノイ市で、カテキスタと出会い、信仰教育を受けた。
       28歳で司祭に叙階された後、国内各地で、多くの人に洗礼を授け、信徒を励まし、司牧した。
       44歳の時、斬首刑に処せられて殉教した。

1847年。 17人殉教。 17人のなかには9歳の子どももいた。

1988年。 117人全員が列聖されました。
                       『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

  『諸国民の父である神よ、 ベトナムの百十七殉教者は、
自らの血によって御子の十字架に最後まで従う信仰を証ししました。
    殉教者の取り次ぎを祈る私たちも愛を隣人に伝え、
     神の子どもとして成長できますように。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、
イエスは言われた。
       「あなたがたはこれらの物に見とれているが、
  一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」


そこで、彼らはイエスに尋ねた。
      「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。
    また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」

イエスは言われた。
        「惑わされないように気をつけなさい。
 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、
          ついて行ってはならない。
      戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。
 こういうことがまず起こるに決まっているが、
        世の終わりはすぐには来ないからである。」

そして更に、言われた。
       「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」』
               ルカ福音書 21章5-11節


      イエスは、『神殿の崩壊』 の到来について預言されました。
  それは、『新しい信仰』、『新しい時代』、の始まりの預言でもあったのです。

   当時のユダヤ人にとって、
        『神殿』は、 神が共におられる、『しるし』でした。
     神殿は、 神の言葉を聞き、神への祈りと捧げ物をする、『場所』でした。
      『神殿の崩壊』は、『世の終わり』のような悲しいことでした。


  イエスは、『そのことはいつ起こるのですか?』 との質問には答えませんでした。
    実際に、
 西暦70年。 ローマ軍団によって、エルサレムの大部分と第二神殿、が破壊されました。


      神殿の崩壊によって、『世の終わり』 は来ませんでした。
  『神の現存』の『しるし』であった神殿はなくなっても、『神の現存』は続きました。


      『神殿の崩壊』は、『新しい時代』 の始まりとなったのです。
   『神の神殿は聖なるものです。あなたがたはその神殿なのです。』コリントⅠ 3章10ー23節
     神を信じる者一人ひとりが、神の霊が住む、聖なる『神の神殿』 となったのです。

     以前は、人々は、神殿の中で、『神への供えもの』を捧げていました。
      しかし。
 『新しい時代』は、私たちは、『自分の心』、『毎日の生活』、を神に捧げるのです。


   『あなた方の体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
    あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
       代価を払って買い取られたのです。
     だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい。』

       コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章19&20節


      現代の社会でも、地震、飢餓、疫病、コロナ禍、と起こります。
        それらは、『世の終わりのしるし』ではなく、
       この世はまだ、不完全で、未完成である、『しるし』 です。
    そんな時も、いつも、神は、私たちと一緒におられ、助けてくださいます。
          

私たちは、
世に起こる数々の災いに対して、人間の弱さを感じながら、
その時にこそ、
神につぶやくのではなく
神に助けを願いたいものです。
私たちは絶えず祈りながら、
祈りの香のただよう神の神殿でありたいものですね。


『今日の祈願』

    『いのちの源である神よ、殉教者の信仰を記念し、
    あなたの愛のうちに一つに結ばれたわたしたちが、
  永遠の喜びに入るまで、力強く歩み続けることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も思い切って散歩をして、STAY HOMEを乗りきりましょう。 お元気で!

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