11月23日。月曜日。勤労感謝の日。晴れ。
今日は
一日中我が家に『長崎の鐘』が流れます。
『なぐさめ、はげまし、長崎の、ああ、長崎の鐘が鳴る』
『長崎の鐘(浦上天主堂のアンジェラスの鐘)』
『被爆75周年に寄せて』
『戦争、とくに原爆ほどむごいものはありません。
ありとあらゆるいのちを消滅させ、壊し、傷つけ、人々が貧しい中から数十年かけて築き上げ、
心のよりどころとして何よりも大切にしていた美しい祈りの家を一瞬のうちにがれきと変え、
強い信仰心を砕きました。
このような悪のわざを人間はどんなことがあっても二度と繰り返してはなりません。
世界中の人々と共に戦争ではなく、平和を求め、つくる努力を続けていきたいと強く思っています。』
高見三明カトリック長崎大司教『きょうも鳴り響く平和の鐘』より
高見大司教様は『被爆75年』にあたって、
一人でも多くの方々の益になればと思われて、『本』を書かれました。
今年4月から始まったNHK朝ドラ『エール』
作曲家古関裕而氏は、戦後の傷ついた人々の心を音楽で癒やし、日本を明るくすることに力を注ぎました。
その一つが、古関氏の代表曲:『長崎の鐘』です。
『エール』の素晴しさに、大いに涙し、大いに笑い、楽しませていただきました。
今日は、『長崎の鐘』を家中に流しながら、平和を切に願いました。
今月27日まで残り4回の『エール』に感謝です。 感謝!感謝!
そして。
今日は11月23日。年間第三十四月曜日。
『今日の入祭唱』
『主よ、あなたは自分の息を送って、
彼らを創造し、地の面を新たにされる。』
詩編 104章30節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスは目を上げて、
金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
そして、 ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、
言われた。
「確かに言っておくが、
この貧しいやもめは、 だれよりもたくさん入れた。
あの金持ちたちは皆、 有り余る中から献金したが、
この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」』
ルカ福音書 21章1-4節
『献金』について。
元来、金銭だけでなく、自らの収入、所有物のうちから、物品などを
神への『感謝・奉仕』の精神をあらわすために捧げることを意味しました。
神の恵みの賜物と仕手の収入・所有物のうちから、
その与え主である神に、『感謝』として自発的に神に返しささげるものをさす。
10分のⅠの規定(創世記14:20,28:22)が古くから定められ、
これが信仰の健実さの『しるし』として考えられてきた。
『聖書辞典』より
貧しいやもめは、
額は少ないが、生きていくために必要な金を、おしみなく全額、献金しました。
大きな犠牲となっています。
金持ちたちは、
額は大きいが、有り余る中から、献金しました。
犠牲は小さく、簡単なことでした。
別の『キリストの御言葉』
思い出しました。
『あなたは私に足を洗う水もくれなかったが、
この人は涙でわたしの愛をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
あなたは私に接吻の挨拶もしなかったが、
この人はわたしの足に接吻してやまなかった。
あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、
この人は足に香油を塗ってくれた。
だから言っておく。
この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。
赦されることが少ない者は、愛することも少ない。』
ルカ福音書 7章44-47節
この人(罪深い女)は、
以前に、イエスの話を聞いて、理解して、イエスから罪の赦しを頂いたので、
感謝の気持ちがいっぱいでした。
イエスが自分にとって大切な方だと示すために、イエスの足に高価な香油を塗りました。
あなた(あるファリサイ派の人)は、
自分には罪はないと思い込んで、赦しを願うこともなく、イエスから何も期待することもなく、
許しを受ける喜びも経験したことはなく、感謝の気持ちもありませんでした。
お人への愛の大きさは、その人のために払う犠牲の大きさで計れるのですね。
私たちは、
自分の罪を自覚して、改心しているでしょうか。
赦しは、『神様の業』、『神の愛』、である
とイエスはおっしゃいます。
私たちは、
自分の罪を自覚して、
神に自分の心を開いて、神の慈しみを信じ、
神様を我が心にお迎えしたいものです。
『今日の祈願』
『神よ、感謝の祈りをささげます。
キリストに結ばれた人が聖霊に導かれ、
正しい道を歩み続けることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日も互いに愛し合って過ごしたいものです。 お元気で!
今日は
一日中我が家に『長崎の鐘』が流れます。
『なぐさめ、はげまし、長崎の、ああ、長崎の鐘が鳴る』
『長崎の鐘(浦上天主堂のアンジェラスの鐘)』
『被爆75周年に寄せて』
『戦争、とくに原爆ほどむごいものはありません。
ありとあらゆるいのちを消滅させ、壊し、傷つけ、人々が貧しい中から数十年かけて築き上げ、
心のよりどころとして何よりも大切にしていた美しい祈りの家を一瞬のうちにがれきと変え、
強い信仰心を砕きました。
このような悪のわざを人間はどんなことがあっても二度と繰り返してはなりません。
世界中の人々と共に戦争ではなく、平和を求め、つくる努力を続けていきたいと強く思っています。』
高見三明カトリック長崎大司教『きょうも鳴り響く平和の鐘』より
高見大司教様は『被爆75年』にあたって、
一人でも多くの方々の益になればと思われて、『本』を書かれました。
今年4月から始まったNHK朝ドラ『エール』
作曲家古関裕而氏は、戦後の傷ついた人々の心を音楽で癒やし、日本を明るくすることに力を注ぎました。
その一つが、古関氏の代表曲:『長崎の鐘』です。
『エール』の素晴しさに、大いに涙し、大いに笑い、楽しませていただきました。
今日は、『長崎の鐘』を家中に流しながら、平和を切に願いました。
今月27日まで残り4回の『エール』に感謝です。 感謝!感謝!
そして。
今日は11月23日。年間第三十四月曜日。
『今日の入祭唱』
『主よ、あなたは自分の息を送って、
彼らを創造し、地の面を新たにされる。』
詩編 104章30節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスは目を上げて、
金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
そして、 ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、
言われた。
「確かに言っておくが、
この貧しいやもめは、 だれよりもたくさん入れた。
あの金持ちたちは皆、 有り余る中から献金したが、
この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」』
ルカ福音書 21章1-4節
『献金』について。
元来、金銭だけでなく、自らの収入、所有物のうちから、物品などを
神への『感謝・奉仕』の精神をあらわすために捧げることを意味しました。
神の恵みの賜物と仕手の収入・所有物のうちから、
その与え主である神に、『感謝』として自発的に神に返しささげるものをさす。
10分のⅠの規定(創世記14:20,28:22)が古くから定められ、
これが信仰の健実さの『しるし』として考えられてきた。
『聖書辞典』より
貧しいやもめは、
額は少ないが、生きていくために必要な金を、おしみなく全額、献金しました。
大きな犠牲となっています。
金持ちたちは、
額は大きいが、有り余る中から、献金しました。
犠牲は小さく、簡単なことでした。
別の『キリストの御言葉』
思い出しました。
『あなたは私に足を洗う水もくれなかったが、
この人は涙でわたしの愛をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
あなたは私に接吻の挨拶もしなかったが、
この人はわたしの足に接吻してやまなかった。
あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、
この人は足に香油を塗ってくれた。
だから言っておく。
この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。
赦されることが少ない者は、愛することも少ない。』
ルカ福音書 7章44-47節
この人(罪深い女)は、
以前に、イエスの話を聞いて、理解して、イエスから罪の赦しを頂いたので、
感謝の気持ちがいっぱいでした。
イエスが自分にとって大切な方だと示すために、イエスの足に高価な香油を塗りました。
あなた(あるファリサイ派の人)は、
自分には罪はないと思い込んで、赦しを願うこともなく、イエスから何も期待することもなく、
許しを受ける喜びも経験したことはなく、感謝の気持ちもありませんでした。
お人への愛の大きさは、その人のために払う犠牲の大きさで計れるのですね。
私たちは、
自分の罪を自覚して、改心しているでしょうか。
赦しは、『神様の業』、『神の愛』、である
とイエスはおっしゃいます。
私たちは、
自分の罪を自覚して、
神に自分の心を開いて、神の慈しみを信じ、
神様を我が心にお迎えしたいものです。
『今日の祈願』
『神よ、感謝の祈りをささげます。
キリストに結ばれた人が聖霊に導かれ、
正しい道を歩み続けることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日も互いに愛し合って過ごしたいものです。 お元気で!
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