今日は2017年5月28日。 『主の昇天』 祭日です。
『神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。
それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いで下さいました。』
使徒言行録 32-33
キリストの高挙を、
『イエス・キリストの高挙・昇天』
使徒言行録は、『キリストの昇天』という独立した出来事として描いています。
キリストは、地上のわざを終わり、
今は『天におられる大いなる方の王座の右の座に着き・・・・
『天における御父と御子・イエス』
・・・仕えておられるということです。』 ヘブライ人への手紙 8章1-2節
そして、
この地上でのキリストの使命を受け継ぎ、福音を宣べ伝えていくのは、今や教会である。
以上。『カトリック教会の教え』より。
今日は、嬉しい『主の昇天』の祭日。
ゆっくりと、今日の典礼を考えてみたいと思います。
御一緒に、よろしくお願い申し上げます
まず。最初に。
『今日の集会祈願』
『全能の神よ、
あなたは御ひとり子を、苦しみと死を通して栄光に高め、新しい天と地を開いてくださいました。
『新しい天と地』
主の昇天に、私達の未来の姿が示されています。
『御父・永遠の命の元へ帰るイエス・昇天』
キリストに結ばれるわたしたちをあなたのもとに導き、共に永遠の命に入らせてください。』
そして。
『今日の第一朗読 イエスの御言葉』
『イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって弟子たちに示し、
『復活後、弟子の元に現れたイエス』
四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
「あなた方の上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。
『聖霊降臨』
そして、エルサレムばかりでなく、地の果てに至るまで、私の証人となる。」
こう話し終ると、
イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、
『主の昇天』
雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。』
使徒言行録 1章1-11節
更に。
『今日の使徒聖パウロの言葉』
『神は、すべてのものをキリストの足もとにに従わせ、
キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。』
エフェソの信徒への手紙 1章17-23節
最後に。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『十一人の弟子たちは、ガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
イエスは、近寄って来て言われた。
『弟子たちの派遣』
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
だから、あなたがは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
『洗礼』
あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる。」』
マタイ福音書 28章16-20節
イエスは昇天されるとき弟子たちに、
『わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる』
見えぬ姿で、いつも。私と共に歩んでくださるイエス。
と言われましたが、この『言葉』は不思議です。
地上のイエスの存在は終わりを告げましたが、復活されたキリストは教会にとどまられるのです。
教会は、復活したキリストがともにおられるということのしるしであり、
教会において、わたしたちは復活したキリストと出会うことができるのです。
「主は御父の元に行かれましたが、教会はこの世にとどまります。
教会はイエスの新しい現存、イエスの別離と恒久的現存のしるしとして
---時にはほの暗いときには輝かしいしるしとしてーーーとどまっています。
教会はイエスを延長させ継続させます。」
使徒パウロ六世 使徒的勧告『福音宣教』15
キリストとその教会は密接な関係を持っていて、
教会は、「キリストの体」、「キリストの普遍的秘跡」といわれます。
しかし、キリスト御自身なのではありません。
頭であるイエス・キリストは、
ご自分の教会を、聖職位階制度によって組織された目に見える地上の団体として設立しましたが、
教会は目に見える要素に尽きるものではありません。教会には、目に見えない神の恵みが存在しています。
それは『復活のキリストの現存』であり、信者一人ひとりに宿る『聖霊の働き』です。
『主はあなたとともにおられます』
『迷える子羊・民を抱きかかえ、優しく牧されるイエス』
神が共にいるという表現には、伝統的な用法の場合、少し特別な意味があります。
旧約時代から・・・
しばしばこの種の表現が使われました。
たとえば、
モーセにイスラエルを開放する使命を与えられた時、
神は「わたしは必ずあなたとともにいる」(出エジプト記 3-12) と言われました。
また、
神は、アブラハムにその子孫が大地の砂粒のように増え広がることを約束されました。
その後、アブラハムの子ヤコブに対し、
「見よ、わたしはあなたとともにいる」(創世記28-15) と言いながら、
多くの子孫の父祖としての使命を与えられたのです。
新約時代でも・・・
イエスが昇天なさるにあたって弟子たちに、
全世界に行って福音をのべ伝え、すべての民に洗礼を授けるように命じられたとき、
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」と言われました。
『神が共にいる』とは、
その人物が神から何らかの使命を与えられることと関連して使われる表現なのです。
以上。『カトリック教会の教え』より。
今日の典礼は、『イエスの遺言』のようでしたね。
イエスは、御昇天で、物理的制限がなくなり、
いつの時も、どこでも、私達と共にいて下さると約束なさいました。
『主の昇天』は、私達・キリスト者の、イエスの復活と同様、『信仰の要』です。
有難いですね。嬉しいですね。
長々と、典礼の分かち合いのお付き合いをありがとうございました 感謝申し上げます。
イエスが昇天なさり、聖霊が送られ・・・
今は、『聖霊の時代』とも言われます。
私達キリスト者も、
聖霊を受け、使徒職を担う一人として、その生き様で、福音を宣べ伝えていかねばなりません。
皆様! がんばりましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
何事の成就も・・・ぼつぼつと。あきらめることなく。たゆむことなく。・・・達成いたしましょう!
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