『平和』 子供達は『平和』のイメージにピッタリです。
子供達の笑顔 『我々はみんな同じ父を持っている子供達』
私には、いくつかの大好きなテレビ番組があります。
今日は、その中の、『二つの番組』について、そのままに書き残します。
その一つ。
『キャッチ世界の視点』 朝ドラが始まる前に、時間があると見ます。
今日の『キャッチ』は、『マーティン・ルーサー・キング牧師』 について話しました。
『キング牧師御夫妻』
1月18日は、キング牧師の誕生日。 そして
アメリカで黒人差別の撤廃に努めた指導者・キング牧師の功績をたたえる、アメリカの祝日です。
一時住んでいたバークレーの『キング牧師道路』…散歩道でした。
『キャッチ世界の視点』 は、
キング牧師に敬意を払って、
ノーベル平和賞を受賞した時の『キング牧師のスピーチ』を伝えました。 私もその一部を皆様に伝えますね。
『非暴力とは、道理にかなった強力な武器である。
それは唯一無二の武器であり=相手を傷つけずに威力を発揮し=使う者には品格を与える。
我々の尊厳と平等への闘いに向けて
仕事や市民権を求めることが、放棄されることも 先送りにされることもない。
それが抵抗や衝突を意味しても=我々はひるまず 脅しにも屈しない=もう恐れることはない。
ついに我々は自由になった。』
キング牧師のスピーチは、
昨今の世界情勢に、示唆を与えるスピーチですね。
非暴力を決意することにより、自由になれる!
『非暴力は、使う者には品格を与える。』
確かに、非暴力の威力が発揮されるためには・・・信じて待つ姿が要求されます。
一つ事を信じて待つ・・・そこに品格が生まれるのですね。
何を信じて、何を待つのか? 品格のためには重大事ですね。
『平和』
子供達の笑顔は世界の平和。 『自分にしてほしくないことは、自分もしてはならない』
もう一つ。
私の大好きな番組。
『100分de名著』 一人の指南役の解釈を聴きながら、25分×週一回の4回=100分で、一冊の本を読みます。
私は、新しい教材本の指南が始まるとすぐに、『教材本』を買って読むようにしています。
新春第一回目番組。
恒例の・・・ 『100分de名著 新春スペシャル 平和論』
4人の指南役が、25分づつ100分で、
それぞれの推薦本を元に、『平和をいかに構築するか』について語りました。
斎藤環(精神科医) 水野和夫(日大教授) 田中優子(法政大総長) 高橋源一郎(作家 明治学院大教授)
4人の指南役の一人。
高橋源一郎氏の『平和の構築』 は、ヴォルテールの・・・ 『寛容論』について語りました。
1694年 - 1778年。フランスの哲学者。 早速購入。読んでいます。
フランスで、今、爆発的に売れているそうです。
ヴォルテールのメッセージ。
『戦争の最大のものは、宗教対立である。
互いに寛容でなければならないのを立証するには、ずば抜けた手腕や技巧を凝らした雄弁を必要としない。
更に進んで、私はあなたに『すべての人を我々の兄弟と思わねばならない』と言おう。
我々はみんな同じ父を持っている子供達。同じ神の被造物ではなかろうか?
その神はすべての被造物を同じように愛しているので、すべての人に全くの差はないのである。
狂信を打ち破るのは、人間の理性である。
普遍的原理は、地球のどこにあろうと、『自分にしてほしくないことは、自分もしてはならない』ということである。』
高橋氏の『平和の構築』は、
昨年11月13日の『パリ同時テロの被害者の夫・アントワース・レイス氏の言葉』でもありました。
『僕は君らに増悪という贈り物はしない。
君らはそれを望んでいるのだろうけど、増悪に怒りを返すことは、
君らを作り上げたのと同じ無知に屈服することに等しい。
君らは僕に恐怖を抱いて欲しいだろう、
僕の周りの人に恐怖を抱いてほしいだろう。
僕の周りの人々に警戒の目を向けてほしいだろう。
僕に安全と引き換えに、自由を失ってほしいだろう。
だが君らの負けだ。 僕は変わらずに生き続ける。』
『ヴォルテールのメッセージ』 と 『パリ同時テロの被害者の夫・アントワース・レイス氏の言葉』は同じことです。
『寛容論の真髄』を述べています。
① 『憎しみという贈り物はあげない』
つまり、憎しみに対して憎しみで返すことはしない。憎しみの連鎖が続くことはやめましょう。
② 『無知に屈することはしない』
『寛容論』は、憎しみを理性で乗り越えることであり、人間として持つのが当たり前の憎しみを超え、
憎しみに屈することなく、変わらずに生き続ける。
知が生み出す…難しく孤独な言葉である。
キング牧師。ヴォルテール。アントワース・レイス氏。
3人の言うことは、人間の本来の気持ちからいうと、とても出来ないことの発言である。
ある意味、理性で人間の本質を押え込んで、これ以上憎しみが拡大するのを防ごうと考えての、発言である。
3人は、社会人ではなく、『個人』である。 『個人』でなければ『寛容論』はあり得ない考えである。とのこと。
『平和』
どこの国の人も・・・ 『すべての人を我々の兄弟と思わねばならない』
『寛容論』の最後。 『ヴォルテールの神に捧げる祈り』
『私が訴えるのは、もはや人類に対してではなく、
それはあらゆる存在、あらゆる世界、あらゆる時代の神であられるあなたに向かってである。
なにとぞ、われわれの本性と切り離しえない過ちの数々を、あわれみを持ってご覧くださいますように。
これらの過ちが、我々の難儀のもとになりませぬように。
あなたは、お互いに憎み合うとて、心を、
お互いに殺し合うとて、手を、 われわれにお授けになったのではございません。
苦しいつかの間の人生の重荷に耐えられるように、われわれがお互い同士助け合うようにお計らいください。
すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備な我々の法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、
われわれの目には違いがあるように見えても、あなたの目から見ればなんら変わることなないわれわれ各人の状態、
それらの間にあるささやかな相違が、
また「人間」と呼ばれる微妙な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、
増悪と迫害の口火にならぬようにお計らいください。
すべて人は兄弟であるのをみんなが思い出さんことを。』
2016年が、本性より理性を勝たせて、平和に向かう年となりますように祈ります。
世界の子供達の3枚の写真は、『100分de名著』から拝借しました。
そして。
今日は1月20日。年間第二水曜日。
『今日の第一朗読』 こちらの戦いは、強豪と神の兵士・少年ダビデとの戦いです。
『ダビデはサウルに言った。
「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」
サウルはダビデに答えた。
「お前が出てあのペリシテ人と戦うなどできはしなまい。お前は少年だし、向こうは少年の時から兵士だ。
ダビデは更に言った。
「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人からの手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」
サウルはダビデに言った。
「行くがよい。主がお前と共におられるように。」
ペリシテ人は身構え、盾持ちを先に立て、ダビデに近づいて来た。
ダビデはこのペリシテ人に言った。
「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、
わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。
主は救いを賜るのに剣や槍を必要としないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。
ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げひもを使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。』
『石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。
ダビデは石投げひもと石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を打ち殺した。
ダビデの手には剣もなかった。』 サムエル記上 17章32~51節
今日の戦いは、
剣や槍や投げ槍を持つ強豪・ゴリアテ 対 石投げひもと石一つだけの少年・ダビデとの戦いでした。
結果は・・・神が勝利を下さると信じるダビデの勝利でした。
信じて・・・待つ。耐える。そして 非暴力。 これが勝利の道かもしれませんね。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
新年早々から国内外で大参事が続き・・・心が痛んでいます。
『Pray and Think』 (『祈れ。でも考える』) を実行いたしましょう! ←高橋源一郎氏の最後の提案でした。
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