4月6日。月曜日。快晴。『聖週間2日目』
『受難の月曜日』
『主の御受難』前の今日。
イエス様は・・・ 『仲間と食事会』
楽しい時間です。私も大好きです。
『過越祭』を祝うために、
多くのユダヤ人たち
は、1週間前に、エルサレムに到着していました。
そんな中で。多くのユダヤ人たちは、
『「どう思うか? イエスはこの祭りには来ないのだろうか?」
と、神殿の境内で互いに言い合っていました。』
祭司長たちとファリサイ派の人々は、
『イエスの居所が分かれば届け出よ』 との 『命令』 を出して、
イエスを逮捕しようとしていました。
以上。ヨハネ福音書 11章1-8節
イエス様と弟子たちは、
「過ぎ越しの6日前」の金曜日に、ベタニヤに到着しました。
ベタニヤの小さな村で、
イエスの愛するラザロが、
2人の姉妹・マルタとマリアたちと暮らしています。
イエス様は、時々、ラザロの家に行かれたようです。
そんなベタニヤに住むシモンは、
イエスと友人たちを 『土曜の夕食』 に招待しました。
シモンは「重い皮膚病」だったのを、
以前に、イエスに癒やしてもらったようです。
そんな席。
『楽しい食事会』 で、 『人間模様』 が現れます。
今日は。
”私は食事会の中の誰なのだろうか?” と考えながら・・・
『福音』 をご一緒いたしましょう。
よろしくお願いいたします。
『今日の入祭唱』
『主よ、わたしと争う者と争い、わたしと戦う者と戦ってください。
大盾と盾を取り、立ち上がってわたしを助けてください。
主よ、わたしの神よ、救いの力よ。』
詩編 35章1&2節 140章8節
イエス様の『悲痛な祈り』。痛ましや。
そこで。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。
そこには、
イエスが死者の中からよみがえらせた
ラザロ がいた。
ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
イエスのためにそこで夕食が用意され、
マルタ(ラザロとマリアの兄弟)は、給仕をしていた。
そのとき、
マリアが 純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、
イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。
家は香油の香りでいっぱいになった。
弟子の一人で、後にイエスを裏切る
イスカリオテのユダ が言った。
「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、
貧しい人々に施さなかったのか。」
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、
その中身をごまかしていたからである。
イエスは言われた。
「この人のするままにさせておきなさい。
わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。
貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、
わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
イエスがそこにおられるのを知って、
ユダヤ人の大群衆 がやって来た。
それはイエスだけが目当てではなく、
イエスが死者の中からよみがえらせたラザロをも見るためであった。
祭司長たちは、ラザロをも殺そうと謀った。
多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、
イエスを信じるようになったからである。』
ヨハネ福音書 12章1-11節
つまり。
こういうことですね。
ベタニヤに住むシモンが、イエスと友人たちを、『土曜の夕食』 に招待します。
ラザロも、ラザロの姉妹・マルタとマリアも、招かれました。
働き者のマルタは、彼女らしく、客たちに、『細やかな心配り』 をします。
いつもイエスのそばを離れないマリアは、イエスに、『特別の気遣い』 を示します。
そんな時。 今日は、マリアの『特別の気遣い』 がきっかけで、
『議論』 が引き起こります。
マリアが、
『純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ(約326g)持ってきて、
イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。(頭にも注いだ。)
家は香油の香りでいっぱいになった。』 ヨハネ福音書 12-3&4
そこにいた人の何人かが、
『憤慨して、互いに言い合った。
「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。
この香油は三百デナリオン(300日の賃金)以上に売って、
貧しい人たちに施すことができたのに。」
そして、彼女を厳しくとがめた。』 マルコ福音書 14章3-5節
弟子の一人で、後にイエスを裏切る、イスカリオテのユダが言った。
『なぜ、この香油を三百デナリオン(300日の賃金)で売って、
貧しい人々に施こさなかったのか。』 ヨハネ福音書 12章4&5節
『議論』の最後に。
イエス様は、言われました。
『この人のするままにさせておきなさい。
わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。
貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、
わたしはいつも一緒にいるわけではない。』 ヨハネ福音書 12章7&8節
マリアは、
イエスが律法学者たちから反対され、狙われているのを知って、
『イエス様はもうすぐ死に渡されるかもしれない』
と感じたのかもしれません。
マリアは貧しい人をいつも助けていたのではないかしら?
マリアは、油を売ることもできたでしょうが、
イエスを信じ、イエスの偉大さを認め、
イエスが一緒の席にいるしばらくの間に、
何にも勝る 『イエスと共にいる喜び』 を、表したかったのでしょう。
ユダは、
人の頭に油を塗る習慣はあっても、人の足には塗らないと、
足に油を塗るマリアを、不必要で、無駄遣いだと、
『慣習』で、責め立てたのでしょう。
婦人たちは、
イエスの死後、慣習に従って、イエスの墓に、
『香油』 を塗りに行きました。
しかし、そこには、イエスはいませんでした。
間に合いませんでした。
イエスは、『復活』 なさっていたです。
イエスの 『御言葉』 通りになったのです。
『マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。』と。
イエスは、今日も、私たちに、問われます。
あなたは、今日の議論の中の、どの人間ですか?
私は、どのタイプの人だろうか? 皆様は?
ここでは、マリアの信仰 と ユダの不信仰、の対立が際立ちました。
ユダは、貧しい人を助けるなら、それはいつでもできることでした。
貧しい人は、いつもいます。
貧しい人を助けるのは、私たち人間の 『毎日の務め・義務』 です。
マリアは、貧しい人を助ける以上に、
亡くなった(亡くなる)人の体に油を塗ることの方が
もっと大切な 『愛』 と考えたのでしょうか?
私たちは、
キリストの『御言葉』 を信じて、
自分の生活に、キリスト様をお迎えしたいものですね。
頑張りましょう! ファイト!
『はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。』
マタイ福音書 25章40節
『今日の叙唱』
『聖なる父、全能永遠の神、
主キリストによっていつもあなたをたたえ、感謝の祈りを捧げます。
罪のないキリストは苦しみを担い、
罪人に代わってさばきを受けて下さいました。
キリストの死は罪を清め、その復活はわたしたちに救いをもたらします。
天も地もすべての天使と共に、キリストをたたえて絶え間なく歌います。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
キリスト者にとって一番大切な時期:受難週:聖週間を過ごしている私です。
そんな私におつきあいくださいまして、感謝申し上げます。 お元気で!