10月16日。水曜日。快晴。
早朝。 雲一つない真っ青の大空を眺めながら・・・
朝ジョグ。
走りながら。
頭の中をぐるぐると・・・ 『グリーンマイル』
主演の死刑囚牢獄看守と死刑囚
昨日観た『映画』 が頭を離れない。巡ります。
自身も映画監督のスピルバーグが
「途中で堪えきれずに、4回号泣してしまった」 とコメントしたという映画です。
同感です。
『グリーンマイル』 とは、
死刑囚が自分の牢から処刑を実行される執行室まで続く緑色に塗られている『廊下』 の名前です。
主人公・死刑囚ジョン・コーフィ
は
『その時』を迎えた時に語ります。
「天国! 天国!」 と。
主人公・死刑囚牢獄看守エッジコム
は
100歳を過ぎた晩年に語ります。
「『グリーンマイル』とは、人間一人一人の、『この世の人生』 なのではないか。
人間誰もが死を迎えたときに直面する『神の裁き』の時までの、『人生の歩み』なのではないか。」 と。
私は考えました。
映画舞台のアメリカはキリスト教国(最近はイスラム教徒も多い)故に、作れた映画ではないのかな?
同じ原作を日本の監督が作成すれば、どんな映画になるのだろうか? 同じではないのではないかしら?
人は、自分の『グリーンロード』を歩き終えたとき
一人一人に、必ず、『神の裁きの時』『主の日』 が訪れます。
その時まで、いかに過ごすか?
愛情、信頼、交わり、受容、寛容、許し、の人生でありたい。
朝ジョグ終了。
考えすぎで疲れた体頭を癒やす・・・ 『シュウメイギク』
名前にキクが付くが、菊の仲間にあらず、アネモネの仲間です。
庭の片隅で楚々と咲くのがいとよし。
考えさせられた『映画・グリーンマイル』でした。
そして。
今日は10月16日。年間二十八水曜日。
今日は、 使徒パウロも
『神の裁きの時』『主の日』 の到来を宣告します。
『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』
『すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。
あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。
あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
あるいは、
神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、
その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか?
あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。
神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
すなわち、
忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、
反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。
『最後の審判図』 スクロヴェーニ礼拝堂内部西壁全面
すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
神は人を分け隔てなさいません。』
ローマの教会への手紙 2章1-11節
『豊かな慈愛と寛容と忍耐』
パウロは語ります。
『神の裁き』は、 ご自分の属性:愛と寛容と忍耐によって成されるために、常に正しい。
『人間の裁き』は、無理解や無情や無慈悲や高慢によって成されるために、時に間違う。弁解の余地がない。
『神の憐れみ』が、
人を悔い改めに導くことを知って、
その『豊かな慈愛と寛容と忍耐 』 とを軽んじることのないように!
改めるべき人は、お人ではなく、自分であると、気づきなさい!
『神の裁き』は、
神の民・ユダヤ人もすべての人を分け隔てることなく、常に正しいのです。
それは、この世においてのおのおのの行いに従った、『神の報い』 なのです。
私は考えます。
『主の日』が来る時まで、
神と正しい関係をもって生きるために、また 隣人と正しい、良い関係を築くために、
『神の豊かな慈愛と寛容と忍耐 』 を軽んじることなく、を学びながら、
『人生・グリーンマイル』を歩きましょう!
イエスは忠告します。
『だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。』
マタイ福音書 25章1節ー13節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は映画はお好きですか?私は好きですが、最近はテレビ放映映画の『録画』で鑑賞が多いです。 お元気で!