花ファンタジアに行った日は9月18日で、
いわば中秋の名月である十五夜の前日であった。
で・・・・
入園料を払って、園内に踏み込むと、
目の前をひらひらと優雅に飛んでいるコミスジ蝶を発見。
この「ひらひら感」が直線的に素早く飛ぶ蝶との違いで、
見ていると心が癒されるほどなのである。
だが、
人の目の前には中々止まってくれないのがこの蝶の様で、
涼しくなってから3回ほど目撃しているが、
撮影には成功していない。
その蝶がイングリッシュガーデン近くで、
紫苑の花を撮っているときに、目の前に現れた。
「止まって欲しい・・というか止まれ!」と思うまもなく、
目の前の紫苑の花に止まった。
とりあえず画像確保のためにやや離れた場所から一枚。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/d8/154a0fae8437ab9a39929c6f6fa3328d.jpg)
徐々に距離を詰めてさらに一枚。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/8a/5b0038c1acf9eead5bdea9cda562e489.jpg)
すると蝶は更に翅を開き「はいポーズ」的に応じてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/69/d8f7da5ccfdf201c2c1f6575e1b05a21.jpg)
ここまで寄ると右の翅の先端が欠損していることがわかった。
いわば手負いの蝶であるが、
過去の経験からすると「手負いの蝶」が目の前に止まるのは、
「人の周辺なら野鳥などの外敵が来ない」、
と学習している為ではないかと思われる。
一、二度なら偶然ということもあるが、
偶然にしてはそのような出会いが多いのである。
学生時代、古代文学の授業中に、
小さな蝶が教室に入ってきて授業が中断し教室が静まり返ったことがある。
教授も黙って見つめていたが・・・・
「こんなにも小さい魂が100人もの人を静かにしてしまった」と一言。
古代記紀歌謡時代の「万物には魂が宿る」という日本人の思想を、
小さな蝶の乱入で説いてしまった教授の言葉は今でも忘れられない。
コミスジは5枚シャッターを切ったところで、目の前から去っていった。
ひらひらひらと、小さな羽ばたきと滑空をくりかえしながら・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/dd/d23189c87bbd235941cf2ae393c45fed.jpg)
*「十五夜草」は「紫苑」の別名で今日そのことを知った。
十五夜の前日に「紫苑」を撮っているのも計り知ることの出来ない縁なのかもしれない。
「待宵」「十五夜」「十六夜」と続けて「月」を撮ったのも長い写歴で初めてである。