MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

横浜港逍遥(3) 「赤い靴はいていた女の子」像と作者

2012年10月15日 | あらかると

童謡「赤い靴」は、
「♪赤い靴はいていた女の子♪」で始まる、
日本人なら誰でも知っている程の歌であり、
二番の歌詞に「横浜の波止場から」と詠われているため、
横浜港の山下公園に「赤い靴はいていた女の子」の銅像がある。

銅像の台座裏面には、
銅像の作者、山本正道。
1979年11月11日に
「童謡 赤い靴を愛する市民の会」によって設置されたことが記されていた。


で・・・・
作者の名前が何となく聞き覚えがあったので後日調べてみると、
顔写真が載っていて、その顔写真にびっくりした。
過去にある場所で毎日のように挨拶をしていた方だったからである。

長年勤めた会社を早期退職し、自営を目指していたが挫折し、
契約社員としてビル管理会社の警備員をしていた時代が、
約10年間ほどあるが、その期間に会っていたのである。

其の場所は「東京藝術大学」で、
芸大美術館のオープンの日から「美術館中央管理室(防災)要員」として、
美術館の開館や閉館を担当し、あるいは美術学部の守衛所に8年間勤務していたのである。

車で登校する先生方とは、
毎日のように守衛所で「車両駐車票」の授受があり多少会話などもするのだが、
山本先生は歩いてこられていたうえに、
彫刻棟の場所の関係から守衛所から離れたところを歩かれていたため、
こちらから大きな声で「おはようございます」と挨拶をしないと、
気付いて頂けない状態であり、先生の出勤を見落としてしまうことも多々あった。
穏やかで優しさあふれる先生のようであったが、
いつも考え事をしながら歩いているような風情でもあった。

「赤い靴をはいていた女の子」像にはそんな先生の優しさが刻まれているようであった。


しかし、角度を変えてみると「寂しさ」のようなものも感じられた。


昼食は「赤い靴はいていた女の子像」の右肩後方の、
歩道と芝生の境界のコンクリートの「土止め」に座って食べた。
食べながらの一枚。
大桟橋の「護衛艦ひゅうがの満艦飾」と「赤い靴の女の子」のコラボなんて、
童謡の世界を台無しにしてしまいそうだが、
ニュース性と「稀有なこと」優先ということで撮ってみた。


「赤い靴」歌碑。
「野口雨情」作詞、「本居長世」作曲。
野口雨情は同県出身ということもあって高校時代は、
同氏作詞の「波浮の港」などの歌唱練習もしていた記憶がある。


童謡「赤い靴」の話題はつい最近、友人との会話に出てきていた。
それは、
友人と清水公園に撮影行したときに、
東武野田線清水公園駅前にある「かごめかごめ」の「都市伝説」が話題になり、
「童謡に隠された残酷さ」に触れていたときだった。
「赤い靴」の女の子を連れて行ったのは異人さんではなく「いい爺さん」「曾爺さん」といった説も云々・・・

そんな話題があってからさほど経過していないのに、
私は「赤い靴はいていた女の子像」の前に立っていたのである。
ということで、
「かごめかごめ」の像と歌碑を。


長くなりましたが・・・・・
「赤い靴の女の子像」設置当時、
横浜元町公園(外人墓地隣接)から撮った赤白模様の「横浜マリンタワー」。
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