護衛艦「ひゅうが」の見学を終えた頃はすでに昼時で、
昼食をとる場所として予定していた「山下公園」に向かった。
大桟橋を出るとすぐにあったのが、
「大さん橋ふ頭ビル」で、そのまま過ぎようとしたが・・・・
玄関左側の壁面に句碑を発見した。
何が書かれているのかと緑青の出ている銅版を見ると、
句よりも先に作者「秋元不死男」の名前が目に入ってきた。
というのは・・・
私は高校時代に高校向けの月刊誌に時々投句をしていて、
そのときの選者が秋元氏で、何回か特選などを頂いていたからである。
誌上の選評だけではあったが、
ある時、「自然の雄大さと目の前にある小さな世界を詠むと良い」と指南され、
今でもそのように心がけて作句をしている。
つまり俳人「秋元不死男」は、私にとって句作の「師」なのである。
秋元不死男氏は横浜の生まれで、
横浜港を詠った俳人としては右に出るものはいないといわれている。
「北欧の船腹垂るる冬鷗」は・・・・、
大桟橋の外国船を題材にしつつ、
北欧という雄大さから目の前の鷗に思いを馳せている。
偶然に出会った句碑だが、
先生から指南を受けた言葉を思い出しながら何度か読んでいると、
目からうろこが剥がれ落ちるような感動を味わうことが出来た。
研鑽して行こうと思う。
この句碑はもともとも大桟橋にあったものが改修により、
現在の地に移されたとのことである。
大桟橋から「山下公園通り」に出た。
公園横の歩道はガス燈のような街路灯が並び、
下の写真のように緑も美しいのに、人の姿はなかった。
やはり山下公園は、港やベイブリッジの見える(巻頭の写真)公園の中を歩くのが楽しく、
公園内に入ると逍遥する人やジョギングする人、
昼休みを同僚とそぞろ歩くワイシャツ姿のサラリーマンなどが・・・
写真は「氷川丸」で、1961年横浜開港100年を記念して公開された。
前に来たときは中を見学しているが、
どのような船内であったかは記憶から消えている。
山下公園から見た大桟橋と「大さん橋ふ頭ビル」(左側の建物)。
山下公園通りに面した歩道を歩いているときに、
停車していた「赤、幾つ??」・・・ではなく「あかいくつ(赤い靴)」バス。