MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

写真で見る下総基地の今昔

2012年10月01日 | あらかると

台風17号は猛スピードで過ぎていったため、
当地の松戸では風水害もなく、快晴の朝を迎えた。

9月29日に行われた「下総航空基地開設53年記念行事」では、
航空機の写真を撮ることのほかに、
「今は昔」となった、ン十年前に私が在任していた頃の面影を探していた。

が・・・・
格納庫以外の建物については殆ど残ってなかった。
9月29日の格納庫部分。


私が第51航空隊列線整備隊で航空機の手入れをしていた頃の格納庫内。


最近まで残っていた、課業後に先輩の特訓を受けた思い出のプールも、
埋め立てられ運動場の一部となってしまった。

第4航空群がこの地にあった時代、
このプールの前には第51航空隊の本部があり、
その本部で庶務係をしながら夜間大学に通わせて頂いた。

運動場越しの下総基地合同庁舎。
昔は、合同庁舎の前の運動場に「第4航空群庁舎」があった。


下の写真は隊員の居住区から正門方向を写したもので、
左手に第四航空群の庁舎があった(国旗掲揚ポールの左側)。
右に見える茶色の屋根の建物付近に現在の合同庁舎が建てられたようである。


下の写真もその昔に正門方向を撮ったものだが、
富士重工の「スバル」が時代を物語っている。


9月29日に同じ場所と思われる場所から撮った一枚。


私が在任していた頃の「下総航空基地記念祭(当時)」は、
芸能人による歌謡ショーなどがあり、
「涼川真里」や(下の写真)、「中村晃子」(巻頭の写真)などが出演していた。


「光陰矢の如し」というが・・・・・
何に対しても貪欲だった若き日の想い出は尽きることがない。
コメント