今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

278 長浜(滋賀県)・・・湖畔にて語る二人を観る一人

2010-05-11 23:56:30 | 滋賀・京都

地域おこしの優等生、湖北の城下町・長浜は、浜ちりめんに子供歌舞伎や曳山と、伝統文化が程よく残された街並みに、ガラスの殿堂・黒壁館といった若い女性を惹き付けるランドマークが調和して、休日に行き当たるとびっくりするほどの観光客でにぎわっている。しかしそうした人の波は日暮れとともに潮が引くもので、帰り遅れた旅人は取り残され、寂しさを囲うことになる。琵琶湖の残照は、その虚脱感を少し癒してくれるけど・・・。

長浜は北国街道が南北に貫いて、街道周辺とその東側に古い街並みが、そして街道に平行するJR北陸本線の西側は城跡を中心にした琵琶湖畔の公園が広がる構造になっている。小さな地方都市だから、商店街もこじんまりとし、目を見張る建物があるわけでもない。しかしだからこそ、他所者が漫然と歩いていても疎外される感じはしないし、舟板塀の路地を行けば、湖畔に積み重ねられた人々の暮らしをごく自然に感じ取ることができる。

観光銀座の黒壁館あたりは傍若無人のおばさん集団に辟易させられるとしても、それが街の活況となって伝統文化が守られているのだと肯定的に受け止めれば我慢できないことはない。静かな夕暮れを味わいたいなら湖畔を目指し、城跡から豊公園界隈を歩くといい。それが日暮れ時ともなれば人の気配は薄れ、市民の散歩姿が散見される程度だ。湖畔に座り込んだ娘さん2人は何を語り合っているのか、座ったままずいぶん長い時間になる。

公園では、噴水が規則正しく水しぶきを上げ、対岸の比良の山並みに落ちかけた残照に映えて、虹色の水煙となって漂っている。眺める人は皆無なのだけれど、若い男女の群像が美しく行進している。長浜出身の彫刻家・中川清の「洋」と題する彫像であった。炊煙の向こうには長浜城の天守が望まれ、実に贅沢な風景である。



こんな街で暮らせたら、気持ちいいだろうなと、長浜を訪ねるたびに思う。それはこの街のことだけではなく、北国街道が結ぶ米原・浅井・国友・高月・木之本・余呉などなどの家並をいっしょに思い浮かべての感慨である。湖北はいい。そのほんの一部しか知らない私ではあるが、しばしば記憶を辿ってそんなことを考えている。どこの街にも人の暮らす魅力はあるものだが、琵琶湖界隈はそうしたことに特に思いが行く羨ましい土地なのだ。

しかし旅人は所詮、他所者である。そこでの生活がいかなるものか、思い浮かべるのは想像でしかない。人の暮らしに屈託は付き物であり、街の運営は矛盾と背中合わせのはずだ。旅人が憧れるほど、ここで生きて行くことは簡単ではないのかもしれない。しかしそれでいいではないか。私はそうしたほとんど意味のない想像が好きなのである。街を歩いて「屈託結構、矛盾も楽しい」と呟くのだ。だからこそ、また「知らない街」を目指す。

長浜駅に戻ると、帰路に就く観光客でごった返していた。中国からのツアー客がけたたましい会話を交わしているし、米原からの新幹線乗り継ぎ切符を買う人たちの列が、窓口の少なさにイライラを募らせている。だから駅舎の看板を眺める吞気な人はいない。ここのステンドグラスの駅札は、私のお気に入りなのだが。


       
その夜は珍しく、長浜に宿泊した。昼は行列の長さに恐れを成した店で、名物の鯖そうめんを食べた。喧噪の去った繁華街は土地人の団らんの場となり、他所者にはいっそう侘しさを強いるのだった。(2009.12.18-19)
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