今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

534 鳥取(鳥取県)地味だっていいのよ私女子高生

2013-10-23 15:08:26 | 鳥取・島根
真夏の昼下がり、制服姿の女子高生が写真を撮り合って笑い転げている。鳥取市のランドマーク・久松山の麓に建つ明治の洋館・仁風閣の前庭である。私はその2階から彼女たちを眺めている。私にとってこの街は「最後に残った県庁所在地」で、これで私は47都道府県の中心都市をすべて訪ねたことになる。だがそんなことで感慨に耽るのは年寄りの証明で、これから恋をし結婚し、母親となる少女たちにとって、人生は永遠なのである。





鳥取市は因幡・伯耆の32万石を領した池田家の城下町である。32万石といえば大藩であるが、その版図をそっくり引き継いだ鳥取県は、総じて地味な存在ではないだろうか。全国的な話題にのぼるのは、国政選挙における1票の格差問題で、1票あたりの人口が最も少ない選挙区として取り上げられるときくらいである。全県の人口は60万に満たず、4つしかない市のうちで最も人口の多い鳥取市でも20万人を割り込んでいる。



私を招いてくれた大学のゼミ仲間の友人は、卒業するとこの街に帰り家業を継いだ。時代に合わせ業種を転換して息子にバトンタッチし、順調に齢を重ねている。だがその彼をして「この街で商売を続けるのは難しい。なにしろ人口が少な過ぎる」と慨嘆させる街でもある。他県の大きな資本が入って来ると、鳥取単独の事業規模では太刀打ちできないのだという。「ここで安定して生活するには、公務員が一番だよ」とも言った。



翌朝、朝食前にホテルを出て街を歩いた。若桜街道、智頭街道と、藩政時代から続く街路が区切る旧市街地は、駅前から久松山の麓まで15分も歩けば横断できてしまう。甲府市や山口市など、人口規模が同等の県庁のある街は他にもあるけれど、鳥取市は最も小ぶりな街区のように感じた。それでも城下町の案内図や郷土芸能の麒麟獅子をあしらって、頑張っている商店街もあった。





突然、驟雨に襲われた。夏休みの補習でもあるのだろうか、高校生たちが雨を避けながらアーケードの通りを急いで行く。なかには制服を濡らしたまま自転車を走らす元気な女子高生もいる。彼らは城跡方面に向かっているから、西高の生徒たちかもしれない。鳥取市内では東と西の二つの伝統高校が何かと競い合っているのだといい、だから夏休み中も頑張っているのだろう。



以前、東京・新橋を歩いていて、女子高生に呼び止められたことがある。そこは鳥取県のアンテナショップで、鳥取の農業高校の生徒たちが、実習をかねて自分たちの製品を売り込みに来ていたのだった。ラッキョウの加工品など珍しい物産をたくさん奨められたが、その味以上に、彼女たちの健康的な笑顔が印象に残っている。



若者にとって、街が小さいとか地味だとかは関心の外だろう。自分たちの将来は地球規模に広がっているわけで、地味な土地だと言われることは、それだけ平穏な暮らしの場で成長中なのだと評価されているようなものだ。そうした土地で孵化した彼らは、浮ついたところの少ない大人になって行くに違いない。どうしたことか、鳥取では女子高生のことをたくさん考えることになった。



鳥取砂丘は遠望するにとどめた。私の郷里・新潟も海岸は長い砂浜が続いているが、そこは「砂丘」とは言わず、せいぜい「砂山」と呼ばれている。鳥取砂丘が貴重なのは丘として高く堆積したその姿で、砂地の面積は新潟の方が広いのだと初めて聞き知った。(2013.7.30-31)






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