今回のハワイ旅行で、強く記憶に残った家族がいる。パールハーバーに隣接するアロハスタジアムで開催されるフリーマーケット「スワップミート」に行った際のことだ、マーケットのはずれ辺りで食べ物の露店を出す母親と、姉・弟の家族を見かけた。前夜から準備したのであろうパックを並べ終え、「さあこれから店開き」といった緊張の一瞬に私は通りかかったようだった。髪を整え、精一杯こざっぱりした服装の3人に、「生きる覚悟」を見たのだ。
一家はフィリピンからの移住者だと私は推察した。掲げてあるメニューはLumpiaとあるから、母親が得意なフィリピン春巻きだろう。3pcs.for $8。BENTO $13は日系観光客が狙いだろうか。ハワイの人種構成はフィリピン系が14%を超えてトップだ。日系は13%超でそれに次ぐ。この母子も、新天地での生活を伐り拓こうとフィリピンから渡って来て、物価高のハワイで生きるために力を合わせているのだと、私は勝手に推測したのだ。
「常夏の楽園」ハワイは、本土からのホームレスの流入が社会問題になる一方、世界の富裕層が別荘を持ちたがる夢の島である。「この辺りはシリコンバレーの成功者の別荘が多い。海風が快適なハワイで、空調完備の密閉した別荘を建てるおかしな人たちです」と土地の人が笑う分譲地は、広い敷地を占め、緑に埋もれている。オアフ島は丘陵の上部まで開発され、もはや余裕はないように見える。こうした中で移民が生活を確立するのは大変だろう。
そうした島に、シャングリ・ラ(理想郷)を名乗る美術館がある。ダイヤモンドヘッドの麓の高級住宅地に、5エーカーの敷地を占める大邸宅が、そのまま美術館として公開されている。館の主人は、タバコと電気事業で大富豪となった実業家の娘で、ただ一人の相続者であったことから「世界で最も裕福な少女」と呼ばれた。成人した少女は世界を巡り、心惹かれたイスラムのアートで、大好きなハワイに思いのまま理想の館を建設した。
経営の才も存分に発揮し、80歳で没した彼女に子供はなく、ほぼ全ての遺産を自分が設立した財団に寄贈した。おかげで私たちもイスラム芸術を堪能することができるのだが、私は馴染みの薄いイスラム装飾と、あまりに「女性」を感じさせる建築に息苦しくなり、庭に逃れて太平洋で深呼吸した。美しい女主人の横顔は、私にはここに来る前に鑑賞したホノルル美術館のモディリアーニに重なって見える。物憂げで、少し寂し気でもあるのだった。
ここで私は「世界で最も裕福な女性」と、フリーマーケットで見かけた移民(だと私が勝手に想像している)家族と、どちらが幸せだろうか、などという薄っぺらな感慨に耽っているのではない。結婚に失敗し、子供に恵まれなかった裕福な女性は、その資産を遣って世界屈指のイスラム美術の殿堂を残した。一方の移民家族は、母と子が助け合うという幸福を力に、厳しい「今」を乗り越えようとしている。人は誰もが、それぞれを生きて行くのである。
短期滞在者にとってハワイは、全てが明るく快適だった。「ハワイ時間」と呼ばれる生活のリズムが、ゆったりと流れているようでもあった。ワイキキの公園で披露されるキロハナ・フラショウは、島々に息づく遠い昔の記憶を、柔らかな腰の動きと指先の表情で伝えてくれる。ここを舞台に、戦争は2度とあってはならない。「リメンバー・パールハーバー」も「ノー・モア・広島」も、われわれは乗り越えて進まなければならないのだ。(2024.7.1)
一家はフィリピンからの移住者だと私は推察した。掲げてあるメニューはLumpiaとあるから、母親が得意なフィリピン春巻きだろう。3pcs.for $8。BENTO $13は日系観光客が狙いだろうか。ハワイの人種構成はフィリピン系が14%を超えてトップだ。日系は13%超でそれに次ぐ。この母子も、新天地での生活を伐り拓こうとフィリピンから渡って来て、物価高のハワイで生きるために力を合わせているのだと、私は勝手に推測したのだ。
「常夏の楽園」ハワイは、本土からのホームレスの流入が社会問題になる一方、世界の富裕層が別荘を持ちたがる夢の島である。「この辺りはシリコンバレーの成功者の別荘が多い。海風が快適なハワイで、空調完備の密閉した別荘を建てるおかしな人たちです」と土地の人が笑う分譲地は、広い敷地を占め、緑に埋もれている。オアフ島は丘陵の上部まで開発され、もはや余裕はないように見える。こうした中で移民が生活を確立するのは大変だろう。
そうした島に、シャングリ・ラ(理想郷)を名乗る美術館がある。ダイヤモンドヘッドの麓の高級住宅地に、5エーカーの敷地を占める大邸宅が、そのまま美術館として公開されている。館の主人は、タバコと電気事業で大富豪となった実業家の娘で、ただ一人の相続者であったことから「世界で最も裕福な少女」と呼ばれた。成人した少女は世界を巡り、心惹かれたイスラムのアートで、大好きなハワイに思いのまま理想の館を建設した。
経営の才も存分に発揮し、80歳で没した彼女に子供はなく、ほぼ全ての遺産を自分が設立した財団に寄贈した。おかげで私たちもイスラム芸術を堪能することができるのだが、私は馴染みの薄いイスラム装飾と、あまりに「女性」を感じさせる建築に息苦しくなり、庭に逃れて太平洋で深呼吸した。美しい女主人の横顔は、私にはここに来る前に鑑賞したホノルル美術館のモディリアーニに重なって見える。物憂げで、少し寂し気でもあるのだった。
ここで私は「世界で最も裕福な女性」と、フリーマーケットで見かけた移民(だと私が勝手に想像している)家族と、どちらが幸せだろうか、などという薄っぺらな感慨に耽っているのではない。結婚に失敗し、子供に恵まれなかった裕福な女性は、その資産を遣って世界屈指のイスラム美術の殿堂を残した。一方の移民家族は、母と子が助け合うという幸福を力に、厳しい「今」を乗り越えようとしている。人は誰もが、それぞれを生きて行くのである。
短期滞在者にとってハワイは、全てが明るく快適だった。「ハワイ時間」と呼ばれる生活のリズムが、ゆったりと流れているようでもあった。ワイキキの公園で披露されるキロハナ・フラショウは、島々に息づく遠い昔の記憶を、柔らかな腰の動きと指先の表情で伝えてくれる。ここを舞台に、戦争は2度とあってはならない。「リメンバー・パールハーバー」も「ノー・モア・広島」も、われわれは乗り越えて進まなければならないのだ。(2024.7.1)
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