今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

083 長浜(滋賀県)・・・湖面には晩夏の光照り返し

2007-09-14 12:41:48 | 滋賀・京都

「湖北」とは、琵琶湖北部のどこからどこまでを指すのか、アヅマエビスの私には確認する術がない。だから関が原を越えて近江に入り、琵琶湖に突き当たる米原あたりから北の地域――であろうかと、とりあえず考えておこうと思う。そしてそのエリアの中心をなす街が長浜なのだと。北国への回廊として幾度もの戦乱の後、秀吉によって経営された城下町だ。縮緬や仏壇など伝統産業が根付き、昨今、町興しに成功している数少ない地方都市、それが私の理解する長浜である。

この長浜を、徹頭徹尾、賞賛している本がある。寿岳(じゅがく)章子著『湖北の光』(草思社、1995年)だ。沢田重隆氏の挿絵と共に、その土地に詳しい筆者が解説していくシリーズで、他に奈良や京都がある。私の愛読書なのではあるが、長浜の場合「ここまで誉めて、ホンとかな?」という思いが付きまとうほど誉めまくっている。いささか鼻に付くのだけれど、それでも「これほど素晴らしい街を他に知らない!」などと繰り返されると、やはり行ってみたくなるものだ。

特急がたまにしか停まらない駅としては新しくて立派な駅舎を出ると、何の変哲もない地方の駅前広場であった。いささか拍子抜けして街に入って行くと、突然、人々でごった返す通りに出た。旧北国街道を中心にした長浜観光ゾーンに紛れ込んだのだった。中心はガラス館を含む黒壁スクエアである。日曜日のせいか若者同士、中高年同士がぞろぞろ歩いている。観光地でよく見かける新興商業ゾーンだと思えばいい。

アーケード街を長浜御坊まで歩いてみる。安っぽい土産物屋が若者を集めていたり、雑誌で紹介された名物「焼鯖そうめん」の店に行列ができたりしている。落胆したのは看板が乱雑なことと、電線地中化の遅れで空が蜘蛛の巣に覆われたような見苦しさであることだ。さほど交通の便のいいところでもないのにこれだけの人出を確保しているのだから、町興しは成功しているのだろうが、電力会社が投資を惜しんでいるのか。

光があれば陰が生まれるもので、『湖北の光』はあえてその陰に目を瞑って書かれたのだろう。ただ同書は、長浜在の人との交流を通じて街の生活や祭りを眺めているのであって、私のような一見の客には入り込めない長浜が書かれている。だから私も「期待はずれだった」などという軽はずみなことは書かない。商業ゾーンを一歩外れると、街は閑静で落ち着きのある家並みが続いていて、奥深いものを秘めていそうであった。

小さな呉服店で「浜縮緬」の講釈を受けていると、「10月の出世祭りにはぜひ着物でお出かけください」などと誘われて戸惑った。せっかくだから「焼鯖すし」と「焼鯖そうめん」を食べてみる。寿司は若狭の鯖寿司と同系で旨かったが、そうめんは鯖の煮汁で煮るためかコシが失せていた。鯖の旨みを呼び込みながら、そうめんの歯ごたえも維持する調理法が編み出せたら、全国区の名物料理になるだろう。

踏切を越えて街の西側に行くと公園が広がり、子どもたちがテニスに励んでいた。再建された天守閣が妙に孤立して建っていて、その裏が琵琶湖だった。護岸も何もなく、いきなり湖面が広がっている。その何気なさが、かえって湖(うみ)と人の長い関わりを物語っているように思えた。(2007.9.2)
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