今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

592 嬬恋(群馬県)叫ぶにもキャベツ畑が気恥ずかし

2014-10-22 08:24:00 | 群馬・栃木
おそらく日本中で「恋」という文字を含んでいる自治体名は、群馬県吾妻郡の嬬恋村だけであろう。明治22年の市町村制施行時に、12の村々が合併して採用された村名で、記紀にある倭建命の伝説に由来しているという。しかし建命が妻を想って溜め息をついた「坂」が、嬬恋村の鳥居峠かどうかは誰も知らない。だが古くは「吾妻庄」と呼ばれた地であることをヒントに、それを援用して村名を考えついた知恵者がいたということだ。



この命名者が誰であったか、村は調べ出して「中居屋重兵衛」並みの顕彰碑を建てるべきであろう。なぜなら嬬恋村は、群馬県西端の山中という地勢的ハンディキャップを超えて、全国的に認知度が高いと思われるからだ。それはひとえに「恋」という、耳目をときめかせる村名のおかげである。具体的な「おかげ」の一つが、大胆にも「愛妻家の聖地」を名乗り、「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」イベントを開催できていることだ。



秋晴れの日の夕暮れ、私は一人寂しく「愛妻の丘」に登った。まさにそこはキャベツ畑の中心であり、見事に育ったキャベツが、緩やかにうねる畑をどこまでも並び続いているのだった。南方を望むと田代湖が残照を映し、吾妻川の渓谷を越えたその先は、浅間の雄大な山稜に繋がって行く。この風景のほとんどが嬬恋村であり、明治以降の開拓によって本格的に拓かれた大地だ。私が叫ぶとしたら「ここまで開拓した人は偉い!」であろう。



ところどころにわずかな未開の森を残し、余すところなく耕された畑で、大型トラクターのような重機が作業している。長い円筒形の腕が延びる装置が珍しい。それでキャベツを収穫するのだろうか。こうやって大型機械を導入し、高原野菜の代名詞といえる嬬恋キャベツをブランド化するまでに、どれほどの先人の汗が流されていることか。《開拓》はビジネスでいえば《起業》だ。開拓はリスクをひたすら労働で克服する起業である。



そうした人生に挑む人たちを、私は尊敬する。私自身は肉体的には開拓の苦労にほど遠く、資金繰りでは起業につきものの悪夢を見ることなく、既存組織のなかで社会生活を送った。開拓者に比べればラクな人生だったということになろうか。だから開拓や起業で成功した場合と違い、美田や財を次代に遺すことはできなかった。しかしそれはそれでいいのであって、人生の肝要は「おもしろき世をおもしろく生き終え」ることであろう。



汗ばむ陽気だった快晴の一日も、高原の夕暮れは肌寒さがしのび寄る。そのせいだろうか、愛妻の丘に立って浮かんで来るのは《人生》についてだ。ちなみに「中居屋重兵衛」とは、この地の名主の家に生まれ、幕末の横浜で輸出生糸の5割を扱う大商人になった人物だ。故郷に多大な恩恵をもたらし、42歳で忽然と消息を絶つ。勤王に肩入れし過ぎたため幕府に葬られたとの謎を残す快男児である。羨ましいほど面白い人生だっただろう。



このところの天候不順で、野菜の高騰が甚だしい。そこで出没するのが畑荒らしで、嬬恋村ではキャベツが大量に盗まれている。帰宅するとローカルニュースが「犯行は農作業を終える夕方以降が多く、警察では見かけない人物や不審な車がいたら通報するよう呼びかけています」と伝えている。不審者にはほど遠い私の素顔だが、車は品川ナンバーだし、サングラスと髭のせいで今ごろ通報されているかもしれないと笑った。(2014.9.19)












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