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今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

356 彦根(滋賀県)近江路は陸行するには熱暑なり

2011-07-20 23:33:06 | 滋賀・京都
米原駅で新幹線を降り、レンタカーに乗り継いで旅をスタートさせた。《周航》ならぬ、琵琶湖一周の陸路を行く《琵琶湖周行の旅》である。湖岸延長が235キロメートルの琵琶湖を、4日間かけて車で周遊しようというのだから時間的な余裕は十分にある。問題は暑さだ。例年になく早く梅雨明けした近江路は、しっかり焼け焦げているに違いなく、この日も午前10時ですでに猛暑である。時計回りに方向をとり、まずは彦根に向かう。

ひたすら《街を歩く》ことを楽しみとしている私だが、生活地や郷里といった個人的関係箇所を除くと、近江路行脚が異様に多い。何かとかこつけてはやって来ているようだ。それほどこの地を好もしく感じているということなのだろう。広々とした琵琶湖と、その上に広がる空を前にすると、気持ちが晴れ晴れとしてくる。だから今回もお城を見に登るのではなく、城の背後に回り込んで彦根港に行ってみた。琵琶湖周航歌碑が建っていた。

琵琶湖には「津」や「浦」や「浜」がたくさんあるし「島」や「崎」という地名も多い。湖畔に生きる人々にとって、琵琶湖は湖(うみ)と呼ぶ方が馴染めたのだろう。確かにこれほどの大きな湖になると、船着場はやはり「港」と呼んだ方がふさわしい。周囲の家並も「港街」といった風情であると言えないこともない。彦根港には竹生島行きのフェリーが2隻、停泊していた。

ただ、打ち寄せる波がないことや、水の色もどこか薄いあたりが海とは異なる。水の匂いが漂っては来るものの、磯臭さではないし、カモメではなくトビが舞っている。海の港湾風景に比べると、全体が静かで可愛い。淡水湖である所以だろう。これは近江路全体にいえることかもしれない。内陸にあって、激しさが似合わないのだ。

彦根城の濠なのか、あるいは琵琶湖に通じる運河か、広い水路があって「滋大艇庫」「東高艇庫」が並んでいる。滋賀大学については何の知識も持っていなかったが、彦根城の裏で経済学部の古風な講堂を見つけ調べてみた。大津の師範学校と彦根の高等商業を母体に発足した国立大学だそうで、本部は彦根に置かれている。青森における弘前大学や長野の信州大学(松本)と同様に、県庁と大学の設置を分けることで街に配慮したのだろうか。

以前にも書いたことだが、滋賀県の県庁は京都に隣接する大津ではなく、彦根に置くことが地域バランス上は落ち着いたと思われる。山に囲まれ、中央に琵琶湖が広がる滋賀県は、湖東が唯一の平野だといってよく、彦根は全県を見るにいい位置にある。だからこそ家康は、西国への押さえに側近の井伊を封じたのであって、明治政府はそんな地に県庁を置くのは恐ろしかったのだろう。

夢京橋キャッスルロードと名付けられた、近年流行りの時代村風店舗街を歩く。飲食店や土産を売る店がほとんどだが、城の遠望とよく馴染んで観光客が多い。近江路では長浜と近江八幡がこの種の街づくりの双璧だろうが、彦根も賑わっているようだ。そのエリアに「たねや」が大きな店を構えていた。近江八幡が本店の和菓子屋だが、近年はむしろ洋菓子で有名なのかもしれない。伊勢の赤福・湖東のたねやといった勢いであるようだ。

「湖東焼を育てる会」というNPOが活動していた。幕末の一時期、藩窯として名品を残した絵付け磁器を、地域の伝統工芸として再興することを目指しているのだという。夢実現へ頑張って欲しいものだ。(2011.7.15)






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