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昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

355 デンデラノ(岩手県)・・・年寄りは寄り添うてこそ口糊し

2011-07-14 12:34:18 | 岩手・宮城
遠野物語で私が最も衝撃を受けたエピソードは、巻末に採録されたデンデラノ(柳田は『蓮台野』の文字を当てている)のことである。「六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追ひやるの習ひありき。」という、姥捨て伝説らしき風習である。そして驚くべきは「老人はいたづらに死んでしまふこともならぬゆえに、日中は里へ下り農作して口を糊(ぬら)したり。」との記述だ。では捨てられた親は、息子と顔を合わせることもあったのか?

デンデラノの場所の一つは特定されている。遠野物語の語り手・佐々木喜善の生家から1キロと離れていない丘の端に「遠野遺産第21号・山口デンデラ野」の標識が立っている。よく舗装された農道と水田を離れ、わずかに丘を登ってみると、そこが背後の山から延びて来た舌状の台地の尽きるところだと分かる。水を引くことが難しい耕作不適地なのだろう、荒れ地に観光用だろうか、藁を葺いた竪穴住居のような小屋が復元されていた。

吞気な言い方をすれば、村の年寄りたちの共同隠居所のような場所だと思えないこともない。楢山節考で描かれた深山に放棄されるわけではなく、それまで暮らしていた里はすぐ眺められる近さにあるし、手伝えばとりあえずは食える。だがそんなこと以上に、この仕打ちは残酷だといえよう。腹をすかし、病み衰えて行く親がすぐそこにいるのだ。いかに食うものもなく窮しているとしても、子は親を見捨て、耐えられるものだろうか。

遠野物語は「昔は(そういうことが)あった」と表記している。喜善がそう語ったのか、柳田が昔の話だと付け加えたのか分からないけれど、「今はそんなことはない」と言っているのである。しかし「昔」には確かにそうした風習があったのだろう。むしろ年寄りが、口減らしのためにすすんで家を出ていったのではないか。そうするしか生きられない貧しさが、この地を覆っていた。

ここ山口の集落から西の小烏瀬川の対岸で、早池峰山に詣でる道すがらのあたりに、海上(かいしょ)という地名がある。そこまで登るとようやく海抜に達すると伝えられていて、遠野郷が太古、湖の底であったという地形を裏付けている。そんな遠野の冬は、とにかく猛烈な寒さになるのだと、土地の人は身を震わせて言う。デンデラノに追いやられた年寄りは、はたして冬を越せただろうか。その年齢を超えている私は、ため息をついた。

農道に戻り、カッパ淵でカッパにご挨拶しようかと山を下る。広く舗装された道が初夏の陽に焼けているのだが、通りかかる人も車もない。未耕作の田が散見され、「農業者個別所得保証制度現地確認表兼米の生産調整実施現地確認票」の札が立っている。日本の農業は進歩しているのか退行しているのか。年寄りで満員のマイクロバスに追い抜かれた。この先にある温泉保養センターの送迎車だ。現代のデンデラノは温泉送迎付きである。

青かった空に急に不穏な雲が広がり始め、この旅で初めて出遭う本降りとなった。ちょうどそこが温泉センターの入口で、私も湯に浸かって通り雨をやり過ごすことにした。「金曜日ですから半額です。有料庭園は地震で一部壊れたので、無料でご覧になれます」と笑顔で迎えられ、遠野のジジババで賑わう準天然トロン温泉で汗を流したのだった。タバコ畑で道を尋ね、カッパ淵にたどり着く。カッパは留守だった。(2011.6.30-7.1)







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