地域コミュニティの人々の画像、連発 ~画像から地域コミュニティづくりの魅力を感じてもらう~
★午前中は、プール清掃、教育実習生の授業参観、主任会。 午後は、実習生が在籍する大学の教授と面談、保護者との教育相談。 夜は、小中合同のすこやかみなみネット実行委員会。 これらのあいまに、来週、某町でやることになっている「まちづくり研修会」の資料づくり。 テーマは「保・幼・小・中の連携(垂直軸)に依拠した学社連携・融合(水平軸)の推進」。 これは本校の経営の重点2=「学校・家庭・地域が協働できる教育システムづくりをめざし、小・中PTAを核にすこやかみなみネット事業を推進する」と、ほぼ重なり合う。 ま、重なり合うから引き受けた。 だから、今回は、これまでの資料(パワーポイントのスライド等)を少し手直しする程度でいいと思っている。 でも、手直しはきちんとやるつもりだ。
手直しの観点―― ①地域「教育システムづくり」に携わる、多くの人々を紹介する。 これまでも紹介はしてきた。 だが、今回は、もっと徹底する。 1枚のスライドに10枚、20枚と人々の画像を重ねる。 「連合町内会長です」「安協の支部長です」「子ども会の会長です」「MINAMIネット会長の48やんです」「本校の研修主任が授業力向上の5原則を説明しています」「教務主任の乱氏です」……。 画像から伝わる「真剣さ」「楽しさ」「おもしろさ」「あたたかさ」等々から、地域コミュニティづくりの魅力を感じてもらいたい……味わってもらいたいと考えている。
②僕はいつも、ついつい内容を盛り込みすぎる。 語りが駆け足になる。 問いかけを挟みながら聞き手にも考えてもらうという語りが、まったくできない。 今回は、スライドを提示するとき、聞き手がスライドを見る、僕もはじめてスライドを見るような気分で見る……この一瞬の間がとれるように、資料の量を大幅に減らす。(①の画像は、パッパッパッと見てもらうものだから、これが増える分には問題はない。)
③スライドのメッセージを練り直す。 前回、別な会場で使ったスライドの例なのだが、スライド上のメッセージは「連携&融合の調整に特化」となっている。 が、実際の説明では「花火をあげようとするのではなく、既にある活動と活動の間に連携を創りだしていく、融合を創りだしていく。地道なコーディネート活動に徹する」といっている。 言語レベルに差があり過ぎる。 スライドは「花火をあげるのではなく、地道なコーディネートに徹する」とでもすべきだろう。 メッセージが練られていないスライドは他にも何枚かある。 この際、これを、ぜんぶ再チェックする。
④前回、「6つのポイント提示型」で全体を組み立てたために、単なる説明に終始してしまった。 今回は、6つのポイントのうち、ポイント提示型3つ、問題解決型、ストーリー型3つで構成する。
教師修業・模擬授業150回をめざして
★午前中の主任会のあと、研修主任の公磨Tと、昨年度末の教育課程編成の際にまとめられた「授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善(模擬授業研修の増設)」計画と、その進捗状況について意見交換をする。
〈参考資料〉――教育課程編成時の改善案 ☆授業に関する教師の基礎・基本の修業方法の改善=模擬授業研修の増設。 現行=年間の模擬授業回数100回→150回。 これは「各教科部会運営方法の改善」と関係する。 現行の教科部会は月に4回。 新年度はこれに職員会議後の教科部会が新設される。 月に最大5回。 このうち1回の教科部会において模擬授業を実施することになった。 詳細は研修部で検討中だが、あらましは―― ①実施する当日の職員朝会で授業者、時間、場所を知らせる。(「当日」ではなく、「週のはじめ」あるいは「1週間前」という案も出たが、「当日」ということになった。この議論がすごくおもしろかった。) ②参加者は、当該教科の担当者と、その時間が空き時間の他教科の教員(自由参加)。 ③実技教科(音楽・美術・技術家庭・保健体育)は、職員会議後の教科部会で実施する。 概算、教科部会内で実施する模擬授業は、1教科年間7回。 5教科+実技教科=6教科。 7回×6教科=42回。 現行100回+42回=142回 これにその他の、視察&取材&どこ模(いつでもどこでも模擬授業の略等)等、特設模擬授業が加わるから、だいたい150回超ということになる。〈以上、参考資料〉
ああ、僕は草陰に鬱屈している
★午後3時過ぎから小一時間、校庭の部活動を巡回。 生徒のかけ声、ボールとバットがぶつかる音、生徒の動き等に、僕のカラダが対応していないのがよくわかった。 ボールとバットがぶつかる音がカラダに突きささる感じがした。 思わず、カラダが縮こまる(ノ△・。)。 ああ、最近の僕は、草陰に鬱屈している。
〈全校朝会のスピーチ〉 深海魚みたいに自家発電して生きる
★先週(6/4)の全校朝会のスピーチ。 僕の記憶と手もとのメモから、文字化すると――。
新学期がスタートして、4月、5月と、2ヶ月が過ぎた。 きょうは、ちょうど、1学期の中間点だ。 始業式や入学式で話したように、中学という時代は、人生、独立に向けて、一歩一歩前進していく時代だ。 独立に向けて一歩一歩前進するというのは―― ①育ててくれている人にかける心配の量を減らしていくこと、悲しませる量を減らしていくこと、 ②使わせるお金の量を選らしていくということだ。 ③そして、逆に、喜んでもらう量を、どんどん増やしていくことだ。 1学期の中間点にあたり、自分が、そのことができているかどうかをチェックしてみよう。 そして、きょうからまた、1学期後半に向け、気持ちを入れかえて、中学という時代の、一歩一歩をスタートしよう。
そのスタートにあたり、わたしが、今、みなさんについて、かなり気にしていること……心配していることがある。 その心配の中味を話します。 人生、生きていると、ド~ン!と落ち込むことがある。 特に、人生独立に向けて、一歩一歩前進しはじめたときには落ち込むことも多い。 ド~ン!と落ち込んで、もう生きる意味もなにもわからなくなるということがある。 わたしは、この落ち込む経験が、むしろ人生にとって大事なことだと思っているし、さらに、その落ち込みから、どうはい上がるか、これはもっと大事なことだと思っている。
友人の励ましで、はい上がることもある。 親の励ましで、はい上がることもある。 先生の励ましで、はい上がることができたということもある。 それは、わたしも経験があるし、また、たいへん貴重なことだと思っている。
しかし、これだけでは、ダメなんだ。 はっきりいうけれども、これだけでは、あまい。 あまえている。 ピンチに陥ると、いつも、だれかが声をかけてくれるのではないか……と期待する。 これまでのわたしの経験からいうと、そういう期待は、薄汚れた期待といっていい。 友人の励ましを待つのではない。 親の励ましを待つのではない。 先生の励ましを待つのではない。 そうではなく、自分で自分を励ます、自分で自分を励ますことによって、ド~ン!と落ち込んだところから、はい上がっていく力をもたなければいけない。
「では、自分で自分を励ます力って、どうすればつくんですか?」と質問する人があると思う。 これは……う~ん、ま……しかし……やはり、自分で見つけだす以外にない。 そういう方法があるなら、わたしも聞きたいくらいだ。 わたしも今、あることで自分に絶望している。
ただ、君たちの人生の先輩として、ヒントなら与えることができる。 それは、だれかが励ましてくれるのを、ただ待つのではなく、自分から「先生、今、わたしはこういう状態です。どうしたらいいでしょうか?」と、たずねることだ。 「お母さん、どうすればいいでしょうか」と、自分からたずねることだ。 「おじいさん、どうすればいいでしょうか」と。 それに、もうひとつ、自分の苦しみにこたえてくれる書物をさがしてみることだ。
6月、いや、6月、7月、みなさんが、自分で自分を励ます力をつけることに挑戦してくれることを、強く望みます。
話は、これで終わりです。 話は、いったん終わって、はずかしいが、少しだけ、わたし自身のことを話す。 わたしが25歳か、26歳の頃、すごく落ち込んでしまったことがある。 3月から4月にかけてのことだった。 落ち込んでしまい、春の連休は、もうだれにも会わず、ずっと寝ていた。 仕事(教師)もやめようと思っていた。 そのとき、すぅ~っと伸ばしたわたしの手に触れた書物がある。 偶然というのは、ほんとうに不思議なものだ。 手に触れた書物を読みはじめると、止まらなくなった。 何時間も読みつづけた。 そして、読み終わったとき、わたしはすごく元気になっていた。 その書物が、ド~ン!と落ち込み、周囲が真っ暗闇だと感じているわたしに「だいじょうぶだよ。真っ暗闇と向かい合っていると、きっといいことあるよ」と、わたしを励ましてくれた。 ま、今から振り返れば、その書物がわたしのエネルギーになって、わたしは、光を発する深海魚みたいに自家発電しはじめたのではないか……と思う。 きょう、出かけに、その書物を持ってきました。 これです。 書名は『○○○○○○○○○○』 作者は、○○○さんです。 今は、もう絶版になっています。 図書室の苫小牧先生に頼んで、図書室に置いてもらいます。 図書室に寄贈します。 読んでみようと思う人は読んでください。
以上で、わたしの話を終わります。(以上、全校朝会のスピーチ)
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