職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★教師修業シリーズ「日本の中学校改革の本丸は、学校・家庭・地域の協働による部活動改革だ」編

2013-12-19 20:10:03 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急
★教師修業シリーズ「日本の中学校改革の本丸は、学校・家庭・地域の協働による部活動改革だ」編
2013
12.19

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★今さらながら、こんなことを書くのは、ホンマ、はずかしいことなのだが、昨夜、ひとつ重要なことに気がついた。

 僕が、毎日、舞台(授業教室)裏で、せっせと授業を記録し、授業ルポ(A4判用紙2枚=2000字+画像2枚)を発行するときの「授業者と僕の関係」は、ダウンタウンと高須光聖、とんねるずと秋元康、ウッチャンナンチャンと内村宏幸、さまぁ~ずとたかはC・石田、千原兄弟と松本人志、バナナマンとオークラ、SMAPと鈴木おさむ等との関係と酷似している……と思った瞬間、大きな違いに気がついたのだ。

 「重要なこと」というのは、このことだ。
 高須光聖、秋元康、鈴木おさむたち、座付作家は、観客に喜んでもらうために、毎日、せっせと番組台本を書いている。
 これは僕も同じだ。
 「観客」を「生徒&保護者」に置き換えればいい。
 が、僕と違うのは、彼等は、同時に、ダウンタウンやとんねるずやSMAPたちの新しい可能性を拓くために渾身の力を振りしぼっている。
 この後者の意識が、僕には弱かったように思う。

 「生徒&保護者」のための「授業ルポ」は、もちろん結果として、授業者の新しい可能性につながっているとは思う。
 しかし、重要なのは、僕がそれを強く意識しているかどうか……ということだ。
 すごく悔いている。
 猛省している。

 ああ、教室裏の座付作家の、再出発やね。

職員通信 2013/11/11号
★教師修業シリーズ「日本の中学校改革の本丸は、学校・家庭・地域の協働による部活動改革だ」編
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★僕の話は、いつでもどこでも――
 《日本の教育危機の元凶は、学校の教育独占体制(あるいは「学校の教育丸抱え体制」)にある。
 教育独占、教育丸抱え、学校は、社会の求めに応じ、何でもかんでも抱え込み、抱え込み、既に身動きがとれない状況に陥っている。
 たとえば、理科の教師は肝心要のあすの授業における実験の準備に割く時間も見出せないくらいに、授業以外の仕事を抱え込み――もうパンク寸前FUNKパンパカパンパンパン、いや、パンク状態。
 学校の教育力が極端に低下している。
 また、学校が(好むと好まざるとにかかわらず)授業以外のことを、どんどん抱え込んでしまうものだから、当然のこととして、家庭の教育力、地域の教育力も低下していく。
 これを修正し、学校・家庭・地域、それぞれの教育力がバランスよくならないかぎり、どんな教育力向上施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらない。
 逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ。
 そのためには……》
 ――という口上から始まる。

 僕が今、教育コミュニティ・MINAMIネットの点検項目のトップに「部活動改革」をあげているのは、MINAMIの部活動の現状が「学校の教育独占体制」の象徴である……これに手をつけないで、他をいくらいじくっても――たとえば「他をいじくる」例として「学校事務の組織化から学校改革へ」がある。これはやらないよりはいい。いや、やるべきだ。しかし、これにとどまっている限り――ほんとうの改革は進まない……という認識があるからだ。

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★教育コミュニティ・MINAMIネットの眼目は「学校・家庭・地域の3者が連携・融合・協働して、それぞれの教育がバランスよく行われる教育環境をつくろう」ということだ。
 そのために、まず「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげよう」としている。
 「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげる」ために、MINAMIネットでは、
 ・学校・家庭・地域の情報交換会
 ・情報誌の発行
 ・地域ぐるみで行うあいさつ運動
 ・小・中、公民館合同文化祭
 ・地域環境美化活動
 ・地域防災・防犯訓練
 ・地域巡回活動
 ・学校支援ボランティア活動――等々、さまざまな連携・融合・協働活動に取り組んでいる。

★活動内容をみるとわかるように――ま、はっきりと、あるいは、アイロニカルにいうと――MINAMIネット創設以来、意識的に、ターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきた。
 これだと、家庭や地域の諸団体が合意しやすいし、取り組みやすいからだ。
 が、しかし、これらは、みんな、それぞれ、大切なことではあるが、改革の本丸ではない。
 これらは、改革のレベルでは、「学校事務の組織化、効率化」といっているのとなんら変わらない。
 やはり、次の段階として、これらの活動と並行しながらも――これまで意識的にターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきた、その「限定」を解除し――意識的に新たなテーマ、すなわち、「改革の本丸=部活動改革」に取り組んでいかなければいけない。

 ただし、ターゲットを変えると、すなわち、「荷の軽い協働」から「荷の重い協働」にギアを切り替えると、ネットワークの質が大きく変わる。
 よほど慎重にやらないと、一瞬のうちにネットが崩壊することになる。

0003

★僕の出だしの口上は威勢がいいのだが、失敗の連続で臆病がしみついている僕の終わりの口上はいつも――
 《教育に関していちばん荷を抱え込もうとしているのが学校です。
 この学校が、ダムの水を徐々に、計画的に放流するように、アウトソーシング計画をもたなければ事態は改善しません。
 この「アウトソーシング推進計画」が、やがてMINAMIネットのターゲットになる日を夢見ています。》――
 と、ホンマにホンマに、なさけないくらいに、泣いてしまうくらいに、ぼんやりとしている。

 先日、MINAMIネットの中心人物である、地域のある男性と、ある懇親会で雑談した――
 彼は、僕の、学校経営の理念、経営の手法、あるいは、MINAMIネットにかかわる学社連携・融合事業の展開方法などに関して、こちらがはずかしくなるくらいに「ベタほめ」してくれた。
 が、最後の最後に「ただし……」といって、
 「不満がひとつあります。学校部活動のやり方です」とつけくわえた。
 場所がお祝いの席上だったので、互いにそれ以上の展開は避けたが、朝練禁止、延長禁止、土・日の活動禁止、「家庭・地域の日」の活動禁止、新しい大会への出場禁止……等々に対し、日頃、積極的に学校部活動にかかわっている彼の怒りは、もう爆発寸前なのだ。

 僕は「学校通信」等に、ことあるごとに「改革の本丸=学校部活動改革」のストラテジーを提示している。
 表のトーンは、いつも述べる「本校区の実態を見据え、学校と保護者と地域の方々とで改善・改革の理念を共有しつつ……」というあいまい路線なのだが、よく読めば、部活動は学校外活動と位置づけ(←元々、「学校外活動」なのだが……)、教職員の本務(←元々、「本務」ではないのだが……)から切り離そうとしていることがわかるようになっている。
 僕は「学校通信」用に「改革の本丸=部活動改革」の原稿を書くとき、読み手を次のように想定している。
 多くの保護者は読まないかもしれない。
 しかし、わずかながら熟読する人もいる。
 熟読する人は、積極的学校部活動推進派と学校部活動廃止派に分類できる……と。
 彼と話をすると、いつも「ああ、熟読してくれている」と感激する。
 しかし、もちろん、彼は僕とは正反対の「積極的学校部活動推進派」なのだ。

 MINAMIネットは、何もないところから、「まだ見ぬMINAMIに会おう」を合い言葉に創設し、ここまでやってきた。
 ここまでやれたのは、中核エネルギーとして獅子奮迅の活躍をしたPTA幹部(彼もその一人)のおかげだ。
 さっき「よほど慎重にやらないと、一瞬のうちにネットが崩壊することになる」といったが、彼との激突による「崩壊」も念頭においている。

 ああ、シンドイ話だ。
 日暮れて道遠し。
 しかし、ここで絶望してはいけない。
 まず全員強制加入制から任意加入制への転換。
 任意加入制にさえ転換すれば、学校・家庭・地域それぞれの教育がバランスのとれた、豊かな教育環境創出に向けて、一気に改革を進めることができる。
 現在、学校部活動全員加入制支持=73%
 学校部活動任意加入制(あるいは廃止)支持=27%
 もちろん、学校部活動任意加入制(あるいは廃止)支持「50%」までには相当な隔たりがある。
 しかし、千里の道も一歩から……学校部活動任意加入制(あるいは廃止)支持=27%を30%に……というと、明日からやることが次々に見えてくる。
 僕のうちに鋭いエッジによる「疾駆感」が満ち満ちてくる。
 停滞と逡巡のゆたかさに酔っている場合ではない。

★きょうの話の最後に、少し観点を変えて、僕のいう「学校の教育独占体制(=教育丸抱え体制)」を強める方向に作用したと思われる点について、自分自身の勉強のために、確認のために、粗く3点あげる。

 1つは、学校中心自治民育体制。
 昭和7年文部省訓令「学校少年団」
 昭和16年「大日本青少年団」
 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」等々……
 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったと思われるのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されたこと。

 2つ目が、教育爆発現象。
 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。
 受験のための狭義の学力観(=価値観)に地域・家庭も追随していったこと。

 3つ目は、地域社会構造の変化。
 職住分離・核家族化が進行したこと。

 この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、もう1つあげるなら、「学習指導要領」(文部科学省)の問題だ。
 なにかあると、学習指導要領に取り込み、学校で取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向(なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身までもそう思いこむ)をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を奪ってしまった。

 蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を奪ってしまったと書いたが、残念なことに、現学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。
 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。
 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。
 バカげた話だ。
 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協、あるいは「取り込み」が積み重なり、積み重なり、既に40年前に、第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。
 まだ懲りないのか?

 記述内容がぼんやりしたままで忸怩たるものがあるが、きょうは、これで終わる。

★画像は、MINAMI小・中連携授業研究会の授業参観の場面。
 小・中学校の連携がしっかりしていることが、学校側、地域側、双方向の連携推進の条件である。
 小・中学校の方針がバラバラだと、継続的な学社連携はほとんど進まない。

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