職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

有田和正氏との認識の違い ~なんとでもなる~

2007-01-31 09:55:28 | Weblog

07.01.31 有田和正氏との認識の違い ~なんとでもなる~


■水曜日(1/24)の主任会で生徒の処遇・対応について話しあった。
 内容は、ま、いってみれば、処遇方法・対処方法という技術的な話だったが、その過程で、右図に示すような教師の人間性の話をした。
 品性があり、かつ子どもにやさしくあたたかい教師 A というのは最高だ。
 しかし、これはなかなか(自分も含めて)むずかしく、まだまだ距離があるというのが現状だ。
 だから、まず個々の教師が真摯に自らをふりかえり A に近づく努力をすること。
 加えて、自分がどういう性格と程度の人間であるかという、いわば自己感覚は他人との関係によるところが大きいから、学年というチーム(組織)を生かして互いに批正し合い、A に近づく努力をすること、主任はそのリーダーシップを取ること……というような文脈だった。

■その次の日、たまたま『現代教育科学2月号』を開いたら、有田和正氏が人間性と教育技術について次のように書いていた。


(前略)左の図で、最近、BとCの位置が入れかわったようだ。人間性のよさと、技術をもっている人のどちらを上とみるかむずかしい問題である。
 人間性がよければ、素直であれば、他人の意見や注意をよく聞き入れ、技術は身につきやすい。
 しかし、技術があり、知識が豊かだが、人間性がよくないのは、教育がむずかしい。人間を変えることはむずかしいものだ。子どもでさえ、性格のねじれた子どもを教育するのには手をやく。一筋縄ではできない。
 まして、教師ともなれば、よほどの手をうたなければ、人間性を変えることはむずかしい。そこで、少し知識は足りないが、人間性のよい人を採用して、教育して技術・知識を身につけされるほうがやさしい。(後略・有田論文引用以上)

■わたしと有田氏の記述について3点箇条書き的に述べる。


①まず軸のとり方が違う。有田氏の「人間性」を、わたしはさらに「品性」と「温かさ」に分けている。
 人間性を変えることは「むずかしい」という認識は共通している。
 しかし、有田氏は「人間性に問題のある教師を変えるのは至難の技」と述べ、わたしは「なんとでもなる」と思っている。
 この点は有田氏と大きく異なる。
 わたしは(わたしの図で)D→Aは確かにむずかしいが、D→C、あるいはD→Bはなんとかなるし、やがてはB→A、C→Aも可能になるのだと信じているからだ。

②授業の(超)名人・有田氏から「最低これだけは身につけたいという」技術5点を聞き出せたのは大収穫!

③今、有田氏との認識の違いをこれ以上突きつめるつもりも余裕もない。
 ただ、これが「品性」のポイントだ、これが「やさしさ・温かさ」のポイントだと思っているものはある。
 きょうは後者だけを示す。
 毎度、提示する図(右)だ。
 対象の生徒と一体になれているか? もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。その生徒の味方になれているか? もし、なれていないとすれば、自分はどうすればいいのか考えよう。
 これは教師も親も同じだ。


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