職員室通信・600字の教育学

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高村祭アルバム2――今回、高村祭参加の僕の目的のひとつが、谷口さんの花巻弁による朗読を聴くことだった

2011-05-19 15:29:23 | 高村光太郎


2011
05.19
高村祭アルバム2――モンデンモモさんの歌は「無数の強いエレクトロン」を見事に歌で表現


★高村祭・西南中1年67の演奏。
 提案=教育の中でも特に中学校教育に携わっている者として忌憚なくいえば、僕なら中学1年ではなく、光太郎に、中学3年の歌を聴かせる。
 光太郎の感情を圧倒する。
 「これが日本産の声」「これが太田産(厳密には驫木?)の声」と光太郎を驚かせてやる(^_-)。



★高村祭・詩の朗読――花巻南高生2名&花巻高等看護専門学校生1名。
 提案=このプログラムに限定して公募してはどうだろうか?
 地域制限なし。 
 年齢制限なし。
 ただし、高村光太郎の詩&文章に限る。
 CD、miniDV、DVD、テープ等で応募。
 朗読もOK。
 群読その他もOK。
 「日本産の声」「世界共通の声」を光太郎に聴かせたい。
 僕も応募する。

★高村祭・花巻高等看護専門学校1年生38名の演奏。
 太田小、西南中と同様、高村祭には欠かせない。
 合唱隊形に整列する看護学校生の姿は、光太郎山荘、詩碑、紅白幕、光太郎の遺影、色の異なる若葉が重なりあいつつ、沸きあがる会場、若葉の上の青い空……に溶け込んでいる。
 高村祭の象徴といっていいだろう。
 願わくは3年生を。







★高村祭・講演=谷口秀子「おもいでの光太郎先生」。
 今回、高村祭参加の僕の目的のひとつが、谷口さんの花巻弁による朗読を聴くことだった。
 朗読は超がつく一級品。
 くわえて、当時の花巻から山荘へのルートや、(今、僕の手元にある)「花巻賢治子供の会」の写真撮影に至った経緯&背景等が講演を聞いてよくわかった。
 改めて写真をみると、左端のほうに、60年前の谷口秀子さん(らしい人)がいる。
 この写真の中の「人物」から話が聞けるとは、世の中、ホンマ、何が起こるかわからない。





★高村祭・歌=モンデンモモ「道程」「もしも智恵子が」。
 モンデンモモさんの歌は、詩の終わり4行「もしも智恵子がここに居たら/奥州南部の山の中の一軒家が/たちまち真空管の機構となって/無数の強いエレクトロンに飛ばすでしょう」の「機構」や「無数の強いエレクトロン」を見事に歌で表現できる人だ。
 すばらしい。
 洋々とした季節のなかで涙が出た。










★関連記事
光太郎が、わたしの精神の内側に沿って魂の底に侵入したことが、これまでに2度ある。1度目は、わたしが大学時代、卒業論文で、大東亜戦争下の詩人たちの戦争期から敗戦期に至る精神の変遷を取りあげているときだ
大東亜戦争下の詩人たちの戦争期から敗戦期に至る精神の変遷を取りあげたわたしの卒論は、難航する。理由を粗くいうと、戦争期に、戦争の趨勢に関する、特別な情報をもたず、ただ軍艦マーチが鳴ればよろこび、海行かばが流れれば哀しみという具合に一喜一憂する、その詩人の内面については、感情移入が比較的やりやすかった。それにくらべ、敗戦期の、(昨夕の表現でいえば)深い挫折感、あるいは一種の解体現象については、追体験がむずかしかった


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