職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★橋蔵平次は18年間888回、決め手の銭を飛ばした。僕も毎日決め手の「職員室通信」を発行しつづけたい

2013-04-11 14:23:12 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 MINAMIでは100年たっても国語は今枝T……
2013
04.11


★2013/01/23(水)08:02以来、僕のテーマソングであったコレッリの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 Op.5(抜粋)」を、2013/04/10(水)08:36に、J・S・バッハのブランデンブルグ協奏曲第5番に替えた。
 パイオニアX-HM50に、昔、僕が僕の初めてのボーナスで購入した音響コーラルのFLAT―6Sスピーカーを接続して聴いている。

 画像は、ONKYOスピーカー=D-77MRX。
 こういうスピーカーで聴ければいいなぁ~と思っている(*^_^*)。
 価格COMで値段を調べると、最安価格(税込):72,800円。
 単品の値段だから、2つ買うと、145,600円。
 夢のまた夢だ。
 かりに購入したとしても、今度は新しいアンプがほしくなるはずだ。
 だから、FLAT―6Sでガマンすることにする(ノ△・。)。

★ここ、しばらく、僕は「混乱」のなかにいた(*^_^*)。
 このためにホームページの更新も思うようにできなかった。
 「混乱」は、粗く、2つある。
 1つは、僕のホームページの二重構造――外枠「茫漠特急」と内枠「職員室通信」――の問題。
 外枠「茫漠特急」は、基本時制=過去・現在・未来でいうと、現在に分類される。
 「現在の僕の日常」のことだ。
 内枠「職員室通信」は、僕がかつて中学教員だった頃の記録だ。
 だから過去に分類される。
 問題は、この「過去」と「現在」の関係を、僕が、きちんと、短く、言い切れないことにある。
 問題を早急に解決するために、ホップないしはステップとして、まず、今、ぼんやりとわかりかけていることを書いてみる。

 ①「現在の僕」は「職員室通信」の世界から、四六時中、抑圧を受けている。
 しかし同時に、この抑圧がないと、「現在の僕」は崩壊する。
 雨降りのなかで傘をさしていると、雨粒のプレッシャーを受ける。
 しかし、目の距離を取ると、傘をさしている僕のカタチは、雨粒にフチ取られ、支えられている。
 フチ取りがなくなると、僕はまちがいなく消える。

 ②「茫漠特急」というのは「現在の僕」であると同時に、過去の「職員室通信」の世界を疾駆する「現在の僕」の名前でもある。
 だから、きちんと呼ぶとすれば「茫漠特急号」だ。
 「茫漠特急号」は、現在と過去を行ったり来たりしている。
 だから、「茫漠特急」は「職員室通信」の中に存在すると同時に、外に存在する。(今、ぼんやりとわかりかけていること、以上。)

★もう1つは、「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」の問題。
 これも、今、ぼんやり感じていることを、ぼんやりしたまま書くとすれば――

 十数年間、呪文のように唱えてきた命題「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」はまちがっているのではないか?
 以前、TVニュースを観ていたら、外国の映画監督がインタビューを受け「自分がしあわせになれるモノを創りたい」と発言していた。
 映画監督の顔も名前も、そのとき話題になった作品も忘れてしまったが、監督の発言は鮮明に僕の心に残った。
 あいだをはしょって――しっかりしたことを書くのだったら、コマゴマと、張り切って書くのだが、ぼんやり感じていることを書くというのは、なんとなくつまらないから――はしょってはしょって、ぼんやり感じていることの結論めいたことだけを書くと――

 ①「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」ではなく、もっともっと限定して「僕がしあわせになれるカタチ=HPのカタチ」なのではないか?

 ②映画監督の発言とともに関連して、もうひとつ思い浮かぶ光景がある。
 小説『恋する家族』(三田誠広)の、次の場面だ。

 現実のジャイアンツに興味を失った兄は、パソコンで野球ゲームのソフトを作り、自分だけのリーグ戦を始めた。
 打者や投手の成績をあらかじめインプットしておくと、毎日、コンピュータが勝手に試合をして、成績をハードディスクに記録する。
 もちろん、ディスプレイで中継を見ることもできる。
 1度、兄が見ているディスプレイをのぞいてみると、ジャイアンツの一塁手はもちろん駒田のまま、三塁手は原辰徳。
 センターは何とクロマティだった。
 兄の野球ゲームでは、時間が止まっている。
 たぶんエースは、江川卓だろう。
 トップバッターは青い稲妻の松本だろう。
 ここぞという時の代打は、もちろん中畑。
 いまごろ、兄の巨人軍は、連戦連勝。
 首位を独走しているに違いない。……(『恋する家族』引用、以上)

 なにをいいたいのか?
 「僕がしあわせになれるカタチ」が、基本時制=過去・現在・未来でいうと、現在でもない、未来でもない、過去にあるのではないか?ということだ。
 そして「兄の巨人軍」は「僕がしあわせになれるカタチ」のメタファーだ……ということだ(ただし、断っておくが、僕は巨人ファンではない)。
 僕は、これまでラッキョウの皮をむくように生きてしてきた。
 ある時点(←かなり、昔の話)で「あっ、このままラッキョウをむきつづけると、結局、自分の手のひらにはなにも残らない……」と気づいた。
 でも、ラッキョウむきは、なかなか止まらない。
 どうしても止まらない。
 止まりかけても、ズルズル、ズルズルと――「向日性」ということばがあるが、精神が明日へ明日へと向かっていく、いわば向「明日」性、または向「未来」性のように――前進していった。
 この向「明日」性を完全に止める。
 「ミネルバのフクロウが夕暮れ時に飛びたつ」ように、僕も夕暮れ時に過去の時間帯に限定して飛び立つ……。

 ③このメタファーをさらに具体化すると――
 『銭形平次』 ←大川橋蔵、いわゆる「橋蔵平次」)
 1966年5月4日~1984年4月4日、888回、18年間。
 「親分、てってっ、てぇへんだぁ!」と八五郎は18年間、888回、平次の長屋に飛び込み、平次は18年間、888回、決め手の銭を飛ばした。
 来る日も来る日も、僕は――ま、888回はむずかしいかもしれないが――MINAMIで決め手の「職員室通信」を発行しつづけたい。
 MINAMIでは、100年たっても、国語は今枝T・八重T・苫小牧T、英語は小和田T、保体は範T・安代T、家庭は都丸T……教務主任は乱氏、研修主任は公磨T……という世界。

★メモ
 ①こうして書いてくると、2つの混乱――僕のホームページの二重構造問題と、「僕の存在のカタチ=HPのカタチ」の問題――が密接不離の関係にあることがわかる。
 ②今年度(2013年4月~)は、この問題を追究する1年……ということになるのかもしれない(*^_^*)。
 ③今後の予想として、「ホームページの二重構造問題」の外枠と内枠の境がフレキシブルに変化していくのではないか……と考えている。。


職員室通信 2013/04/11号
★悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来なさい

◆始業式・式辞
 3月の卒業式、修了式、離任式……ときて、4月に入り、新任式、新クラス発表、そして、始業式、入学式。
 砂時計の残り少なになった砂の一粒に過ぎない僕、ないしは運命の歯車の一つ過ぎない僕を感じる。
 ま、こういう感覚はイヤではないけれども……。

〈始業式・式辞〉

 1年間、毎日、毎日、生活していた教室を離れる。
 いつもいっしょにいた友人と離れる。
 お世話になった先生と離れる。
 転校という大きな変化があった人もいます。
 自分とつながっていたものから離れて、ポツンとひとりになる――これって、独特の雰囲気ですね――さびしいといえばこれほどさびしいことはない、さっぱりしたといえばさっぱりしたともいえる……(*^_^*)、この今のみなさんの「感覚」を大切にしてほしいと思います。

 ひとりになることによって、これまであまりに意識しかなった「自分の今の姿」「心のカタチ」が、鮮明に見えるようになる。
 あるいはまた、これまでの自分の一歩一歩が、夜、雷がピカッと光ったとき、パァ~ッと風景のすべてが見えるように、自分の足跡が見えるという時期です。
 今の自分の、心のカタチと、これまでの一歩一歩を点検しながら、大切にしながら、今年度の1学期、新しい一歩を踏み出しましょう。


 改めて、新2年生への進級、おめでとう。
 新3年生への進級、おめでとう。
 ここに、こうしている、みなさんで、力をあわせて、「MINAMI中生でよかった」「MINAMI中生であることを誇りに思う」と、心から思える――わたしもそうです、「MINAMI中の教職員であることを誇りに思う」と、心から思える、よい学校にしていきましょう。
 よい学校というのは、「在る」ものではありません。
 あちこちに、ころがっているものではありません。
 先輩たちから、しっかりと受け継ぎ、それを1㎜でも0.1㎜でもよくして、それをしっかりと伝えていくという、ギリギリの努力をして、いい学校を創り出していくのです。
 こういう意味で、新2年生、新3年生の役割は大きい。

◆きょうの始業式にあたり、「上級生」として心がけてほしいことを1点、そして、「中学という時代を生きる人間」として忘れないでほしいことを1点、お話しします。

 まず、「上級生」として。
 いばる上級生にならないでほしい。
 いばる上級生ほど、みっともないものはない。
 下級生がいばるのは、かまわない。
 いい学校や、いいチームは、下級生がいばっています。
 上級生は、絶対にいばりません。
 わたしが、ず~っと、大切にしている、ひとつのエピソードがあります。
 明治大学の野球部の話です。
 もう今はお亡くなりになりましたが、有名な監督がいました。
 島岡監督。
 37年間、明治大学の監督をしました。
 明治大学の野球部は、全員、寮で合宿しています。
 その寮を島岡寮といいます。
 この寮のトイレ掃除は、だれがやるか?
 島岡寮では、最上級生がやることになっています。
 大学ですから、1年生、2年生、3年生、4年生がいる、その4年生がトイレ掃除する。
 それも、キャプテンが先頭になって、責任をもってやる。
 今、楽天の監督・星野仙一さんも、明治大学の野球部出身で、キャプテンでしたから、毎日、毎日、トイレ掃除をしたそうです。
 今のようなトイレではないから、たいへんだったそうです。
 そのトイレを素手で、ピカピカに磨きあげたそうです。
 いやなことは、下級生にやらせない。
 いやなことは、「わたしたちがやるよ」という、やさしくて力持ちの上級生になってほしい。

◆次に「中学という時代を生きる人間」として、忘れないでほしいこと。
 これはなんどもなんども言ってきたことなのですが、中学という時代は、どういう時代かというと、いろいろあるけれども、いちばん大切なのは、親の保護、親べったりから、人生、独立に向けて、一歩一歩踏み出していく時期だということです。
 では、独立に向けて一歩一歩踏み出すとは、具体的にどういうことか?

 「お父さん、あるいは、お母さん、ここまで育ててくれてほんとうにありがとう。まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやり、お父さん、あるいは、お母さんにかける心配の量を減らし、悲しませる量を減らし、また、もう中学生だから、お金を使わせる量も減らしていきます。そして、なりたい自分をめざして、いっしょうけんめいに、がんばります」ということなんですよ。
 これが、独立に向けての一歩一歩です。
 だから、逆に、親に心配をかける量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 親を悲しませる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
 お金を使わせる量を増やしている人を、中学生とは言わない。

 悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来なさい。
 叱るのではありません。
 わたしも、あなたといっしょになって考えたいと思っています。
 ぜひ、来なさい。

 新しい年度の1学期、MINAMI中生、ひとりひとりが、真に独立に向けて一歩一歩、踏み出してくれることを強く期待します。

 最後になりますが、「歌声が響く学校」日本一を実現しよう。
 品格日本一を実現しよう。
 学力日本一を実現しよう。
 そして、大いに読書しよう。
 月、火、水、木、金、5回の昼休みのうち、1回でもいいから、図書室に行って、いっしょに本を読みましょう。
 本を読まないで高校生になってしまったら、たいへんだ……と、わたしの願いを述べ、式辞とします。(始業式式辞、以上)

〈入学式・式辞〉


 春の光りがふりそそぐ、このよき日に、日頃、本校に何かとご援助を賜っております、多数のご来賓のご臨席を得まして、入学式が、このように、盛大に行えますことを、心より感謝申しあげます。

 新入生のみなさん、入学おめでとう。
 今、みなさんが見ているステージの上のほうに、本校の校章があります。
 ステージの奥の壁にもあります。
 みなさんに向かって、うみねこが、力強く羽ばたいています。
 これは、本校の教育目標、①心豊かで、②自ら学び、③健康なMINAMI中生を表しています。
 新入生のみなさんが、この校章のうみねこのように、元気に、はつらつと、未来に向かって、力強くはばたいてくれることを強く願っています。

 また、校章のコバルトブルーは、太平洋の海の青、空の青をあらわしています。
 この海の青、空の青の中を、群れをつくらないで、何にも染まらないで、たった一羽で、たったひとりで飛んでいます。
 中学という時代は、親の保護、親べったりから、人生、独立のための第一歩を踏みだす時期です。
 このうみねこは、こう言っています。
 「お父さん、あるいは、お母さんのお陰で、ここまで、元気に生きてくることができました。
 ほんとうにありがとうございます。
 まだまだご心配をおかけしますけれども、これからは中学生ですから、自分でやれることは自分でやるようにがんばり、お父さんやお母さんに心配をかける量をへらしていきます……」と。
 このうみねこは、人生の独立に向け、力強くはばたく、MINAMI中生を表しています。

 今、独立の第一歩を踏み出すみなさんに、ひとつ、わたしの体験を話します。
 わたしが、ちょうどみなさんと同じ年齢のときに、わたしは、その後の、わたしの人生・生き方に、強い影響を与えた、一冊の書物に出会います。
 それは『シートン動物記』です。
 この中の「灰色熊の一生」を読んで、ポロポロとわたしは涙をこぼしました。
 「伝書鳩アルノーの物語」というのも、よく覚えています。
 しかし、わたしに強い影響を与えたのは、動物記そのものではなく、書物のいちばん最後についている「シートンという人はどんな人かという解説文」でした。
 解説文に、こんな場面が出てきます。
 大人になったシートンが、お父さんとお母さんに向かって「お父さん、お母さん、わたしをここまで育ててくれて、ほんとうにありがとうございました」
 と言って、テーブルに包みを置きました。
 「これは、お父さんとお母さんが、わたしをここまで育てるために使ったお金です。ほんとうにありがとうございました。お返しします。このお金は、お父さんとお母さんで使ってください」
 これを読んで、わたしは、2つのことを考えました。
 ひとつは、「そうか、こうして返すものなのか。よし、僕も、お父さん、お母さん、これが、お父さんとお母さんがわたしを育てるために使ったお金です。お返ししますとやってやろう、そうしなければいけない」……と思いました。
 もうひとつは、「大人になって返すとすれば、たくさん返すのはたいへんだ。だから、今、あんまり使わないほうがいいなぁ」(*^_^*)と考えました。

 わたしの体験の話は以上です。

 もちろん、みなさんはまだお金を返すことはできませんけれども、これまで育ててくれた親に、あるいは、お世話になった方々に、おじいさん、おばあさんに、感謝の気持ちを強くもってほしい。
 加えて、「心配をかける量」を減らし、安心してもらえる、喜んでもらえる量を増やしてほしい。
 このようにして、一歩一歩、前進・成長していくのが中学という時代です。

 みなさんが、毎日の勉強に、生徒会活動に、行事に、部活動に、このMINAMI中で、先生方と、友人たちと、ご家族と、地域の方々と、いっしょに、人生の貴重な、1分1秒を刻みながら、大きく成長することを願っています。
 新入生のみなさんへの、わたしの話は以上で終わりです。

 さて、保護者の皆様、お子様の中学生としてのスタートを心よりお喜び申し上げます。
 私ども、教職員一同、お子様をお預かりした、大きな責任を果たすべく最大の努力をいたす決意でございます。
 短く4点申しあげます。
 1つ目、これは2月の保護者説明会でも申しあげましたが、知的で楽しく、かつ、トップレベルの学力がつく、授業を創ります。
 2つ目、生徒の心と身体の安全のために、安全管理と事故防止を徹底します。
 3つ目、「困っている人に親切にしよう」「ゴミを拾おう」「他のためにがんばろう」など、生き方の原理・原則を重視した教育を行います。
 4つ目、地区の安協、防犯、町内会、子ども会など地域の諸団体、あるいは公民館、Minami小など、地域一体となって展開しております「すこやかみなみネット事業」を通し、学校と家庭と地域のバランスがとれた教育システム、学校と家庭と地域がそれぞれの立場で自由に、気軽に、参画できる教育システムを開発していきます。

 いい学校というのは、そこ、ここに、ころがっているものではありません。
 学校と家庭と地域が協力し合って創りだしていくものです。
 こういう強い決意で、これまでも地域のみなさまと一体となって取り組んできました。
 どうか保護者のみなさまにも、PTA活動、すこやかみなみネット事業に、それぞれ、やれる範囲、参加できる範囲で結構ですから、……たとえば、「休日だったらいいでよ」、あるいは、「夜だったらいいですよ」「インターネットだったらいいですよ……」と、できる範囲で結構ですから、いっしょにやりましょう。
 よろしくお願い申し上げます。

 地域のご来賓のみまさま、MINAMI中の新入生が、これから3年間、このMINAMI中で、このMINAMIの地域で、貴重な1分1秒を刻んでいきます。
 どうぞ成長を見守り、ご支援を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。(入学式式辞、以上)

◆午前中、始業式のあと、隣のMinami小の入学式に出席した。
 小学校6年間、山あり、谷あり、涙あり……非連続の連続の大冒険。
 くわえて、中学3年間の、これもまた、非連続の連続、山あり、谷あり、涙あり、晴れたり、曇ったりの大冒険。
 きょうが、その「基点」だ。
 2つの式場に身を置き、胸がいっぱいになる。


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