職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

★こういう超・優れた人材は公立学校の「教師」という職業を選んでくれないかもしれない(ノ△・。)

2013-06-18 12:54:41 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 勤めていた校区の食堂「キッチン1丁目」、ドライブイン「さつき」……足かけ6年、カツ定食を食べつづけた
2013
06.18


★僕には同じものを食べつづけるクセがある。
 1ヶ月間、お好み焼きを食べつづけたことがある。
 他では、某城下町のお城の近くにある、某レストランのカツカレーが気に入って、2年間、食べつづけた。
 また、最初に赴任した学校の校区にあった食堂「キッチン1丁目」、2番目に赴任した学校の校区にあったドライブイン「さつき」……足かけ6年間、カツ定食を食べつづけた。
 学生の頃のチキンラーメン時代も思い出深い。

 音楽も同じ傾向がある。
 毎日、毎日、同じ曲を聴きつづける。
 バッハのイギリス組曲時代。
 バッハのブランデンブルク協奏曲時代。
 マーラーの大地の歌時代等々……。
 イギリス組曲は目覚まし時計代わりにも使っていた。

 もちろん、これといった持論、信条があるわけではない。
 強いていうと――今から振り返ると――この期間を貫く「悲しみ」が存在する。
 (このブログの末尾に関連記事「お好み焼きは悲しみとともに」をリンクしておきますので、ぜひみてください*^_^*)。

 昨年の今頃は、毎日、毎日、「コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 Op.5(抜粋)」を聴いていた。
 1.第7番 ニ短調
 2.第8番 ホ短調
 3.第9番 イ長調
 4.第10番 ヘ長調
 5.第11番 ホ長調
 6.第12番 ニ短調「ラ・フォリア」
 寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)
 シーベ・ヘンストラ(チェンバロ、オルガン)
 ルシア・スヴァルツ(バロック・チェロ)
 [録音:1994年、ハーグ、旧カトリック教会]――
 江藤淳が自刃したのが1999/7/21。
 6/21から命日までの1ヶ月間は、僕にとっては江藤の弔い期間だ。
 期間中、僕は、自刃の夜、江藤が聴いていたはずの、豪雨の轟きを聴きつづける。
 轟きのコンチェルトに「コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集」を聴くことにしたのだった。

 今年も弔い期間が近づいた。
 曲はまだ決まっていない。
 候補はPeteris VasksのPiano Trio / Piano Quartet
 でも、これは違うかも?

★関連記事
・★大阪人にとってお好み焼きは常に悲しみとともに存在しています。だから、お好み焼きのそばだと悲しいことも


職員室通信 2013/06/18号
★乱氏に誘われて大学生の授業を観にいく

★乱氏に誘われて大学生――先日の教育実習生の模擬授業研修で紹介した彼等のうちの一人――の授業を観にいく。
 懸命に「黒板に向かってしゃべらない」という努力をしていることが、よく伝わってきた。
 下手な俳優は、親が息子の首根っこを押さえ「この親不孝者が!」とぶつ場面で、「セリフ」と「ぶつしぐさ」を同時にやってしまうが、上手な俳優はセリフのあと、そのセリフにこめられている幾種類かの思いをこめて、きっちりとぶつ演技をするといわれる。(この情報は、近時、TVから得たのか、インターネットから得たのか、もう出所を忘れてしまったm(_ _)m。)
 指導者が、板書事項を指して語る(説明する)場面もこれに似ている。
 きっちりと「指し」つつ、きっちりと生徒と目を合わせ、きっちりと「語」らなければならない。
 きょうのT実習生は、これが出来ていた。
 感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。
 模擬授業研修の成果にちがいない。

 T実習生には、やや失礼な言い方になってしまうけれど、「黒板に向かってしゃべらない」という、たったこれだけの努力で、瞬間、瞬間に限定しての話だが、黒帯のプロ教師に見えた。

 指示・発問・語りのリズムもいい。
 ただし、そのリズムを重視したために、班や個人作業の達成状況の確認が、形式的に流れてしまった。


★生徒への説明の過程で、重要部分や重要単語を押さえて、一斉音読させる場面について。

(1)「音読はパワー、いつでも音読、なんでも音読」。
 T実習生の指導者である研修主任・公麿Tが得意とする手法である。
 それを短期間でよくマスターしている。

(2)プロの教師がその手法を取り入れている授業場面ではなく、実習生がその手法を取り入れている場面を見て、ポイント音読の学習効果の高さを再認識した。

(3)「住居」を、生徒が「ジュウイ」と読む場面があった。
 欲をいえば、(ま、国語教師からすると)、ここは、正しい読み方を教えた上で、一斉音読させ、さらに「念のために」と、もう一度、一斉音読させてほしい場面だった。
 いってみれば、社国連携だ。
 国語科でやっている。
 社会科でもやっている。
 おそらく理科や技術家庭科など、他教科でもやっている可能性があるし、これはまた「話す力」や「聞く力」などについてもいえる。
 複数の教科が連携&融合することによってこそ、これからの社会で求められる「言語力」は育成できる。
 本校の「教科企画書」――教科で現在、取り組んでいる学習内容を、職員会議で他教科の教員に提示し、具体的な連携&融合を働きかける――のねらいはここにある。




(4)生徒が一斉音読のときの発声と、個人音読のときの発声の区別ができていない。
 個人で音読の指名を受けたときは、1人で学級全体に聞こえるように読むのだという気合い、ギアチェンジが必要だ。
 ギアチェンジができる生徒。
 本校の課題だ。
 これができるようになると、本校は変わる。

★次に課題(=代案)を列挙する。

(1)逆接ではない、中止法の「が」は、指示場面では使わない。
 ×「教科書には※※※が書いてあるんですが、~ページを開きましょう」→「教科書には※※※が書いてあります。~ページを開きましょう」

(2)①発問し→②個人指名し→③解答を発表させて→④「はい、正解」とやるケースで、①発問が全体のものになっていない。
 ③④「解答」が全体のものになっていない。
 全体のものにできるか? できないか?
 プロとアマの差だ。

(3)さらに、④正解の生徒に対して「がんばりの認め方」がワンパターン。
 「いいですね」とほめるにしても、最低、3通り、いや、5通りはもちたい。
 「すごい」だって、同じ。
 ひとりひとりをほめる短い言葉を、たくさんもっていて、それを瞬間、瞬間、ポンポンと発する教師になってほしい。
 ほんの一言の、ことばがけが、子どもを成長させる。
 変容させる。

(4)上記の解答場面について。
 達成状況がチェックできていない。
 問題が3つのテーマに別れ、そのテーマごとに小問がいくつかあるという構成。
 僕だったら、テーマごとに「全問正解した人?」「4問正解した人」とやって、達成状況をチェックする。(時間の関係もあるから、全テーマについて、やる必要はない。)

(5)授業はいくつかの段落で構成されている。
 この「段落」の輪郭がぼんやりしている。
 新しい段落に移るときに、前段階をまとめ、次段階の目標を提示し、さあ、ここから新しいステージへいくんだという意識づけ、切り替えが必要。
 合わせ技として、同時に、机を整とんさせたり、姿勢を正させたり……ということもある。
 授業の「段落」がぼやけると、授業はたるむ。
 ここもプロとアマの差が大きく出た。

(6)作業させるとき、当然、時間を指定する。
 指導者のほうから一方的に時間を指定している。
 指導者が一方的に「2分」とやるのではなく、生徒自身に「自分だったら何分でできるだろう?」「先生は何分っていうんだろう?」と考えさせる――考えさせるだけでいい。この――一瞬の間が必要だ。

(7)実習生が筆順がまちがえて板書した漢字がある。
 国語教師である僕は、構造的責任を感じてしまったm(_ _)m。

 もちろん、プロ野球のピッチャーが9回完投するように、50分完投というわけにはいかなかったが、テレビドラマを撮るときのように、カット、カットでやると、いいドラマになるという感じの授業だった。
 僕が塾経営者で、その「ドラマ」を見せられたら、即、T実習生と契約するだろう。
 ただ、こういう超・優れた人材は公立学校の「教師」という職業を選んでくれないかもしれない(ノ△・。)。
 ま、いずれしても、彼の今後に明るい光が射すことを祈る(^_^)v


 画像=上からT実習生、教室風景、乱氏。



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