WALKER’S 

歩く男の日日

35日目 垂井駅~谷汲山華厳寺

2019-01-21 | 西国33観音巡礼

 33日目は3月17日、34日目は3月23日、そして満願の35日目は3月26日に出かけました。四国へ発つ4月2日までにブログも全部書いておきたいのでこういうスケジュールになりました、


 9時50分、垂井駅に降り立ちました、


 垂井駅の駅前広場に竹中半兵衛の銅像、先日は疲れていたせいか気づきませんでした、


 ぼくの竹中半兵衛は国盗り物語のときの米倉斉加年、出てくることが少ない役だけに40年以上前の印象は残り続けます、


 駅から400m、巡礼道に入っていきます、


 しばらくは中山道を行くようです、


 相川を渡る、


 渡ってすぐ右折、


 右折してすぐまた橋を渡る、


 橋を渡るとすぐ斜め左へ、


 まだ中山道を行きます、


 矢印も確認、


 ここは広めの中山道、垂井宿を出たところだから昔は家がなくて道を広げやすかった、


 2車線に右には歩道、


 追分けから20分ほどで歩道はなくなる、昔から集落があったかもしれない、


 県道216号を横断する少し手前、駅から3km地点、30分で時速6km、


 県道を横断したところに矢印、


 宿場のあったところだから道幅は昔のまま、




 県道を横断して1km,JRの下を抜ける、


 さらに900m、赤坂宿に入っていきます、




 読みにくい、


 県道から2.3km、赤坂宿の真ん中あたりで左折して中山道を離れます、


 左折の矢印、北へ向かいます、


 左折したところ、こちらも街道の風情、


 この踏切がチェックポイント、駅から5.9km、59分、時速6kmをキープ。


 踏切から350mで分岐、左へ行きます、


 分岐からしばらくは大きな工場の間の道ですごくほこりっぽい、石灰の工場や砂利を扱っている業者、左の山が大規模な採石場になっています。


 PM2.5も結構な数値に加えて、写真では見えませんがかなりの埃でうすぼんやりしています、すごく残念な巡礼古道です、


 工場の間の道は1km近く続きました、


 八幡小学校がタイムチェック、駅から9km地点、90分、時速6kmをキープ、
 今日は終業式、11時22分、集団下校の真っ最中、


 明治の頃も歩く人はいたと思いますが、


 谷汲道




 江戸時代には毎日100人以上の巡礼が歩いたという、


 八幡小学校から1.5km、二また、この少し前の所で地元の女性からお気をつけて、と声をかけて頂きました、あれだけ巡礼街道の道標があるだけあって、滅多に歩く人はいないといえ谷汲山に向かっていることはすぐ分かるようです、


 右に矢印、


 二またから350mで右折、


 矢印も確認、


 曲がるとすぐ国道417号の交差点、


 国道を横断するとすぐ踏切を渡る、これは養老鉄道、


 踏切から40mで左折、矢印は確認できませんでした、


 左折したところ、


 左折してから200m進んで矢印、


 さらに1.4km進んだところ、


 さらに1km、揖斐川の土手に上がっていきます、


 上がって右に折れると橋があります、


 三町大橋、


 橋を渡る前にベンチがあったので少し休憩、垂井駅から14km地点、丁度140分かかったから時速は6km、


 8分休んで揖斐川を渡ります、


 揖斐川上流方面の眺め、PM2.5が大分きつくて快晴なのに全体にぼんやり、


 橋を渡ると揖斐川町、手前はずっと大垣市でした、


 渡るとすぐ左折、


 土手の道を行きます、


 土手の舗装道に入ります、


 橋を渡って1.2km、分岐を右へ、ちょっとした短絡路、


 分岐から300m、右に長良松山トンネル、


 この交差点はまっすぐ、


 200mほどで国道303号に合流していきます、


 国道を300m進んで右斜めへ、


 矢印も確認、


 右谷汲山道




 国道を離れて1.8km、県道251号に突き当たって右折です、写真でもここから山登りが始まると分かります、
 このちょっと手前が垂井駅から18km地点、179分かかっているので時速6kmをちょっとだけ上まわる、


 県道に入る所に矢印、


 目の前の山を越える、トンネルはあるけど、峠越えの道もあります、どちらを行くかまだ迷ってます、


 ヘアピンカーブ、


 向こうのガードレールはかなりの勾配、


 県道を離れて山道へ、


 県道を離れて山道へ、


 NPOのステッカー、




 3分ほど山道を登ると、トンネルのすぐ手前の県道に合流していきます、ここから峠越えの山道にも赤線があるのですが、そちら側には一面柵があって入れないようになっていました、


 道らしいものもはっきりしなくてかなり荒れているようです、


 ということでトンネルを抜けます、


 トンネルを出たところ、


 トンネルを出て少し下ったところに峠山道の出口がありました、倒木(竹)が多くてもうほとんど誰も歩いていないという感じです、


 今は揖斐川町ですが、以前は谷汲村、


 県道は広くて歩きやすい、このあたりでどうしようか考えています、電車の時間が、15時23分、それを逃すと次は17時02分、15時23分に乗ろうと思えばこれから休憩なしで歩いてもお寺で20分ほどしか居られない、納経もあるからそれは無理ではないか、四国でも西国でも札所では慌ただしく行き過ぎてしまうことが多いので、最後くらいはじっくりゆっくりお参りすべきでは、ということでここからは時速6kmをやめてだらだら歩くことにしました、なにしろ1時間半もいっぺんに余裕ができてしまった、






 トンネルを出て2km、大洞口のバス停で休憩をとります、ここで休むということはもう15時23分は絶対無理、20分近く休みました、


 満願の湯、


 3kmほど手前に脇道があって赤線は県道だけれど、矢印はやっぱり脇道でした、


 左の脇道に入ります、


 脇道は400mほどで県道に合流、100m県道を進むと、また脇道が左に出てきます、こちらも赤線は県道ですが、


 脇道に入ります、


 桜は開花したばかりですが、この1本だけ満開でした、


 二つ目の脇道は700m、県道に合流して500mで谷汲郵便局、すぐ先の交差点から参道が始まります、


 山門前交差点、


 参道は車道も石畳、桜並木が続きますがほんのチラホラ咲でした、


 参道商店街のマスコット、いのりちゃん、


 松本屋旅館、車や電車で来る人ばかりだから旅館は2軒だけ、明治の頃までは10軒以上あったかもしれない、


 14時27分、33番谷汲山華厳寺に到着しました、正味の歩行時間は4時間10分、

 33.旅の終わり  谷汲山華厳寺   詩・曲 高石ともや

      歩きつづけて 今日 満願
      生まれかわって 旅の終わり
    関ヶ原超え 美濃の国
    行きつく先は 谷汲さん
    一年がかりで なしとげる
    今朝の空の さわやかさ
      歩きつづけて 今日 満願
      生まれかわって 旅の終わり
    長い旅路の 白衣装
    無事におさめて おいずる堂
    精進明けの 酒うまし
    友の笑顔 ありがたし
      歩きつづけて 今日 満願
      生まれかわって 旅の終わり


 本堂は少し高いところにあります、


 本堂の左脇を抜けて縁続きにおいずる堂があって、さらに左出て奥に階段を登っていくと、


 満願堂があります、納札はここで納めます、写経は本堂で納めます、
華厳寺の納経は3つ、本堂、おいずる堂、満願堂の3つ。


 結局、谷汲山の境内で1時間ほど過ごしました、15時34分、山門をあとにします、


 まつりの頃には四国です、


 よくもこれだけ歩いてきたもんだ、と我ながらあきれてしまう、番号をひとつひとつなぞればお寺の名前もそらですぐ出てくる、西国は四国と違ってほとんど一人で歩くからその分しんどいし道にもよく迷うし、本当にたいへん、


 山門から4km、谷汲口駅のすぐ手前、昔は山門前の近くまで鉄道が来ていたようです。今はこの駅までバスがありますが、調べていませんでした。


 16時33分、樽見鉄道、谷汲口駅に到着、まだ30分待ちます。帰宅したのは21時55分でした。

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