WALKER’S 

歩く男の日日

17日目 善根宿うたんぐら~79,80,81,82,83~ビジネス旅館三鈴

2014-07-23 | 14年四国の旅


 昨日奥さんが話してくれた中で印象に残ったのは足を痛めた青年の話でした。宇和島あたりで相当痛めて病院に行ったら、もうやめた方がいいと言われたのに無理してここまでやってきて、そんなに辛いのなら、もうやめたらと、奥さんも言われたそうです。お四国はいつまでも待ってくれるのだから、ここで身体を痛めつけてしまって後遺症が残ったりしたら本当に大変だからやめたほうがいいと、でも青年は最後までどんな歩き方だったかはよく分からないけれど行かれたようだったと、そういうお話でした。
 彼には余程の思いがあったのでしょう、途中で挫折することはあらゆることが無に帰してしまうというほどの。お遍路は自由だからどんな思いを持って歩いても、独善的であっても構わないと思います。ただ一つ条件があります。人に迷惑をかけない、という不文律です。そういう歩き方で思いを遂げることができたとしても、本当にそれが結願に値することなのだろうかと思ったりします。
 ぼくは昨年足を痛めて歩けなくなって、すぐやめる決心が付きました。笑顔で挨拶ができなくなって、続ける意味などどこにもない。人に笑顔を向けられないだけでなく人の笑顔を奪ってしまうようなお遍路はもはやお遍路でも何でもない。やめて帰ってくることは辛かったけれど、無理に続けることはもっと情けないことだと分かっていました。そうして、今年改めてその続きから歩き直して、本当によかったと思っています。ご褒美をいっぱいいただきました。昨年失敗して本当に良かったと思えるほどです。失敗していなかったら、あんなこともこういう出会いもなかったでしょうから。



 うたんぐらの朝食は種類がいっぱいで楽しくなってしまいます。食事の後はご主人がコーヒーをいれてくれて、本当にまったりしてしまいます。くつろぎすぎて大事なことを忘れてしまったのですが、それもまた後で、うれしい一言をいただきました。来年もまたしっかり歩いてね、と言われたような気がして感激しました。来年は納経帳を持って歩く計画はしっかり立ててはいるのですが、このように宿の人から待ってますよ、と言われると本当にしっかり確かに歩くのだと気持ちが引き締まります。
 6時半には発つつもりだったのですが、落ち着きすぎて6時55分の出発になりました。電車は八十場駅に停まったからマリンライナーではありません。


 7時47分、79番札所天皇寺に到着しました。いつもはみき旅館から来ることが多かったので正確な比較はできないのですが、ベストより1~2分早かったようです。玄関先までご夫妻が見送ってくれたので最初からトップスピードで歩いてしまいました。


 7時59分、天皇寺を出発、6分で踏切の前まで来ました。電車は観音寺行きです。


 踏切のところに白峯寺方面の矢印があるのですが、ぼくが最初ここに来た11年前にも、別のものですが、ありました。その時には不思議でした、なぜ順番も違うし近道でもないだろうに、どうして白峯寺に先に行かねばならないのだろうと、でも7年前実際に歩いてみると結構な近道であることが分かって、この道しるべの意味が納得できたのでした。今回も7年ぶりに白峯寺に向かいます。


 踏切を渡り、県道を横断します。


 田園の中の静かで気持ちのいい(へんろ)道です。今日も快晴です。


 県道16号の交差点にちゃんと遍路シールがありました。


 川の土手に上がっていきますが、この感じは全く記憶に残っていませんでした。


 綾川、雲井橋を渡ります。


 この感じは少し記憶に残っています。


 これから登る白峯が悠然と待ちかまえています。


 天皇寺から42分、番外霊場松浦寺です。


 お墓の中を登っていきます。この部分は特徴的なのでよく覚えています。


 境内に上がってきました。


 裏側の出口を下っていきます。境内を抜けると少しだけ近道になります。登り下りがあるから時間的にはほとんど変わらないのかもしれませんが。


 突き当たったところに道しるべがありました。


 県道180号に出てきました。


 ごく緩やかですが山登りは始まっています。


 県道は観音寺、高家神社に突き当たって大きく左に折れていきます。しばらく登ると視界が開けて瀬戸大橋が見えてきます。写真では左の2本の支柱しか見えませんが、肉眼では岡山に近いところまで見えています。


 県道は大きくUターン、青峰根香寺方面を望みます。


 県道がまた反対側にUターンするところで点線の登山道が始まります。


 勾配はあるのですが、国分寺から登る道よりは、大分楽だったという記憶があります。


 登ってきた坂道を見下ろします。前回より少しきついような感じがしています。ここで方向転換。


 さらに急な石段が続きます。


 9時17分、81番札所白峯寺に到着しました。山門の手前の道が工事中で少し遠回りの道を歩いたので正確な比較はできないけれど、ほぼ同タイムでした。


 白峯寺ではお参りの後15分ほど休みました。13km近く歩いたからもう少し休んでも良かったのですが、出発時間が遅くなったのであまり余裕がありません。
 9時48分に出発して、82番札所根香寺に到着したのは10時44分でした。
 お参りの後、うたんぐらでいただいたおにぎりで昼食です。昼食でご飯を食べるのは、足摺岬以来14日ぶりです。


 根香寺を11時20分に出発、国分寺へ向かう場合、この白峯寺から来る山に道に入るのですが、今回はそのまま県道を歩くことにします。
 この少し手前で、男女の歩きの人とすれ違って、逆打ちですか、と声をかけられました。いいえ、国分寺だけ後回しなんです、と答えると、そんな歩き方もあるんですねと感心されました。赤線があっても、普通は順番通り歩くことしか考えません。近道だと分かっても大半の人が順番通りでしょう。


 県道を歩いていると、ちょっと眺めのいいところに出てきました。


 国分寺へ下りていく山道の入口です。ここから上がってきた人が県道を横断して山道に入ろうとしていたので、白峯寺は県道ですよ、と注意したら、宿の都合で根香寺に先に行くということでした。それなら正解です。根香寺、白峯寺、簡保の宿坂出、ということのようです。とすれば、正規のルートより5km以上余分に歩くことになります。


 下り山道からもおなじみの絶景です。


 12時39分、80番札所国分寺に到着しました。最後のところでおかしな道に入ってしまったので正確なタイム比較はできませんでした。でも下り山道もそんなに辛くなくて、かなりいい調子でした。


 4回目のドリンクで一息入れます。


 国分寺では30分ほど滞在、13時07分に出発です。国分寺から一宮寺への道はしっかり赤線が付いていますが、7年前初めて歩いたときは、やはりすごく心配でした。でも迷ったところもはずしたところも一つもなく、何度も歩いているへんろ道とあまり変わらない感じで最後まで行くことができました。だから今回も、地図を見直すこともなく、気軽に入っていけました。写真は関ノ池の横を通って国道11号に出てきたところです。順番の違う道ですがちゃんと四国のみちの道しるべがあります。


 国道を横断すると分かりやすい赤矢印もあります。


 色落ちしていない真新しいへんろみち保存協力会のシール、矢印は一番新しいタイプのようです。


 県道39号の交差点にも四国のみちの道しるべです。昔はこちらの道を歩くお遍路さんが多かったのでしょうか。


 高松自動車道の横を歩いて、離れた後は一気に道幅が広くなります。写真は撮らなかったけれど、左の方には屋島や八栗がくっきり見えています。7年前には気がつかなかったところです。


 国道32号の交差点は地下道で渡るのですが、地下道のミラーにも矢印があってちょっと感動、地下に入ると方向を失う人は少なくありませんから。


 迷わず地上に向かうことができます。


 香東川、香東大橋を渡ります。ここまで来ると、という感じです。


 香東川から8分で、本来のへんろ道の合流ポイントが見えてきました。歩道橋の交差点を右折するとへんろ道に入ります。


 高松南高校の少し手前のへんろ道です。


 14時32分、83番札所一宮寺に到着しました。


 お参りの後、再び水屋に戻って、お大師さんの手からあふれ出る水を、手のひらで受け取って何杯もごくごくいただきます。あと6km歩くための鋭気を直接いただいたような気になります。


 14時48分、一宮寺を出発、宿に向かいます。県道に出てきたところにあるローソンは過去2回自分の欲しいものが全くなかったので無視します。800mの所にあるローソンはご覧の通りの姿です。ここもこの時間には欲しいものが全くなくて失望させられたものです。


 5年前来たときこのコンビニができていたので、安心してローソンをスルーしました。期待通りの品揃えで、菓子パン4個とチョコを買います。


 16時01分、本日の宿ビジネス旅館三鈴に到着しました。ベストより20秒遅れだったのですが、時速は5.55km、1日の最終盤にしては今までにない好調な歩きでした。お大師さんの水と塩分の摂取が効いたのかもしれません。
 浄瑠璃寺で会った歩きの男性にこの宿を紹介すると、休業だったと言われて、ややショックだったのですが、5年前に泊まったときに、「もし休業していても、4年連続で泊まったということを言ってもらえれば開けるから、予約の時にそう言ってください」と言われたので、そのとおりに伝えると、ややうろたえられたのですが、素泊まりでよければ何とかします、ということで、無理矢理のように5年ぶりにやってきたのでした。
 玄関で、無理を言ってすいません、とまず謝りながらの挨拶をします。とんでもないという風に気持ちよく招き入れてくれました。2階の広い方の部屋に通されて、5年前のいきさつを改めて説明すると、奥さんも休業に至ったいきさつをとうとうと話されました。最後にぼくが泊まった1~2年後に休業したのですが、以後もこれはというお遍路さんには泊まってもらうことがあったそうです。ただ最近は気力がなくなってほとんど断るようになってしまったということでした。続けたいという気持ちは半分あるのだけれど、食事の用意ができなくなってしまったことや、親戚の人たちからももう閉めてもいいんじゃないかと言われたりで、そちらの方に気持ちが傾いてきているようでした。ぼくはひたすら、うんうんと話を聞かせていただきました。ぼくが言ったのは、高松の真ん中で畳の部屋で布団で休ませてもらえるお宿があるというのは本当にありがたいと思うお遍路さんは多いと思いますよ、ということだけでした。話し終えた奥さんは、踏ん切りを着けるように頷いて、分かりました、これからも続けさせてもらいます、はっきり言われました。素泊まりでしかできませんが3500円でやりたいと思います。上げた顔はすっきりした表情で、じゃあお風呂用意してきますね、と階下へ行かれました。
 本当にこれでよかったのだろうかという思いは残ります、宿を続けることで張りが出るということがある一面、お遍路相手だと大変で、かえって気持ちが沈んだりすることもあるかもしれないと思うと、少し責任を感じてしまいました。いいおへんろさんがたくさん泊まってくれることを願うばかりでした。