万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

連舫氏の国籍問題への対応は政府や国会の義務

2016年10月16日 09時18分05秒 | その他
蓮舫氏、日本国籍の選択を宣言 「行政指導されたので」
 昨日、民進党の蓮舫代表は、自身の国籍問題について、台湾籍の離脱届が不受理となったため、行政指導に従って日本国籍の選択を宣言した旨を明らかにしました。この説明によれば、これまでの17歳で手続きしたという過去の発言は虚偽となりますが、一体、氏は、何時、日本国籍を取得したのでしょうか。

 氏の場合、出生時において日本国籍を取得したわけではなく、当時の国籍法に基づいて、父系の台湾籍のみを取得しています。1985年に国籍法が父系主義から両系主義に改正されたのを機に日本国籍を取得した、というのが、これまでの説明でした。しかしながら、昨日の発言によれば、国籍選択の時期は”2016年10月〇日”となるのですが、氏の場合には、ここで重大な疑問が発生します。それは、1985年以降、氏が、今日に至るまで国籍選択をしていないならば、日本国籍も取得していなかったのではないか、という疑問です。

 国籍法では、出生時における国籍選択の留保によって、一定期間の間のみ二重国籍の状態が認められています。氏の場合には、父系主義により出生時の取得国籍が台湾籍ですので、出生時における留保手続きを経ておりません。即ち、1985年の法改正に際し、有資格者に対して採られた行政手続きによって、国籍取得と同時に国籍の選択が宣言された可能性が高いのです(未確認ですが…)。この時、国籍選択の手続きをしていないとなりますと、氏は、日本国籍も取得していない、といったこともあり得ないわけではないのです。

 ところが、氏は、昨日、日本国籍の選択宣言を行ったと述べており、それが事実であるならば、それ以前に日本国籍を取得していたこととなり、それが、何時であるのか、全く以って不明なのです。17歳での手続きとは、国籍留保の手続きであった可能性もありますが、17歳という年齢は選択の期限が迫る年齢ですので、この可能性はそれほど高くはないようにも思えます。また、村田信之氏との婚姻に際して日本国籍を取得した可能性もありますが、仮に、このケースであれば、国籍選択ではなく帰化となりますので、改めて国籍選択の宣言を行う必要性もないはずです。謎は、深まるばかりです。

 何れにしましても、二重国籍の解消のための国籍選択宣言と日本国籍取得とは、似て非なるものです。民主党時代に、蓮舫代表は国務大臣を務めておりますので、本人のみならず、政府や国会もまた、事実関係を明らかにする義務があると思うのです。

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タイ王国96歳の摂政代行ー長老という安定要素

2016年10月15日 14時02分43秒 | 国際政治
枢密院議長、摂政代行に=新国王即位まで―タイ
 タイ王国では、国民の尊敬と厚い信頼を集めてこられたプミポン国王が88歳で逝去され、国内は深い悲しみに包まれているようです。こうした中、ワチラロンコン皇太子の即位が先延ばしとなり、新国王即位までの間、96歳という高齢を押してプレム枢密院議長が摂政を代行すると発表されました。

 報道によりますと、即位の延期は皇太子からの発案とされており、枢密院議長の摂政代行就任は、憲法上の規定に沿ったもののようです。しかしながら、ワチラロンコン皇太子については、その品行からして国民からの評判が芳しくない上に、軍部に支えられているとの指摘もあり、プミポン国王ほどの、国民を纏める力量は持ち合わせていないとされています。このため、ネパールの事例などもあることから、中国からの内政干渉も予測され、プミポン国王亡き後のタイの不安定化が懸念されていました。皇太子の即位延期も、おそらく、軍部をはじめとした何らかの政治的な思惑が働いているのでしょうが、タイの安定性を考慮しますと、長老の摂政代行は、少なくとも当面の間は、タイの急激な政情安定化を押さえる一定の効果があるのかもしれません。海外生活も長く、国民との距離のある皇太子が即位するよりも、伝統的タイ社会や文化との親和性、並びに、継続性という面において、国民と苦楽を共にしてきた長老の方が国民に安心感を与えるからです。人格においても高潔であれば、なおさらのことです。

 日本国でも、天皇の生前退位に向けての動きが始まっておりますが、民主主義が政治の基本的価値とされる今日にあっては、天皇や国王の役割は、統治ではなく統合に大きくシフトしてきています。高度な政治的判断力や活動能力を要しませんので、安定性の観点から、高齢であることをむしろ評価する考え方があっても良いように思えるのです。

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ノーベル賞は選考者を超えられない?-文系ノーベル賞の問題

2016年10月14日 09時52分17秒 | 社会
【ボブ・ディランにノーベル賞】歌手になぜ? 「プロテスト」ソング次々と 「吟遊詩人」の文学性評価
 今年のノーベル文学賞は、歌手であるボブ・ディラン氏への授与が決定されたため、賛否両論の議論を巻き起こしているそうです。文学賞のみならず、経済学賞や平和賞といった文系のノーベル賞については、否が応でも選考の主観性に関する問題が付き纏います。

 ボブ・ティラン氏の受賞についても、評価の賛否は、選考者-スウェーデン・アカデミー-の主観に共感するか、否かを軸に分かれています。氏の受賞を高く評価する人々は、詩と音楽を融合させ、それを広く世界の人々に歌唱力を以って伝えた現代の”吟遊詩人”として功績を評価した選考者に同感し、その新規性を称賛しています。一方、批判的な人々は、ノーベル文学賞が、文章表現に優れ、文筆を以って人々に様々な問題を提起した文学作品に与えられてきた歴史に鑑みて、今般の審査者による歌手への授与決定は、ノーベル文学賞の価値を下げる”低俗化”、あるいは、”逸脱”と見なしているようです。つまり、選考者の価値判断や評価基準が、議論の焦点となっているのです。

 ボブ・ディラン氏の受賞をめぐる意見の相違は、ノーベル文学賞といった文系ノーベル賞とは、選考者の判断が全てであることを示しています。言い換えますと、選考者の”尺度”が変われば、受賞者もまたその変化に合わせて変わります。仮に、今後とも選考者が、その評価基準を大胆に”革新”させれば、対象は際限なく拡大し、アイドル歌手、俳優、女優、コメディアンといった人々の受賞もあり得ることでしょう。

 文系ノーベル賞では、あくまでも選考者が”主”であり、この点、受賞者の業績が”主”となる理系のノーベル賞とは逆です。そして、選考者が”主”である限り、文系のノーベル賞は、選考者を超えられないというジレンマを抱えているのです。果たして、文系ノーベル賞は、将来、どのような姿に変貌してゆくのでしょうか。あらゆる権威が懐疑に晒され、揺らいでいる今日、文系ノーベル賞もまた、”人類のための最大の貢献”というアルフレッド・ノーベル自身が定めた根幹的な基準に立ち戻りつつ、自らを見直す時期に差し掛かっているのかも知れません。

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中国のガス田開発問題-日本国政府は仲裁裁判に訴えては?

2016年10月13日 15時27分36秒 | 国際政治
中国のガス田開発に危機感=自民
 東シナ海での日中対立は、近年、周辺海域での中国の活動が活発化したために、尖閣諸島に注目が集まってきましたが、ガス田開発問題も両国間に横たわる懸案です。同海域の境界が定まっていない段階にあって、一方的に開発を進める中国に対して、日本国側が抗議する構図が続いており、一向に埒があきません。

 しばらく小康状態が続いていたのですが、最近、中国による一方的な採掘の開始が確認されており、海底地層部においてガス田の鉱床が繋がっている以上、日本国側としては、時間的な猶予が全くありません。口頭や文書で抗議をしても、聞く耳を持たない中国が実力行使で採掘を強行したのでは、日本国政府は、みすみす自国のEEZ内の天然ガスまで吸い取られるのを黙ってい見過ごすこととなります。これでは、国連海洋法条約が加盟各国に認めているEEZの権利侵害となりますので、日本国政府が有効な手を打ちませんと、国際法秩序をも損ないかねません。

 そこで、日本国政府が、最初に取るべき手段があるとすれば、それは、仲裁裁判の活用です。この手法は、南シナ海問題においてフィリピンが選択しておりますが、日本国政府もまた、国連海洋法条約第287条5に基づいて、単独でも提訴することができます。おそらく、南シナ海問題に際して<統合>同様に、中国は、第298条の”適用からの選択的除外の宣言”を持ち出して仲裁から逃れようとするでしょうが、今般の仲裁提訴では、(1)紛争未解決状態での中国による一方的開発の違法性(国連海洋法条約第74条3、第83条3、及び、第283条の解釈…)を問うことができますし、また、ガス田の軍事拠点化の兆候も見られることから、(2)中国による平和利用の違反(第301条等)を争点とすることもできます。さらに、中国の適用除外宣言は、東シナ海のガス田問題ならば、調停に持ち込める可能性もあります(同条約第297条(a))。

 なお、現在、中国は、大陸棚の沖縄トラフまでの延長を大陸棚限界委員会に申請しておりますが、同委員会は、これまでのところ、この申請について結論を下していない模様です。仮に、大陸棚限界委員会が中国の申請を却下した場合、東シナ海での日中中間線が確定し、境界線に関する争いは消滅します(もっとも、中国が、この判断を不服として司法的手段に訴える可能性は残る…)。仮に、大陸棚限界員会の決定が間近であるならば、上述した仲裁に訴える必要はなくなります。日中中間線が確定すれば、日本国も、共同開発の手法に頼ることもなく、東シナ海のガス田開発に単独で着手することができるからです。

 何れにしましても、日本国政府は、大陸棚限界委員会の動きを注視しながら、中国のガス田開発については、仲裁裁判への提訴を視野に対策を検討すべきではないでしょうか。中国を国際法秩序に組み込みことこそ、国際社会が真剣に取り組むべき最重要課題の一つなのであるからです。そして、たとえ中国が、南シナ海問題に次いで、当問題での仲裁裁定を頑なに拒否し続けたたとしても、日本国の権利主張の正当性が認められ、正義は日本国にあることだけは確定するのですから。

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与党も野党も”外国人ファースト”-一般の日本国民はどうなるのか?

2016年10月12日 15時08分56秒 | 国際政治
安倍晋三首相が農業の外国人労働者受け入れ促進を明言 来年通常国会に特区改正法案提出
 安倍首相は、来年の通常国家において特区改正法を提出し、農業分野での外国人労働者受け入れを促進すると明言したそうです。ゆくゆくは農業分野に限らず、様々な分野に受入対象を拡大する方針とのことです。

 農業分野において外国人労働者の受け入れの理由として挙げられているのが、農業従事者の高齢化による深刻な人手不足と多様な作物生産に対応した農業の専門家としての外国人人材の活用です。しかしながら、何れも理由としては説得力に乏しいように思えます。少なくとも稲作は”さんちゃん農業”とも称されたように、機械化が進んだ今日では、専業農家の下で農地を集約化したとしても、深刻な人手不足となるのは田植えや稲刈りといった一時期に限られています。おそらく、他の殆どの農産物も、季節的な農繁期と農閑期があり、人手不足は一時的な現象なのではないでしょうか(外国人労働者である必要はない…)。また、”多様な作物生産”への対応という説明も、意味不明です。目下、輸入に頼っている農産物を国産化し、当該農産物を栽培してきた外国人技術指導者を招こうというのでしょうか。何れにせよ、国内の一般農家からの要望を受けての政策とは思えず、誰のための政策なのか、首を傾げざるを得ません。

 しかも、農業分野は、外国人労働者の受け入れの序の口に過ぎないようです。他の分野については、「アニメ、食、デザイン、ファッションに憧れて日本に来て学び、職を得て知識を積んで本国に帰って生かしたいという人たちはたくさんいる」とも語り、外国人の希望に応えることが主要な政策目的として説明されています。驚くことに、この政策目的には、日本国民の利益がすっかり抜け落ちています。当説明では、外国人労働者はやがて帰国するものと想定されていますが、永住資格の取得条件が大幅に緩和されていますので、一時的な労働者ではなく移民となる可能性も高く、また、国民の雇用に与える影響も無視はできません。

 自由民主党は、保守政党として自らを位置づけてきた政党であり、先の選挙でも、外国人労働者や移民の積極的な受け入れ拡大には言及してていなかったはずです。与党も野党も揃って外国人のための政治を推進しているとしますと、一般の日本国民は、一体、この先、どうなるのでしょうか。政府に統治権を信託しているのは、参政権を有する国民であり、納税等で歳入を支えているのも国民です。日本の政治が”外国人ファースト”であれば、日本国民は、既に自らの国を喪失したことになるのではないでしょうか。

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新自由主義は”逆神”か?ー成果主義と発展は両立しない

2016年10月11日 14時51分03秒 | 国際政治
ノーベル賞に決まった大隅良典さんが喜びの半面で訴えたかったこと
 今年のノーベル医学生理学賞は、大隅良典東工大栄誉教授に授与されることとなりました。誰からも注目されていなかった分野において、好奇心の赴くままに無心に研究を続けた結果がノーベル賞受賞という実を結んだのですが、氏は、受賞の喜びを語るのみならず、基礎研究を疎かにする今日の科学技術の研究のあり方に警鐘を鳴らしておられます。

 近年、企業のみならず研究の場においても成果主義が大幅に導入され、短期的に成果を上げないことにはその職に留まることさえ難しくなっています。この方針は、新自由主義の基本路線でもあり、短期的収益の最大化を評価基準とする企業経営や投資とも共通しています。評価の高い経営者とは、収益と共に株主配当をも最大化する経営者であり、短期的に最も高い投資効果を実現するのが、優れた投資家なのです。もちろん、社員に対する評価も、短期的な実績に基づく成果主義ですので、誰もが、自らの評価を下げかねない息の長い基礎的な研究・技術開発や新規の製品開発に取り組む意欲を失っています。経営者も、投資家も、社員も、そして、研究者までもが成果主義という”魔物”に縛られているため、長期的な視野から事業や人等を育てたり、未知の世界に足を踏み入れたり、新たな分野に挑戦することができないのです。

 イノベーションを連呼する一方で、新自由主義者は、イノベーションが生まれる土壌を破壊しています。自由な研究空間は与えられず、新自由主義者達が有望と決めた分野への集中を余儀なくされているのです。日本国の企業がかつての勢いを失い、科学技術の分野での論文などもめっきり減っている理由は、新自由主義の導入にあるといっても過言ではありません。また、大学改革についても、国際ランキングを上げることを目的にAD入試の導入や人材の国際化などに推進したにも拘わらず、東大といったトップクラスの大学でも、国際ランキングは逆に下がる一方です。つまり、新自由主義の路線を進めば進むほど、結果は逆になるのです。

 目的と結果との間の負の因果関係ははっきりしているのですから、新自由主義路線については、軌道修正を図るのが賢明というものです。しかしながら、少なくともマスコミの論調を見る限り、新自由主義者は現実を直視することなく、あらゆる反対を押しのけて、強行突破を試みようとしてるようにも見えます。”改革”という名の”破滅”に向けて…。ここは一旦立ち止まって、新自由主義の真の姿が”逆神”であることを確かめる必要があるのではないでしょうか。

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シリア人の難民化容認論への疑問ー国外逃亡を誉めてよいのか?

2016年10月10日 14時49分04秒 | 国際政治
 停戦協定の維持が絶望的となったシリアでは、今後とも、戦禍を免れるために国外脱出を試みるシリア人が後を絶たないことでしょう。この問題に関して、先日、シリア人の難民化行動は、極めて合理的で当然とする説を発見しました。

 現在、内戦が禍してシリア経済は悪化の一途を辿り、国民所得が低下するとともに、失業率も上昇しております。しかも、いつ何時、爆撃を受けて命を落とさないとも限らないのですから、この説が主張するように、密航事業者に年収の2倍ともされる渡航費を支払ってでも国外脱出を図るのは、至極、合理的な行動のようにも見えます。”逃げるに限る”という訳です。しかしながら、一見、個人レベルでは合理的に見える国外逃避行動にも、問題がないわけではありません。

 第一に、国外に難民として脱出できるのは、あくまでも、密航事業者に渡航費を払うことができる一部のシリア人に限られています。失業率も高いとなれば、渡航費を工面することができず、命の危険があると知りながらも逃げるに逃げられない貧しい人々が、国内に数多くとり残されていることでしょう。

 第二の問題は、渡航費の問題を抜きにしても、凡そ1795万人の全シリア国民の難民化とその保護は、現実として不可能なことです。仮に、シリア国民全員が合理的判断として国外脱出を試みるとしますと、シリア国内には、政府関係者や戦闘に加わっている勢力のメンバーぐらいしか残らず、国民らしい国民は一人もいなくなることでしょう。そして、難民化した全シリア国民を、一体、どこの国が受け入れるというのでしょうか。個人レベルの判断では合理的でも、自国の存立、ならびに、他の諸国や人々の負担を無視した行動は、無秩序な混乱を引き起こすのみとなります。

 第三に、国外逃亡を奨励すると、結局は、和平を含めた国造りが疎かになることです。日本国が和を尊重する比較的安定した国である理由として、しばしば指摘されるのが、東方を大洋に面する島国であるために”逃げ場がなかったから”という説です。たとえ国内的に対立が生じても、逃げる場所がないので相互に折り合い、協調の道を探るしかなかった、とする説です。何時でも、そして、何処にでも、逃げられる状態では、常に国民が流動化し、国民の間で協調の精神を培ったり、真剣に、国家の存立を考え、安定的な国制を構築することが難しくなるのです。

 国際社会は、難民保護のみに関心を払い、シリア国民の難民化についても寛容な姿勢を示していますが、”逃げずに、真剣に自国と向き合い、自らの国を立て直そう”というアドヴァイスもあってよいのではないでしょうか。時には試練に耐える必要もあるのですから、少なくとも、国民の国外逃亡は、手放しには誉められないように思えるのです。

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変わるべきは新自由主義では?

2016年10月09日 15時32分34秒 | 国際政治
外国人雇用を規制=メイ政権案に企業反発―英
 西ローマ帝国の消滅以来、ヨーロッパには、帝国らしい帝国は誕生しませんでした。シャルルマーニュが築いたフランク帝国も相続によって分割され、ハプスブルク家も、ナポレオンも、そしてヒトラーも、帝国の夢を実現させることは叶いませんでした。一方、今日のEUも、全ヨーロッパ諸国を覆う寸前にあって、イギリスが離脱を決定しています。

 EUの基本モデルは、広域的な経済圏を基盤とした国家連合であり、帝国化の失敗の歴史に鑑みて、政治的な摩擦を極力回避する方法で統合を推進してきました。EUの主柱である欧州市場は、もの、サービス、資本、人の自由移動を基本原則としています。しかしながら、基本原則の一つである”人の自由移動”は、たとえ経済目的であったとしても、必然的に国民の枠組みの融解と国家喪失という政治的側面を伴います。政治問題化は時間の問題であったのであり、その表面化が、イギリスをしてEU離脱を決断させたのでしょう。

 ところで、EUが原則とする人の移動の自由化は、新自由主義の基本的政策方針の一つでもあり、EUに限定されたお話ではありません。違いがあるとすれば、EUの方が欧州市場においてより規制志向なのですが、少なくとも、今日、日本国を含めて世界大に警戒感が広がっているのは、新自由主義が提唱する経済活性化の”特効薬”としての人の自由移動、即ち、移民受け入れ促進政策です。グローバリストとも称される新自由主義者によれば、景気の停滞や低成長の原因は日本国の閉鎖性にあり、移民政策で多様性を高めれば、成長軌道に乗れるというのです。何事においても、新自由主義者の人々は、発想の転換やイノヴェーションを声高に叫び、政府に対してであれ、企業に対してであれ、技術者に対してであれ、自らの方針に従わない相手に対して劇的な”変革”や”開放”の受容を求めてくるのです。”あなたのために…”という親切な言葉で…。

 しかしながら、新自由主義は、中間層を破壊しつつ経済格差を広げる一方で、富裕層には租税回避の自由を与えました。新自由主義者の結果に対して世界レベルでの反感が呼び起こされている現状を見ますと、”変わるべきなのはどちらなのか?”という疑問が湧いてきます。新自由主義は、”新”と称しながら、その手法においては、案外、旧態依然としているからです(経済的利益第一主義と後先構わずの自由化一辺倒…)。そして、その求めるところが人間の本質に反するために、一種のアレルギーを起こしているとも考えられるのです。心底から相手を思って提言しているのかもしれませんが、新自由主義者には、自分自身の主義主張をも真摯に疑い、そして、新自由主義という思想の檻から脱して、自らにも変革を求めていただきたいと思うのです。

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日韓通貨スワップ協定は不要では?-旺盛な韓国資本の投資

2016年10月08日 14時19分46秒 | 国際経済
 先日、回転ずしの大手であるあきんどスシローが、韓国投資ファンドのMBKパートナーズによって、15億ドルで買収されるとする噂が飛び交いました。この噂、後日、スシロー自身によって否定されたのですが、この一件から垣間見えるのは、韓国資本の旺盛な対外投資です。

 韓国資本の投資先は、東南アジア諸国などにも向けられており、ベトナムなどでは一定の存在感を示しているそうですが、こうした状況を考慮しますと、日韓通貨スワップ協定が必要なのかどうか、疑問が湧いてきます。検討中とされる日韓スワップ協定については、韓国側から5兆円規模の枠組みが打診されたとも報じられていますが、韓国が、急を要するほど外貨準備に不安が生じているとも思えないのです。

 THAADをめぐる中韓関係の冷却化は、韓国経済に打撃を与えるというよりも、韓国企業による中国から他国への投資先シフトを加速させているものと推測されます。ここにきて、韓国資本が対外投資に積極的であるのも、むしろ、中国の制裁圧力に対する回避行動なのかもしれません。また、アメリカのFRBの利上げ観測も遠のき、韓国からの資本逃避のリスクも低減していますし、イギリスのEU撤退によるマイナス影響も、今のところは未知数です。確かに、サムスン電子のスマホ爆発や海運大手韓進の破綻といったマイナス情報もあるものの、さし当たっては、通貨危機を起こすほどの危機的状況にはないのではないでしょうか。

 仮に、それでも、韓国側が、日韓スワップ協定の締結を求めているとしますと、それは、自国の対外投資の信用を支えるために、日本国の”裏付け”を必要としているのかもしれません。つまり、韓国系企業やファンドによる対外投資目的の海外からの借り入れをを背景に、韓国政府は、日本国に対して、”連帯保証人”となるよう求められているのかもしれないのです。しかしながら、防衛的、あるいは、救済的な目的の通貨スワップ協定ではなく、相手国の拡大志向に沿った通貨スワップ協定の締結には、ブーメラン的なリスクが伴います。韓国側の投資戦略が成功すれば、日本企業が韓国資本に押され、シェアを失ったり、韓国企業に買収される展開もないわけではありません(もっとも、あきんどスシローの81%の株式は、2012年にユニゾン・キャピタル・グループが、既に英投資ファンド系のコンシューマー・エクイティ・インベストメント・リミテッドに譲渡…)。また、逆に失敗すれば、”連帯保証人”の立場にある日本国側は、通貨スワップ発動により損失を被ることとなります。何れにしましても、日本国側のメリットは見当たらないのです。

 以上の予測は、表面的な現象からの憶測に過ぎませんが、日韓通貨スワップ協定については、韓国経済の的確な情報分析が必要であることは言うまでもありません。日本国政府は、スワップ協定の可否をめぐって適切な判断を下すためには、まずは、韓国政府に対し、韓国経済についての正確な情報やデータの提供を求めるべきと思うのです。

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思わぬドイツ銀行救世主の登場

2016年10月07日 09時51分53秒 | ヨーロッパ
低成長、長期化を懸念=IMF専務理事―G20
 ECBのマイナス金利政策や住宅担保ローン不正販売の件でアメリカ司法省から巨額の和解金の支払いを求められたこともあり、ドイツ銀行は、現在、経営危機の最中にあります。ドイツ国内では、同行の破綻を想定してか、家庭用金庫の販売が伸びているとの指摘もあります。

 ドイツ銀行の経営危機に対しては、メルケル首相は、これまでのところ政府による救済については消極的な姿勢なようです。一民間金融機関の救済に、国民が納めた税金が投入されたのでは国民からの反発を招く、というのが救済に尻込みする理由なのでしょう。しかしながら、家庭用金庫が実際に一般のドイツ国民によって購入されているとしますと、既に、水面下においては、ドイツ銀に預金口座を有する国民による預金の引き出しが起きており、一般国民の財産喪失の危機感も高まっているものと推測されます。ドイツ銀の破綻はドイツ全体に与える影響は計り知れないのですが、少なくとも政府の態度は、冷ややかなのです。一方、IMFのラガルド専務理事も、ドイツ銀に関連して「多くの銀行は現在の金融情勢に合わせ、ビジネスモデルを見直していく必要がある」と語り、自助努力を説くに留めています。それでは、誰も、ドイツ銀に救いの手を差し伸べないのでしょうか。実のところ、思わぬところから、救世主が登場するかもしれないのです。

 メルケル首相の否定的発言があった後だけに、殊更に強い印象を残したのが、ドイツ企業によるドイツ銀支援声明です。シーメンスといったドイツ企業大手が名を連ねていましたが、”ドイツ銀は、内外におけるドイツ企業の活動を金融面から支える重要なパートナーであり、今後とも、ドイツ銀を支えてゆく準備がある”旨を述べたのです。支援の具体的な内容が、ドイツ銀に対する資本増強資金の提供や早期債務返済等の資本・財務面での支援であるのかは不明ですが、グローバル化の時代とされながら、政府にも見捨てられそうなドイツ銀に、最後に救いの手を差し伸べたのが、外でもない民間のドイツ企業であるとしますと、これは、極めて興味深い”政府抜き”のナショナリスティックな現象です。

 そして、もう一つ、思わぬ救世主が出現するとしますと、それは、EUです。ギリシャ危機に代表されるソブリン危機を経験したEUは、再発防止のために、総額7000億ユーロの基金を擁するESM(European Stability Mechanism))と呼ばれる救済メカニズムを設立しました(2012年10日8日から運営開始)。主たる救済の対象は、財政危機に陥っている加盟国政府ではあるものの、金融危機の連鎖性を考慮し、経営危機にある民間金融機関をも救済対象に含める方針を示しています。現在、ギリシャ政府はESMからの救済融資を受けていますが、ギリシャ危機に際して救済に最も難色を示したドイツの銀行もまたESMによって救済され、そして、それが自らをも救うことを意味するとなりますと、何とアイロニーに満ちた運命なのでしょうか。

 実際にドイツ銀が救世主を必要とするほど深刻な状態にあるのかは分からず、また、事の重大に気が付いた、もしくは、世論に押されたドイツ政府が、自ら救済に乗り出すかもしれません。しかしながら、上述した思わぬ救世主登場の可能性は、世の中は単純ではないことを示しております。ドイツと言えば、戦前にあってナチス政権下に国家ナショナリズムを経験した国ですが、今般の’政府抜き’のナショナリズムであれ、EUの地域主義であれ、ドイツが新たな局面を迎えていることを示唆する注目すべき現象ではないかと思うのです。

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新自由主義はジュラシック・エコノミーか?ー企業の巨大化現象

2016年10月06日 14時53分26秒 | 国際政治
富士通、レノボとパソコン事業統合へ ブランドや工場は存続
 本日、日本企業の富士通が、中国企業であるレノボとパソコン事業で統合を進めているとのニュースが報じられました。レノボと申しますと、2005年に米IBMのパソコン事業を買収し、2011年にはNECの同部門をも飲み込んでいます。

 レノボに限らず、最近、国境を越えた大型合併のニュースが散見され、先月の9月14日には、ドイツ医療・農薬大手のバイエルンによる米モンサントの買収が耳目を驚かせました。企業の巨大化現象の背景には、有望な投資先を探しあぐねている金融機関による買収資金融資戦略もありますが、企業の巨大化現象は、留まるところを知らないかのようです。この現象は、どこか、地球上に大型恐竜が出現した時代を思い起こさせます。大型恐竜が出現した背景には、恐竜には、巨大化を押さえる遺伝子が欠けていたとする説があり、それ故に、際限のない弱肉強食は、ティラノサウルスといった凶暴な巨大恐竜を生み出したのでしょう。しばしば経済は、多様性を以って生態系に準えられますが、あらゆる規制を嫌う新自由主義に基づく経済とは、巨大企業の出現を招き、一瞬の休息が死に直結するジュラシック・エコノミーなのかもしれません。しかも、新自由主義の規制嫌いは、中国系企業といった政治的目的を潜ませた企業による無防備な買収をも許し、より攻撃的、かつ、より巨大な企業を地球上に繁栄させているのです。

 大型恐竜の時代は、白亜紀の末期における環境の激変と地球への隕石衝突によって幕を閉じます。その末期にあっては、ティラノサウルスは共食いをしていたとする研究報告もあるそうです。恐竜滅亡後に至り、地球上の主役は大脳が飛躍的に発達した哺乳類に代わり、多種多様な生物が息づく豊かで美しい地球へと変化してゆきました。今日のジュラシック・エコノミーに対する抑止要因あるとすれば、それはルールにもとづいた公正なる競争政策なのでしょうが、企業巨大化の時代は、その巨大化故に変化やリスクへの対応力を弱め、やがて行き詰まりを迎えるようにも思えるのです。

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民族自決権と移民は両立しない

2016年10月05日 16時05分32秒 | 国際政治
 国民投票によるイギリスのEU離脱は、国際社会に様々な波紋を広げることとなりました。その一つが、一般の国民に国政上の重要問題に関する判断を任せるのは、ポピュリズムやナショナリズムは国の行く先を誤らせるので危険であるとする批判です。しかしながら、この批判、民族自決の原則と移民政策との間のゼロ・サム関係について無頓着であると思うのです。

 今日の国際社会では、一先ずは、先祖、言語、慣習、宗教等を共有する自生的な人間集団に対して、政治的に独立した国家を形成する権利を認めています。”新大陸”における移民国家といった例外はあるものの、民族自決と主権平等を基盤とする国民国家体系は、地球上での分散過程において自然に生じた人類の多様性に沿った安定的な社会を築くための国際体系であると言えます。ヨーロッパに発する大航海時代の到来は、世界を一つに繋げたものの、奴隷制や植民地主義の拡大は、人種や民族間の平等性を損ね、搾取を生み出したことを考慮しますと、今日の国民国家体系は、過去の反省の下に構築された極めてフラットな体系であり、多様な人間集団の歴史的な定住と社会の構築という実績に権利を与える体系とも言えるのです。

 しかしながら、今日、こうした国民国家体系を支える原則は、大きく揺らいでいます。移民が少数である内は、少数者保護や同化政策等の問題に留まりましたが、移民の増加は、独立した政治単位として国民国家の枠組みを内側から融解させているからです。特に多文化共生主義は、移民にも歴史的定住者である国民と同等の権利を認める考え方であり、この思想に基づけば、先住定住者の歴史と国土開拓の実績は、権利として認められないことにもなります。気が付かない内に、先住定住系の国民は、領域や主権に対する権利さえ放棄させられてしまうのです。

 ポピュリズムやナショナリズムに対する批判の一つは、一般の国民は”愚か”であり、感情に走るばかりで長期的な利益には思い至っていないというものです。しかしながら、移民政策のその先に、”祖国”というものを失い、慣れ親しんできた文化が断絶し、自らが”根なし草”となる空虚で乱雑な未来を見通したからこそ、移民政策に反対しているのではないでしょうか。そして、国民国家体系が融解した後の人類が幸せである保証はどこにもないのです。

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もし中国市場へのアクセス条件が”人の自由移動”であったならば?

2016年10月04日 15時10分39秒 | ヨーロッパ
EU離脱でメイ英首相、来年3月末までに交渉開始=保守党大会で演説へ
 98%の国民が難民割当に反対票を投じたハンガリーの国民投票は投票率の低さから不成立なりましたが、イギリスのEU脱退に続き、EUでは不協和音が響いているようです。その一方で、人の自由移動こそ、堅持すべきEUの原則であるとするEU側の見解には変化は見られません。

 メイ英首相は、来年3月末までにEUとの離脱交渉を開始する方針を示していますが、人の自由移動に関する方針が真っ向からぶつかるため、EU側との交渉は難航が予測されます。EUの柔軟性を欠いた頑強な態度には驚かされるのですが、この問題を中国市場に置き換えてみますと、どうなるのでしょうか。

 EU28か国を合わせた欧州市場の総人口は凡そ5億人であり、GDP総計ではアメリカを凌ぐ世界第一位の経済規模です。一方、GDPでは欧州市場よりは劣るものの、中国の総人口は13億とEUの2.5倍です。双方とも巨大市場であり、それ故に、イギリスを含めた全ての諸国は、これらの市場へのアクセスを重視しているのです。EU側は”規模の強み”を握っており、イギリスに対して、高飛車な態度で”自由に欧州市場にアクセスしたければ、人の自由移動を受容せよ”と迫る理由もここにあります。それでは、中国が、仮に、自国市場へのアクセス条件として人の自由移動を認めるよう要求した場合、他の諸国は、この条件を飲むことはできるのでしょうか。巨大市場であることは、同時に、人口規模も巨大であることを意味します。つまり、13億の中国人が、大量に、国境を越えて自由に移動を開始するとなりますと、人口規模の小さな諸国はひとたまりもありません。おそらく、経済分野に留まらず、政治も、社会も、文化も、中国人パワーに押されて激変してしまうことでしょう。比較的人口規模の大きい日本国でさえ、人口は、中国の十分の1に過ぎません。もっとも、共産党一党独裁体制の下にある中国市場は、政府系企業優遇措置や統制経済的手法を残していることに加えて、消費市場としても十分に成長しているとも言えず、それほど魅力的な市場ではなくなってはいますが…。

 欧州市場を中国市場に置き換えてみますと、EU側の要求が、如何に無理難題であるのか理解できます。巨大市場へのアクセスは確保できても、人の自由移動の条件を受け入れたことから、国民の過半数を占めるに至った移住民が政治的権利を主張するようになり、もとからの住民が将来的には祖国を喪失し、国家の独立性やナショナル・アイデンティティーも危うくなるのですから。EUが、EEC創設以来の原則という理由だけで、頑なに人の自由移動の原則に拘っているとしますと、前例踏襲の悪しき官僚主義に陥っているのかもしれません。果たしてEUは、欧州の人々を何処に連れてゆこうとしているのでしょうか。

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”裏プロジェクト”としての”EU市民統合”の表面化

2016年10月03日 14時57分37秒 | ヨーロッパ
ハンガリー国民投票不成立=要件満たさず―難民受け入れ反対98%
 欧州統合と申しますと、直ぐに頭に浮かぶのは、経済分野における華々しいプロジェクトの数々です。60年代には関税同盟を実現し、90年代にはEUを創設すると共に、単一欧州市場をも完成させました。そして、単一通貨ユーロの登場は、EUが、不可能という声を押しのけて成し遂げた壮大なる構想として知られています。しかしながら、現在、イギリスが国民投票によってEU離脱を決定し、ハンガリーでも、EUによる難民割当に対する不満が98%の反対という国民投票の結果に表れています。

 ハンガリーでの国民投票は、有効投票数が50%を切っているために不成立ではあるのですが、棄権票を考慮しても、EUの難民政策に対する国民の強い不満が伺えます。今に至り、何故、かくも移民・難民問題が深刻化してるのかと申しますと、人の自由移動の実現は、”裏プロジェクト”であったからではないかと思うのです。経済分野におけるプロジェクトは、表舞台において堂々と推進されており、誰もがその内容や影響について凡そ理解していました。その一方で、人の移動の自由化は、EEC時代から目指すべき基本原則として掲げられつつも、その具体的な内容については、十分なコンセンサスが形成されていたとは言い難い面があります。況してや、”EU市民統合”といった名称で、プロジェクト化されていたわけでもありません。内容や範囲が曖昧な内にEU主導で進められ、国民が気が付いた時には、国家の根底を揺るがす重大事に発展していたのです。加盟国の拡大や国際情勢の変化によって、移民数や難民数も劇的に変化し、当問題への効果的な対応を理由にEUの権限も拡大するのですから、加盟国政府や国民にとりましては、”こんなはずではなかった”ということになるのでしょう。”欧州市民統合”の行き着く先には、国民の枠組みの融解させ見えています。

 人の自由移動の原則に基づく”EU市民統合”が、EU統合に付随する不透明な”裏プロジェクト”であったことは、今日、EUのみならず、加盟国をも不安定化し、国内分裂の要因にもなりかねません。人の自由移動とは申しましても、ビジネスや観光等による一時的な移動もあれば、現地での就業や社会保障の享受等を伴う定住型の移動もあるのですから、移民・難民問題が噴出したのを機に、人の自由移動の曖昧さと加盟国間のコンセンサスの欠如がもたらす問題について、EUは、方向性の見直しを含め、真剣に向き合うべきではないかと思うのです。

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日本国は”植民地”となるのか?ー農業開放政策の行方

2016年10月02日 15時28分30秒 | 日本政治
 本日の日経新聞朝刊の一面に、農業分野における外国人労働者の受け入れに関する記事が掲載されておりました。この記事、日本農業の将来を考えますと、一面に掲載さるだけの理由があるように思えます。

 アメリカ大統領選を機に先行きが不透明化したものの、現在、TPP協定の発効を視野に、日本政府は、農業の国際競争力を高めるべく、様々な政策を実施しています。その一環として、農地の集約化といった農業の経営規模を拡大させる政策も追及され、農業改革は急務とされています。農業分野における外国人労働者の受け入れも、この文脈として理解され、海外から安い労働力を導入することで、農産物価格を下げようとしているものと推測されます。

 しかしながら、この政策、過去において、どこかで見たような気がします。安価な農業労働力を目的とした外国人労働者の導入こそ、実のところ、植民地政策の基本的モデルです。日本国民には殆ど知られていないことですが、現行の法令(「外国人就農に伴う農地の権利取得についての取扱い要領」)によれば、外国人であっても、一般であれ、特別であれ、永住権を有する人は、日本国の農地の使用収益権を取得することができます。今日、急激な勢いで中国国籍者を筆頭に永住権取得者が増加しておりますが、永住資格を得た外国人が、日本国の農地の使用収益権を買い集め、仮に、今般の農業分野での外国人受け入れ案が実現するとしますと、外国で労働者を募集して国内農園で就業させるかもしれません。近い将来、日本各地に、外国人による”プランテーション”が続々と誕生する事態も予測されるのです。まさしく、かつての植民地のように…。農業とは、一つの”農村共同体”を形成する傾向にありますので、”外国人村”と化すのも時間の問題となりましょう。

 日本国政府が描く将来の日本国の農業像とは、外国資本、あるいは、外国人労働力に依存するプランテーション経営なのでしょうか。もし、そうであるとするならば、たとえ、日本産の農産物が国際競争力を幾分得たとしても、地方が培ってきた経済、社会、歴史・文化…は、見る影もなく破壊されることでしょう。農業部門における開放政策が、実質的な”植民地化”を意味するならば、国民から大反対の声が上がるのではないでしょうか。

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