駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『エニシング・ゴーズ』

2013年10月14日 | 観劇記/タイトルあ行
 帝国劇場、2013年10月13日マチネ。

 1934年。ナイトクラブの歌手リノ(瀬奈じゅん)はウォール街で働くビリー(田代万里生)に夢中。でもビリーは社交界の華ホープ(すみれ)に恋している。リノがショーガールを引き連れて乗り込む豪華客船S・S・アメリカン号に誘っても一向に乗ってこないが…
 作詞・作曲/コール・ポーター、オリジナル脚本/P・G・ウッドハウス&ガイ・ボルトン、、ハワード・リンゼイ&ラッセル・クラウス、新脚本/ティモシー・クラウス&ジョン、ワイドマン、上演台本・演出/山田和也、訳詞/高橋亜子。1934年ブロードウェイ初演、1989年日本初演。日本では3バージョン目。全2幕。

 大地真央主演で観たことある…気がしますが記憶がない。有名な楽曲が多い、タップが楽しい、ハッピー・オールド・ミュージカルですね。
 二階上手端で観たのですが、オケが近かったこともあって敢闘賞は指揮の塩田先生に差し上げたいです。オーヴァーチュアからノリノリで客席の手拍子をあおり、フィナーレは完全ダンシング状態でした(^^)。
 ただ、マイク音量をもっと上げてくれてもよかったかな。オケの生音とのバランスはよかったのですが、大きな空間が埋まっていない気がしました。舞台下手奥の何もない空間(甲板を表現しているんだけど)が丸見えで、カンパニーに対してちょっと広すぎた気もしました。

 でも結婚したせいかちょっとふっくらしたアサコは、キュートで気のいい、でももう決して若くないショーガールのヒロイン役がぴったりでした。歌もダンスもコミカルな演技も申し分ない。
 そんなヒロインがころりと惚れる二枚目の青二才役にまた田代くんがぴったり。田代くんが惚れる社交界の華にすみれはぴったり。『二都物語』よりだいぶ台詞が達者になっていました。ただ上品すぎたかな?
 私がわりと好きな吉野圭吾はこのところエキセントリックな役を観ることが多かったのですが、そして今回のイヴリンも決してエキセントリックでないとは言いがたいのですが、でもまさかのヒロインの相手役で、嬉しゅうございました。
 大澄さん、保坂さん、鹿賀さんとみんなきっちりいい仕事をして、上質な舞台になっていたと思います。
 梅花についてノーフォローのところとかに差別を感じるわとかはつっこまないことにします。三組のウェディングで終わるハッピーさはやはり美しい。でももっとがつんとショーアップして作れそうな気もするけどなー、振り付けの問題なのかな? 宝塚のレビューを見慣れている身としてはまだまだ地味に感じる部分もありました。
 でもでも楽しかったです。
 海外版CDが売店で販売されていなかったのが残念でした。

 
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宝塚歌劇専科・星組『第二章』

2013年10月14日 | 観劇記/タイトルた行
 宝塚バウホール、2013年10月12日マチネ。

 12年連れ添った妻を亡くしたショックから立ち直れずにいる小説家のジョージ(轟悠)には弟のレオ(英真なおき)によるあのてこの手の励ましも功を奏さない。一方、6年間の結婚生活にピリオドを打ったばかりの女優ジェニファー(夢咲ねね)も、親友のフェイ(早乙女わかば)が紹介する男性たちに一向に魅力を感じられずにいた…
 原作/ニール・サイモン、脚色・演出/石田昌也、翻訳/福田陽一郎。全2幕のストレート・プレイ(フィナーレつき)。

 ちょっとお洒落でエッチな大人のラブコメディ、という評判を聞いていたので、石田先生が下品にしてなきゃいいけどとは心配しつつも楽しみに出かけました。
 が、私は期待外れだったかな。
 なんか、キャラクターたちのベースメントが見えなかったのです。
 ジョージは本当に亡妻バーバラを懐かしんでいるのか、単に弟相手にオーバーアクションなだけなのか、まずそこがわからなかった。だって普通の人間ってあんなに騒がないじゃないですか。コメディだとしても本気なのかギャグなのかはわからないと私はついていけません。
 ジェニファーにしても、何故別れたのか、実は別れたくなかったのか、せいせいしたのか未練があるのかよくわからなかった。次の恋を始めるつもりは本当にないのか、なら何故ジョージとであっただけでころりと乗ってしまうのか? そんなこともあるさ、というおもしろさで笑わせたいなら、なおさらジェニファーの前提条件を私はきちんと抑えておきたかったです。
 不倫カップルのレオとフェイも「総仕上げ」前なんじゃそんなの不倫でも浮気でもないじゃん。ダブル・スタンダードのある日本人と比べてアメリカ人既婚者はけっこうお堅いからこれくらいでも大問題なんです、ということなのかもしれないけれど、それじゃ主役カップルとの対比にならないし、彼らのやっている恋愛が私にはなんかよくわかりませんでした。
 ユーモラスな台詞はところどころ笑えたし、下品では全然なかったし、じゅんこさんの達者さとねねちゃんの「夢咲ねね芸」を堪能できたのでいいんですけれどね…
 でもフィナーレが余興として楽しかっただけ、というのはどうなんだ…ううーむ。期待していただけに残念でした。すっごくおもしろかったのに、という方、単に感じ方の違いです、すみません。

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女優・大空祐飛、始動!~『唐版 滝の白糸』初日日記

2013年10月14日 | 大空日記
 8日19時シアターコクーンにて開演の初日、行ってきました!
 17時には渋谷で友人と合流予定だったのですが、昼過ぎから緊張し出して仕事が手につかなくなり、なのに16時くらいから仕事が急遽わたわたし出して、でもなんとかやるべきことはすべて片づけて会社を脱出。
 友人とお茶している間にも、ワクワクしてきたりソワソワしてきたりヒヤヒヤしてきたりのいったりきたり。なんなんですかねえ、このファン心理。別に自分が出るんでもないのに!
 何をやらかしてくれても(オイ)見守り受け止めるつもりなのですが、でもこういう暑苦しい視線が大空さんには迷惑なんじゃないかな、と思ったり。
 初日の客席なんて完全にファンの同窓会状態だと思うけれど、そういうのが逆に重荷だったりするかもしれないよな、と申し訳なく思ったり。
 でも観たい、新しい大空さんが。こんなファンをどうか許して、と謝りたいくらいのつもりで、それでもいそいそと出かけたのでした。

 劇場入り口にモギリが何人も立つわけじゃないから、開場の際に行列ができることはままありますが、プログラム売り場にあんなに行列ができるロビーをコクーンで初めて見ましたよ。そしてそこかしこに知った顔。来ると聞いていた友達と、約束せずともバッタリ会える謎の空間(^^;)。
 Bunkamuraチケットメイトの先行抽選で自力ゲットした2列目上手の席につき、もはや気絶しそうな気持ちで開演を待ったのでした。

 インタビューなどから、洋服ダンスから現われる、とは聞いていたので、運送屋がタンスを運び込むともう緊張MAX!
 まさかもう中に入っているの? 丁寧に扱ってよ、ぶつけたりしないでよ、横倒しになってるけど中で寝そべってるの?ともうヒヤヒヤ。
 で、舞台下手に背景をバックに立てかけられたので、ああこれからタンスの奥を使って入るのか、と一安心。ちょうどタンスの扉が自分の方に向いていたので、私に向かって現われるのねドンと来い!とか思っていました。
 そうしたらタンスの扉が開いて、まさかの空っぽ。ではイリュージョンみたいな仕掛けでこのあと再度入るのか…?とか思っていたら…
 あの、まさかの登場場面だったのでした。
 素で驚いたし、なんかヘンな声が出そうだったのでとっさに口に手を当ててしまいました。そのまましばらく固まっていました。だって大空さんがあまりに綺麗なんだもん。そして変わらずそのまんまだったんだもん。でももう新しい表情をしてみせてくれていたんだもん。
 変わっていた。新しかった。でも変わらず好きな顔、好きな声、好きな姿、好きな演技だった。
 それがもう嬉しくて嬉しくて泣けてきそうで、でも話は追いたいから必死に冷静になろうとしてくらいついて…
 もうタイヘンでした。
 いやあしかし拍手入れたいくらいでしたねー。てか舞台写真を販売してくれませんかねー。あんな仁王立ち登場するヒロイン、なかなかいないと思うんだけどねー!

 さて、私はアングラ初体験でして、理屈っぽい性分ゆえわかるのかいな、とか心配していたのですが、舞台そのものは大空さん効果か「考えるな、感じろ」ができて、正直すっごくおもしろく観てしまいました。
 今日までに再度観ましたが、わかって観てもおもしろかった。もう数回リピートしますが、大丈夫だと思います。
 いい役、いい演目に恵まれたと思うし、上々のスタートだと思いました。演目は選ぶかもしれませんが、これからも女優として普通に活動していけそうだと安心しました。毎度立ち位置不明で申し訳ない、しかしファンとはそうしたことを心配するものなのです。

 カーテンコールも二度目までは微笑む程度でしたが、だんだんほぐれてきて笑顔がこぼれてきて、もう可愛いのなんのって!
 何度目かのカテコで蜷川さんも唐さんも出てきてくれて、「ごごごご満足いただけましたかね先生方」とうかがいたいくらいでしたが、とりあえずみんな笑顔でよかったよかった。
 これが公式にはどう評価されていくのかはまだわかりませんが、私の周囲の大空さんファンは「宝塚でないと、男役でないと」なんて域をもうとっくに通り越してしまっているので、もうデレデレでした。
 いやぁいいですよお甲さん。綺麗でカッコよくて可愛くていじらしくてズルくて愚かでしたたかで粋で。台詞音量も小道具使いも演技の緩急も、もしかしたらまだまだ改善の余地があるのかもしれませんが、まずは申し分なかったと思いますし。
 狼カットで、前は丸く後ろはV字に開いた赤いワンピース、黒と金のベルト、黒いナチュラルストッキングに紫のストラップハイヒール、ヒョウ柄のハンドバッグ。ブレスレットは鼈甲?
 胸のラインは綺麗で、細すぎたりしていない腕が美しく、肩幅は袖でカバーされ、身頃も細すぎて怖いとかはない、脚は美しい。
 チークもシャドウもルージュも素敵。ネイルは赤かな黒かな?
 くるくる変わる表情が本当に魅力的で、たとえばフローレンスとかの宝塚歌劇でやる女役とはやっぱり違って、新しい顔、仕草、声、姿態。
 実はちょっと心配していたのですが脱いだりヘンにくっついたりグロかったりホラーだったりは全然しなかった。一安心。イヤやってくれてもいいですけどね、ついていきますけどね?
 それで結局お甲さんは夜空のお星様になってしまったのかしら、でも大空さんは地上の星として私たちのところに再び戻ってきてくれるのよ…そんなことを考えたりした、幕切れでした。

 出待ちはなんとみっちり500人はいたと思います。なのでお手紙は回収でしたが、現役時代より全然早い時間の出でした。
 黒ハットに白シャツ、黒ニットに黒パンツ黒ブーツ、メガネ。ニコニコのご機嫌さんで、大勢の様子に「わああ」って感じで笑って、「元気ぃ?」なんてユルい第一声で。
 みんなに会えて嬉しいです、なんて言ってくれて、「女もいいでしょ?」なんてお茶目に聞いてきて。
 あとで思うに、やっぱりファンの反応が心配だったのかもしれないな、と思いました。でも本当に素敵だったし、たいていのことならファンは大空さんがいいとして選んだものを受け入れてしまうと思うんですよね。だからそんなふうに心配しなくて大丈夫ですからね、そういうのナシにしてもホントに素敵でおもしろい舞台でしたからね、と言ってあげたかったです。てか次は手紙に書く。
 車に乗ってからもスモークガラスを下げてバイバイのお手手振ってくれて、もうその可愛さに本当に泣けてきました。
 友達と祝杯挙げて、楽しく帰宅したのでした。

 じゃんじゃん仕事するタイプじゃなさそうだし、次の仕事とかも全然決まってなかったりするんだろうし、この公演が千秋楽を迎えたらまたしょんぼり寂しい時間が巡ってくるのかもしれませんが、今は同じ東京の地にいてくれる、劇場に行けば会える出待ちがあれば会えると思えるのが本当に嬉しいです。
 ファン友達もばんばん遠征していてしょっちゅう会うし呑むし、自分も行くし、楽しい楽しい。
 大事に通いたいです。
 どうか大空さんも、体には気をつけて、のびのびがんばってください。応援しています!
 



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宝塚歌劇月組『ルパン/Fantastic Energy!』

2013年10月14日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 宝塚大劇場、2013年8月4日マチネ。東京宝塚劇場、9月3日ソワレ、12日ソワレ(新人公演)、25日ソワレ、10月6日マチネ(前楽)。

 400万ポンドもの大金がロンドンからパリに空輸されるという前代未聞の出来事に、パリの街は沸いていた。受取人は父親であるレルヌ大公を謎の自殺で失った悲劇の令嬢カーラ(愛希れいか)。後見人と称する四人の取り巻きの男性と同じ屋敷で暮らす彼女はパリ中の噂の的だった。大公の遺書には、四人の中に正体を隠したアルセーヌ・ルパン(龍真咲)がいる、その人物を見つけ出し頼るように、とあったが…
 脚本・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城。モーリス・ルブランの没後70年となる2012年に発見された未発表作『ルパン、最後の恋』をミュージカル化。

 私はおもしろかったです。あくまで、私は。
 私は宝塚歌劇初観劇がハリー作品というハリーファンだし、学童保育の児童図書館で子供用のシャーロック・ホームズとアルセーヌ・ルパンと明智小五郎ものを読破したような子供だったし、成人してからは創元社文庫とかハヤカワミステリ版も読みましたし、今回の原作も読むようなオタクだからです。
 普通の人はそうじゃない。だから「よくわかんなかった、つまんなかった」と一蹴されてしまっても仕方がないと思いました。イヤ悔しいけれどね。もうちょっとどうにかできるだろうと思うけれどね。
 ルパンと言ったらルパン三世、それだって怪しいくらいなのが今の世の中ですよ。作者の名前がモーリス・ルブランであることなんて多分ほとんど知られていない。だから、ルパンはルブランが書いた架空のキャラクターにすぎないのに、この舞台では実在の人物になっていて、ルブラン(北翔海莉)はルパン本人から思い出話を聞いてその伝記を執筆しているという形になっている、というところにある種のおもしろさがあるのだ、ということなどわからないのです(そういう形の作品が原作シリーズにもあるのですが)。物語本編はルパンのある種の回想の形になっていて、だからルパン以外の人間にはルブランは見えないのだ、だってその時空に今のふたりはいないのだから、ということがわかりづらいのです。回想が現在に追いついて初めて、カーラはルブランに挨拶し、ルパンは「ここからはプライベートだから」とばかりに今まで分身のようだったルブランを追い出し、キスする前にはルブランが見ていないか確認したりする。そのおもしろさが伝わらないのです。ルパンが死を偽装する作品が原作シリーズあること、だからまた死を偽装して今度こそ引退して一般市民として平和に暮らしていけばいい、そのために精巧な死体を作るから、と乳母の亭主の発明家(越乃リュウ)がおもしろがる解決策のおもしろさが理解されないのです。
 あああ、もったいないなあ。
 こんなおもしろいギミックを導入しておきながら、物語自体は原作にけっこう忠実に進めていて、未発表なだけに推敲もされず要するに不完全作だった原作の駄目なところもそのまま舞台に出てしまっています。もっと換骨奪胎しちゃってもよかったのになあ。せめてもう少しだけ整理・省略するとか。原作には出ていないけれどルパン・シリーズにつきもののガニマール警部(海条星斗)を登場させるところとかは本当に上手いし、今の複雑かつ微妙な月組のスター人事を上手くあしらった配役やキャラクター立ても上手いのになあ。
 ああああ、もったいないなあ。
 台詞とか掛け合いとか本当にお洒落だし、ニヤリとさせられるし、歌詞もあいかわらずいいし、盆や装置の使い方も素敵だし、群集やコロスの使い方も好みなんだけれどなあ。あああああ。
 そんなもどかしくも楽しい観劇となってしまいました。

 みっちゃんの異次元の上手さはこの役にぴったりでした。
 ヘリンボーンの越リュウは役不足でもったいなかったし、ビクトワール(飛鳥裕)とはいかに若作りの亭主とはいっても夫婦には見えませんでした…
 ところで「ふたり分の乳母になれるわ」って何? ビクトワールはかつてはラウールの乳母ではあっても今は家政婦とかなんだろうし、カーラだって乳母を必要とするような歳ではありませんよ? ふたりの間にこれから生まれるであろう子供のこと? でも何人になるかなんてわかんないじゃん??
 女性予審判事フラヴィ(憧花ゆりの)のすーちゃんも素晴らしい。マギーのガニマールは余人ではこうはできないという役作り。カーベット(沙央くらま)がいい黒コマでゾクゾクしました。真の黒幕ドースン(凪七瑠海)もしゅっとしていてよかった。メガネも素敵。ヘアフォール伯爵(美弥るりか)は結婚したい男ナンバー・ワンです。最後にラウールの背中を押す演技にはシビれたわー。
 人殺し三人組のせりちゃんるうちゃんゆりやんがきっちりいい仕事をしていていい感じ。オックスフォード公(宇月颯)の憎めない薄ぼんやり感が素晴らしい。上司に決して心服はしていない感じのエメット(鳳月杏)が素晴らしい。ジョゼファン(珠城りょう)の少年らしいはりきり感が素晴らしい。マリ・テレーズ(咲妃みゆ)のいかにもはしっこそうな少女感が素晴らしい。

 ちゃぴは公演終盤の出来がやはり良かったですねえ。
 カーラって正塚ヒロインらしく、ただのお嬢さまではなくて、けっこう強い娘なんですよね。冒頭でもラウールに対して「遅れてきた罰よ」とダンスを強要できる気の強さがあるし、後半でも身を引きたがるラウールに対して、彼の望みどおり好きでもない男と婚約まですることで彼が払った犠牲と同等の犠牲を自分は払った、だからもう対等なのだし逃がしはしない逃げないでほしい、待っているから応えてほしい、ときちんと要求できる女なのです。
 公演前半は物語後半がただヒーローの帰りを待つ弱いヒロインになり下がって見えて私はあれれれだったのですが、尻上がりにカーラのキャラクターをつかんできたように見えました。よかったです。

 というわけで…問題はまさおだよ…
 私個人はもっとうだうだ苦悩するルパンが見たかった。しかしそれは好みの問題でもあり、超然としたヒーローを描きたいというのが今回の趣向だったと思うからそれは言うまい。台詞自体はけっこう迷いや悩みを吐露したものがあるからそれで満足することにする(ただしそういう感情で発言されていなかったので初期は聞き流してしまっていました。要するに脚本と演技が合致していないんだとは思うぞ)。
 でもさあ、ラストはさあ、せめて「もちろんです、あなたの存在に負けました」という台詞だけは、もっと違う言い方で言うべきではなかったでしょうか?
 そのスーパーヒーローが、愛する女にだけは負ける、愛に対してだけは負けを認める。それこそがハリー作品の眼目であり美学でしょう。それをあんなにあっさり、悔しげもてらいもなく言ってしまっていいものだろうか?
 たとえまさおがそう演技したかったのだとしても、ハリーがきちんと演技をつけるべきだったと思いますよ。それでいいとしているはずがない。演技指導を放棄したのだとしたらそれはハリーの怠慢です。そういう意味でハリーの加齢を心配しますよ私はファンとして。脚本はまだまだおもしろくてみずみずしくて枯れていないものを書けるのに、最終的にそういう形に舞台を仕上げられないのなら演出としての腕は落ちているのだと言わざるをえません。がんばってよハリー応援しているんだから!
 …そんなふうに、まことに身勝手に心配したりイライラしたりしながら観劇したのでした。

 ちなみに新公も観ましたが、期待しすぎたのか私は物足りなく感じました。
 たまきちなら「苦悩する普通の男としてのルパン」が演じられるのではないかと思いましたが、わりといっぱいいっぱいだったかなー。あと歌がやはりまだまだつらい。
 まゆぽんは上手いんだけどルブランの異次元さを出せる域には達していなかったと思うし。ゆうみちゃんはさすがの仕上がりでしたけれどね。
 フラヴィ海乃美月ちゃんがよかった。あとみくちゃんがさすがだった。下級生の美形揃いっぷりに震え、末頼もしいとは思いました。

 ショーは安定の中村Bショーで、とにかく一度にたくさん出すので目が足りなくて迷惑千万。
 しかしゆうきもまんちゃんもからんちゃんもジョーもいるし、うまく使ってあげていただきたいですね。
 ちゃぴがとにかくのびのび楽しそうに踊りまくっていたのは本当に観ていて胸がすくようでした。
 全ツではどんな感じにしてくるのか、楽しみです。





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須賀しのぶ『永遠の曠野』(角川文庫)

2013年10月13日 | 乱読記/書名あ行
 第一次世界大戦の余波が続く激動の時代。舞姫の地位を捨てて馬賊になったフミは一味の頭領である楊建明のモンゴル独立にかける思いを知り、どこまでもついていく覚悟をするが…
 『芙蓉千里』四部作の完結作。

 政治向きの話は若干斜め読みしつつも(^^;)楽しく読みました。
 あとがきに、自分が子供の頃に読んで好きだった大河少女漫画みたいな話を書きたくて書いた、みたいなことをかいていましたが、なるほどな、と思いました。そして確かにこれでは少女小説レーベルには収まるまい、とも思いました。
 私は生涯の愛読書のうちのひとつであるK・M・ペイトンの『フランバーズ屋敷の人々』を思い起こしました。これまた岩波少年文庫なんぞに入っていますが決して児童小説の枠に収まるものでもなく、むしろハーレクインと言っていいくらいの大河少女小説なのです。
 そして私がこの作品で評価している点は多々あるのですが、特に声を大にして言いたいのが、ヒロイン・クリスチナの相手役が替わっていくこと。まずは引き取られた先のお屋敷の次男坊のウィル、その次に使用人のディック、そして最後にウィルの兄のマーク。まあ実際にはこれが最後かどうかはわからないし、マークを選んだともつかないところで物語は終わるのですが。
 「スパンの長い大河系の話で、どんどん新しい世界に入っていくヒロインがなぜ初恋を貫いたり、幼なじみとくっつくパターンが多いのだろう」「環境が激変すれば新しい出会いもたくさんあって、主人公の物の見方もまるで変わるのに、なぜ恋の相手だけは昔のままなのか」という作者の疑問は確かに正しい。そりゃ運命の相手と早くに出会ってそれがまとまったら楽です。これはロマンティックだとかなんだとか言うより、この「楽である」という部分が実はけっこう大きいと思う。女は現実主義で無駄なことが嫌いで、字はけっこう怠惰で1/1ですめばそれが一番いいと考える生き物なのだと思います。
 でも現実はそうそう甘くない。毎回次々がんばるしかない。それをやってのけるヒロインをきちんと描くことこそ正解だと思うのです。『フランバーズ』もそうした作品でした。
 作者が例としてあげていたのは『ベルサイユのばら』と『はいからさんが通る』でしたが、同時代の傑作『キャンディ・キャンディ』の方がむしろふさわしいかもしれません。確かに最終的には初恋の相手である「丘の上の王子さま」アルバートさんと結ばれて終わるので、いわゆる初恋ものなのかもしれませんが、そこに至るまでのアンソニーとの恋、テリーとの恋はどちらもそれぞれ本物でした。ヒロインは何度でも真剣に恋できるのです。そしてそれは別にビッチなことではない。
 一巻目を読んだときに私は黒谷さん派なんだけど、と書きましたが、この作品でヒロインの相手は黒谷、建明、炎林と変わっていきました。それぞれのつきあい方の違いもいい。意外に炎林がツボだったこともあって、本当に楽しく読めました。
 そして物語としてはこのあたりでまとめどきだったと思います。全生涯を書ききることなんかできないし、それでヒロインの人生を読者が追体験できるかというとそうではないからです。読者は読者の人生を生きているのだから、ヒロインの人生のごく一部を物語の形として切り取って読ませてくれれば十分なのです。
 ああ『フランバーズ』再読したくなっちゃった。まずは『キャンディ~』かな。
 いい作家、いい小説に出会えました。
 
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