駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『宝塚をどり/明日への指針/TAKARAZUKA花詩集100!!』

2014年06月14日 | 観劇記/タイトルた行
 宝塚大劇場、2014年4月22日マチネ、ソワレ(新人公演)。
 東京宝塚劇場、5月18日ソワレ、6月3日ソワレ、8日ソワレ、13日ソワレ。

 宝塚歌劇100周年記念公演となる3本立て。

 日本絵草紙『宝塚をどり』は作・演出/植田紳爾。「100」の一文字は二階席から見るととても綺麗、チョンパの幕開きも歓声が沸きました。
 初舞台生口上もけなげでいじらしくよかったですが、伝統文化といえど宝塚歌劇の舞台に男声が響くのは私は嫌いなので松本先生の場面はパス。三番叟はみんな武者人形みたいで美しい。
 郷土芸能よさこい場面はセンターの三人の三者三様っぷりが素晴らしい。ダンスが一番上手いのは年ちゃんだと思うのだけれど、ちなっちゃんの涼やかな目力とシャープな動き、そしてたまきちの真ん中力、いなせな男らしさがたまらん!
 獅子と牡丹、胡蝶も美しく、すみれのボレロも定番ですがよかったです。
 総じて星組の和物ショーよりよかったけれど、やっぱり長いな、芝居と逆の尺でいいよね。私に日舞を見る素養がないこともありますが。
 そりゃ伝統は大事です。でもだったら海外公演に『若き日の唄は忘れじ』とか『小さな花がひらいた』を持っていこうよ。
 あと和物ショーなら酒井先生のものが見たいです。というか植田先生はいろいろな意味で本当に勇退あそばされた方がいいと思いますマジで。観音様じゃないよマリア様だよ、と言われなきゃわからないなんて意味がない。

 プチ・ミュージカル・プレイ『明日への指針-センチュリー業の航海日誌-』は作・演出/石田昌也。
 35分の中でなるべくたくさんのスターにキャラクターを与え、四日間の船旅のドラマを作り、一三、公平両先生へのオマージュも盛り込む…意欲は買いますがいかにもせわしなかったです。そして肝心のキャラクターが破綻しているしストーリーもコン・ゲームとしても機能していません。つらかった…
 そもそもトップスターが演じる主人公ジェイク(龍真咲)が博打打ちの借金持ちってのはどうなんだ。ヒロインのレイラ(愛希れいか)に説教くさい台詞を言わせてはいますが、それで改心が期待できるのでしょうか?
 それと通信士が理系で小説家が文系なの? 石田先生にとって科学って何?
 アンジェラ(海乃美月)は「恋人は?」ってただその有無を聞いただけではないの? それに対するジェイクの台詞ってどういう意味? 会ったばかりなのにそんなプライベートなことを答える義理はない、ということ? 会ったばかりの君みたいな相手を恋人になんかできないよ、と言っているようにも聞こえ、なんなのこの自意識過剰男は?と思ってしまったんですけれど?
 さらに言えばレイラはなんだってジェイクの声がけをナンパだと判断するわけ? どれだけ自意識過剰なの? 何故ジェイクの小説をストレートに褒めないの? 何故聞かれてもいない自分の結婚生活の話なんかするの? 会話の流れが不自然すぎるでしょう。
 レイラの夫ドナルド(輝月ゆうま)は妻を誘惑するようジェイクに依頼したとき、写真だけ渡して名前も教えなかったの? おかしくない? ジェイクはどの時点でアンジェラを探して自分が声をかけた女性がターゲットだと気づき、誘惑に移ったの? 全然わからないんですけど?
 ドナルドの逮捕劇に関してサイモン(沙央くらま)は船長に扮して何をしているの? 単なる度胸試し? ドナルドが本物の船長だと信じたら演技に自信が持てるとか、そういうこと? サイモンが船長だとだまされたドナルドが馬脚を表すとかの展開にならないとムダなんじゃないの?
 ナイジェル(凪七瑠海)のトラウマは時効とは関係ないでしょう、犯罪とは違うんだから。女の子のふりをすることを「女装」と言いなおす意味がないしそのセンスが理解不能だわ。
 役者は懸命にがんばっているだけに脚本の残念さがつらかったです。

 グランド・レビュー『TAKARAZUKA花詩集100!!』は作・演出/藤井大介。
 往年のレビュー『花詩集』のアレンジであり、衣装にアントワーヌ・クルックを招聘していることもあっていつもの劣化大介ショーではなくなっており、楽しかったです! これでもかこれでもか、という盛りだくさん感がたまりませんでした。
 まず花詩集の紳士のまさおが素晴らしい。白か銀かというシルクハット、燕尾服にマント、大きな薔薇の飾り、あんなのなかなか着こなせません!
 初舞台生ロケットのお衣装はちょっと裸エプロンみたいで露出が多すぎ生々しすぎたのが残念でしたが、斬新ではありました。振付もよかった!
 プロローグに大階段ってのも華やかでいいですよね。みやちゃんがセンターで残っての「ラ・ロマンス」もいい。
 続く「マーガレット」、白の王子のカチャが黒の王子のたまきちにマーガレットちゃぴを奪われて終わる展開が納得すぎる(^^;)。リフトよかったなー。鬘はカチャに合わせて長短2パターンあるそうでしたがどちらも好きでした。
 「赤いケシ」ではマントの女コマもいいがタバコの女のみやちゃんの脚線美がたまらん! 脚が細すぎるのであれくらい飾りがあって適度に隠せた方がいいですよね。
 中詰めの「青い蘭」はみんなが青と金のお衣装の中、紫の全身タイツでセリ上がるたまきちがたまらん! 素晴らしいモジモジくんだ!! 当初はテレもあったようですが、いいウィンクをするようになってくれておばちゃんは嬉しい…暗転際にパチン☆と決まるとホントにきゅんとしました。
 まさおの吐息にちゃぴのパンチある掛け声もいいし、総踊りのあと月下美人センターでもう一押し残る感じもものすごく好きでした。
 スミレの青年のコマはさわやかでリリカルで、「スミレ」のトップコンビのお衣装は砂糖菓子のようで、羽根扇の男たちがまた良くて、黒燕尾がまたカッコよくて、長いトレーンを引いたレディちゃぴが美しくて、100人ロケットが圧巻のフォーメーションで、だるまさきがいい太腿してて、「ブラックローズ」がとんでもなくて、詩人がまた素敵で立派に銀橋を渡れるようになっていてまたまたおばちゃん感涙。黒髪が素敵だけれど金髪も悪くないと思ったなー。
 銀の花のデュエダンもいい。カチャのエトワールで番手をごまかしているのは難点ですがパレードも華やかで、さすがの人海戦術が圧倒的でした。楽しかった!

 そして大劇場では新公も観られました。
 お芝居のありちゃんはさすがにいっぱいいっぱいでしたが、まあ貴重な経験ができたのではないかな。あーさ、れんこん、まゆぽんにはーちゃんとタレントが揃っていますねー。
 そしてショーの新公ときたら! 真ん中部分は各場面ごとに若手に譲ったたまきちがプロローグとフィナーレだけで完全に確変!! 『New Wave!!』での経験が生きたか、色気や男気を前面に出して「オレを見ろ!」「オレが主役だ、オレが引っ張る!!」感が完全に出ていました。こんなたまきち見たことなかった!!!
 黒燕尾のセンターなんか本当にシビれました。前に誰かの背中を見ることができない位置に立ってやっと性根が座った感じがしました。そして後ろを気にすることなくひとりでガツンと踊ってみせていて、完全に場を引っ張っていたし他の組子とは段違いでした。スター誕生ってこういうことをいうんだなあ!と興奮しました。
 各組とも2年に一回くらいはショーの新公をやった方がいいですよ。あと雪星宙でも『New Wave!!』やって! でないとスターは育ちません。
 大柄で今どき珍しく男臭い持ち味があって、下級生時代から抜擢され続けてきたたまきちが、とまどいながらも懸命に応えようとしてきて、性格的にものんびりのんきにしてしまいそうなところをずっと突き上げられてきて、ついに覚悟が決まった、一皮剥けた、って感じがしました。もう大丈夫!みたいな。
 今までの努力とその決意は決して裏切らないし、ファンも応えて応援していくと思うなあ。ああ、いいものを観ました。




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『昔の日々』

2014年06月14日 | 観劇記/タイトルま行
 日生劇場、2014年6月12日ソワレ。

 ディーリィ(堀部圭亮)とケイト(若村麻由美)夫婦は静かな海辺の片田舎に暮らしている。そこへケイトの旧友アンナ(麻美れい)が訪ねてくることになった。20年ぶりに会うアンナのことをケイトは「唯一の友達」だと夫に説明するが、久々の再会にもかかわらず心躍らせる様子もなく、過去のことは思い出せないとも言う。どうやらケイトとアンナは若い頃にルームメイトだったようで、ふたりの前に現れたアンナは大都会ロンドンでケイトと暮らした娘時代の日々のことを饒舌に語るが…
 作/ハロルド・ピンター、演出/デヴィッド・ルヴォー、翻訳/谷賢一、美術/伊藤雅子。1970年初演。全一幕。

 ピンター作品だと『温室』、ルヴォー演出だと『ナイン』『人形の家』『ルドルフ』なんかを観ています。
 ターコさんと若村麻由美が大好きなのでいそいそと出かけました。
 が…綺麗サッパリわかりませんでした。
 三人の記憶がまちまちでいき違う話…みたいなものだと聞いていたので、『藪の中』みたいなものなのかな?と想像していたのですが…
 パールグレーみたいな青みがかった白みたいなドレス(衣装/前田文子)のケイトはデコルテも二の腕もあらわでたわわで柔らかそうで、ジョーゼットみたいなダブルガーゼみたいな素材も柔らかそうで、熟れきった、でも何かに膿んだような不安定な風情の女性。
 対してアンナは背が高くてほっそりとしていて、赤いブラウスに黒のタイトスカートをしゃっきりと着て、でも決してただのタチっぽくはなくケイトに絡み触れ抱き寄せ、若き日の思い出話を熱く語り、ルームメイトと言いつつ恋愛関係だったのなんなの?と不穏で不安な空気を醸し出す。
 ディーリィはちょっとくたびれて見える茶のスーツを着た男性で、話の主導権を握ろうとするところなんかがいかにも嫌な男なんだけれど、どちらかというと小物に見えてしまい、稼ぎはいいのかかもしれませんがケイトが何故彼と結婚したのか、どんな結婚生活を送っているのかがあまり見えません。
 とにかく三人は三人だったりふたりになったりしながら噛み合わない会話を続け…そうして見えてきたのは、アンナがもはや死んでいるらしいこと。そう言われてアンナはカウチで胎児のように丸くなり、動かなくなります。
 アンナは死んでいてここにいたのは亡霊である、というよりは、ケイトの幻覚、幻想のようにも思えました。だからこれは三人の会話というよりも、幻覚を語るケイトを正そうとするディーリィの物語だったのかな、と最後には思いました。
 最初の台詞を発したのはケイトでしたし、観客の大半は女性で(日本の劇場では特に)ヒロインに感情移入して舞台を観たがるものでしょうし、私も女優のファンとしてそうでした。そのキャラクターのスタンスが実は怪しかっただなんて…!というコペルニクス的転回を楽しむ舞台とするには、ディーリィはあまりに魅力と求心力に欠けたキャラクターになってしまっていたのではないでしょうか。
 まずもってもっと上背のある、かつ男前な俳優をキャスティングするべきだったと思います。でないとケイトが夫にするとは思えない。
 そしてさらに、私はもらい損ねたのですが、終演後に配られたというペーパーによれば演出意図としてはアンナはケイトの抑圧されたもうひとりの自分、みたいなものだったそうですね? だったらアンナもミスキャストだったのでは? 「もうひとりの自分」とやらの方が実際の自分よりも精神年齢が高いことはもちろんあるでしょうが、それにしてもタイプが違いすぎないか。もっと表裏一体とか好一対とか精神的双子みたいに見える女優ふたりを使った方がおもしろかったのではないでしょうか?
 なんにせよ観客に観劇後に演出意図を説明するってなんなんだ、観客が舞台をどう観てどう捉えようと観客の自由だし、「こう観てもらいたい」と思うならそう見えるように演出するべきでしょう。
 わからなかったから言ってるってのももちろんありますが(^^;)、私はこれはおかしいと思いましたし嫌いです。
 セットが素敵で、照明も素敵で、客席もちょっとおもしろい形にセットしてあって、そういうところは好みだったんだけれどもなあ。しょぼん。


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