こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第15主日(マタイ13:1-23)あなたにも神のことばは百倍の実を結ぶ

2023-07-15 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/7/16(No.1246)
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年間第15主日(マタイ13:1-23)
あなたにも神のことばは百倍の実を結ぶ
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「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」(13・8)「聖書と典礼」のアレルヤ唱に、「種は神のことば、まく人はキリスト」とありますから、ここから少し掘り下げていくことにしましょう。最終的にイエスは、私たち自身が蒔かれた種の実りを分け合える人となれるように招いています。

神のことばが、イエスによって種蒔かれます。今日ここに集まったすべての人に、神のことばが蒔かれます。ただし、受け取る私たちの心の状態はさまざまです。体はここにいるけれども、心はここにない。そんな状態の人もいるかも知れません。第一朗読・第二朗読・福音朗読を通して神のことばが蒔かれても、鳥が来て食べられてしまったことすら気が付かない。そんな状態の人もいるかも知れません。

また、心も体もここにいると感じていますが、「自分が聞きたいことば」しか聞こうとしていない状態の人もいるでしょう。儲かりそうな話やうまい話。そうした話しか聞く気がなければ、心に届く神のことばは僅かでしょうし、根付くこともないでしょう。

渇きを覚えて、できるだけ神のことばを受け入れたい。そんな状態でミサに来た人もいるでしょう。心を開こうと努力しているので、神のことばに確かに触れ、なるほどそうだなぁと思うのですが、今の厳しい社会の中で暮らすうちに、神のことばに根を張って生きている人があまりにも少ないため、挫折してしまう人もいるかも知れません。

ただ、そんな中にあっても、「私が今あるのは神様のおかげ。神のことばに養われて私は生かされている」と固く信じている人は、神のことばを百倍、六十倍、三十倍にも実らせるのです。

「そうは言っても福江の商店街を歩いて『私は神のことばに生かされている』と考えている人なんていやしない」実際そうかもしれません。たとえそうであっても、「私は神に生かされている」あなたがこの信仰にしっかり立っていれば、ミサで受けた神のことば、家庭で聖書を開いて目に留まった神のことばは、あなたの中で必ず実を結ぶのです。

金曜日に、お告げのマリア修道会が経営している「マリアの園」という特別養護老人ホームにミサをしに行きました。その日の福音朗読で、迫害が始まっていた当時の社会の中で証しをするように励ますのですが、「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる」(マタイ10・19)という箇所が中田神父の目に留まりました。

そこで入所者の皆さんに「皆さんはとっさの時、自分の信仰をちゃんと言えると思いますか?イエス様は、『心配いらない。言うべきことは教えられる』と言いますが、本当にちゃんと信仰を表せるでしょうか?」と投げかけたのです。その答えとして私は、「中田神父の体験から言うと、ちゃんと信仰は言い表せます。心配いりません」とお伝えしました。

言葉だけでは納得いかないでしょうから、体験談を添えました。かつて上五島の「頭ヶ島」に空港がありました。大村空港と福岡空港に、八人乗りのプロペラ機を運行していました。紙飛行機みたいでした。「物は試し」ということで、お金を払って大村空港行きの便に乗ったのです。

断崖絶壁の、小さな島のてっぺんを削って作った空港です。「この距離の滑走路でちゃんと離陸できるのかいな」と思いつつの離陸でした。案の定と言いますか、離陸した途端断崖絶壁に沿って10m、いや20m、機体が降下したのです。「あっ!」と思った次の瞬間に口をついて出てきた言葉は「めでたし聖寵、めでたし聖寵!」でした。「ちゃんと信仰を表せるものなんだなぁ」と、我ながら感心しました。

あの時中田神父が「助けて!」とだけ言っていたら、カトリックの信仰はひとかけらも見えなかった。けれども「めでたし聖寵、めでたし聖寵!」と叫んだおかげで、もし飛行機が墜落して私以外の誰かが生き残った時にきっと「めでたし聖寵、めでたし聖寵と叫んでいる人がいた」と証言してくれたはずです。

仮に、今週の説教を「めでたし聖寵の説教」と名付けたとしましょう。すると皆さんは、来週になっても再来週になっても、ひょっとしたら一年後でも、「あー、あの話ね」と思い出してくれるのではないでしょうか。思い出すきっかけは十分与えたつもりです。

これが神のことばの種蒔きです。中田神父がイエスからいただいたみことばを思い巡らし、分かち合ったことで、今週のミサに参加した30人の心の中に神のことばが根付きます。この時点で蒔かれた神のことばが三十倍になって実を付けた。そういうことではないでしょうか。おそらく「マリアの園」の30人にも実を付けてくれたと思いますから、「めでたし聖寵の説教」は六十倍の実を結んだと思っております。

今日、ミサが始まるまで何人かは「心ここにあらず」だったかも知れません。何人かは自分の聞きたいことだけを探していたかも知れません。いろんな状態の人が集まっていたはずですが、神様は中田神父を使って、今週の聖書のみことばがどうにかして根付くように働いてくださったのです。神様に感謝します。

一人ひとり、自分に問いかけてください。今日いただいた神のことば、「あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶ」これを自宅まで忘れることなく持ち帰ることができるでしょうか?来週まで、再来週まで、あるいはもっと長く、保ち続けることができるでしょうか。

一年のうち何回かでも、「あのみことばを説明してもらったあの日のミサは今でも覚えている」そんな日曜日があれば、神のことばは皆さんの中で百倍の実を結んでいるのだと思います。

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‥次の説教は‥‥
年間第16主日(マタイ13:24-43)
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ちょっとひとやすみ
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▼7月3日トマスの霊名のお祝いを2日に祝ってもらい、お祝いの花として鉢植えを頂いた。「長く楽しみたいから」ということで花束ではなく鉢植えをお願いした。当然、「長く維持する」必要が出てくる。
▼花に、無頓着だったがせっかくいただいたのだから少しは世話をしようと思い、人に尋ねた。土の乾燥を防ぐことと、葉っぱをティッシュで拭いてあげること。この二つをお願いされた。二ヶ月は楽しめそう。

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今週の1枚
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第853回目。霊名のお祝いでいただいた鉢植え。花の名前を忘れた。

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† 神に感謝 †
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