こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

主の洗礼(マルコ1:7-11)イエスは聖霊による洗礼を始めるために来られた

2021-01-09 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2021/1/10(No.1101)
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主の洗礼(マルコ1:7-11)
イエスは聖霊による洗礼を始めるために来られた
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主の洗礼を迎えました。今年はこの日まで、クリスマス飾りを置きました。9時ミサの後に、馬小屋を片付けてもらって、典礼の雰囲気も少しの間年間主日が続き、2月中旬からは四旬節に移行することになります。ただ、大変寒くなったので、天気次第です。

まず心に留めて欲しいのは、私たちは「主の洗礼」のミサを祝いましたが、新型コロナウィルスの感染が急速に拡大した長崎市内は、今週と来週の公開主日ミサが中止となりました。私の気持ちとしては、ミサに参加できない皆さんのために、みなさんとささげる今週来週のミサをYouTubeにアップして、お役に立ちたいと思っています。ご理解とご協力をお願いします。

今週の出来事を考えるために、洗礼者ヨハネの次の言葉を鍵に、考えてみたいと思います。「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(1・8)ヨハネが授けていた悔い改めの洗礼と質的にまったく新しい洗礼、「聖霊による洗礼」がイエスによってもたらされるのです。

しかしここで二つの疑問が残ります。一つは、イエスによってまったく新しい洗礼がもたらされるのであれば、イエスがヨハネから洗礼を受けることがどうしても説明できません。毎年、「主の洗礼」の祝日が来るたびに考えるのですが、どうしても消化できず、もやもやとしていました。

もう一つの疑問は、洗礼者ヨハネは、イエスに洗礼を授ける前も授けた後も、「イエスから洗礼を受けた」と書かれていない点です。イエスが洗礼を授けている報告を受けて、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3・30)と公言していますから、静かに舞台の中心を譲ったのでしょう。イエスの洗礼を重要なものとして人々に示したのに、なぜ洗礼者ヨハネは洗礼を受けに行かなかったのでしょうか。

私は、すべての説明が洗礼者ヨハネから受けたイエスの洗礼にあると理解しました。古くから、イエスが洗礼を受けたのは、イエスがヨルダン川の水に触れることで、水を清められたのだと解釈されてきました。洗礼は、水を用いて行われます。洗礼者ヨハネ以後は、ヨルダン川の水だけでなく、世界中の水が用いられます。そこでイエスが洗礼を受けることで、イエスが清められたのではなく、イエスが世界中の水を清めた。そのためにイエスの洗礼は意味があったと理解したわけです。

ただし、これだけでは洗礼者ヨハネがイエスから洗礼を受けなかったことが説明できません。そこで私は、もう一歩踏み込んで考えました。イエスは、「洗礼を清めるために」洗礼を受けたのではないでしょうか。

ご存知ないかもしれませんが、教会は洗礼の三つの形を現在認めています。通常は「水による洗礼」を受けるのですが、他にも「血による洗礼」と「望みの洗礼」を認めています。「血による洗礼」とは、イエスを信じる人が、まだ洗礼を受けていなかったけれども、イエスへの信仰を表したことで命を奪われたとします。迫害の時代はあり得ることです。すると教会は、「この人は殉教によって、『血による洗礼』を受けたのだ」と理解しているのです。

また、同じようにイエスを信じ、イエスへの信仰を十分に持っていたけれども、残念ながら「水による洗礼」を受ける前に世を去ったとしましょう。このような人についても教会は「この人は『望みの洗礼』を受けたと考えられる」そう理解したのです。

イエスが、洗礼者ヨハネから洗礼を受けました。その後、洗礼者ヨハネはどのような最期を遂げたのでしょうか。彼はイエスへの信仰を持ちつつ、ヘロデの権力で奪った妻ヘロディアの憎しみを買い、殉教したのでした。彼は「水による洗礼」を受けませんでしたが、「血による洗礼」を確かに受けたのでした。

またイエスがこの世におられた時代に、イエスを信じる人がすべて「水による洗礼」を受けたわけではありません。イエスへの信仰を持ったまま、この世を去った人々も当然いるでしょう。この人たちは「望みの洗礼」を受けたと理解できるかも知れません。ですから、イエスが洗礼者ヨハネから悔い改めの洗礼を受けた時、これから始まる「聖霊による洗礼」のすべて、「水による洗礼」「血による洗礼」「望みの洗礼」を、清められたのではないでしょうか。

考えてみるとヨハネは、いつかヘロデの憎しみを買い、イエスのために殉教することを覚悟していたかも知れません。ですからあえて「水による洗礼」のお世話にならなかったのかも知れません。これは誰にも証明できないことですが、想像は膨らみます。

洗礼者ヨハネの「悔い改めの洗礼」は、徹底して「後から来られる方、イエス・キリスト」に人々を向けさせるものでした。私たちはすでに「水による洗礼」を通してイエス・キリストに結ばれています。さらにこれから一年、ミサに続けて参加して、イエスとの繋がりを深めていきましょう。

ミサに参加できる私たちは、今残念ながらミサに参加できない長崎三地区の皆さんに、勇気と励ましを与えることができます。ミサに参加できている間は、どうやったらこのミサの時間を確保できるか考えましょう。そうすることで、受けた洗礼の恵みを大切にする人となることができます。

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‥次の説教は‥‥
年間第2主日(ヨハネ1:35-42)
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ちょっとひとやすみ
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▼久しぶりに銀世界となった。長崎県内でも100件近くスリップ事故が起こったそうだ。私もかつて車がスリップして180度向きが変わり、青ざめたことがあるのでスリップ事故の恐怖は十分理解できる。
▼個人的には、私は「降る雪」をいつまでも眺めていることができる。雪を見ながらお酒を飲む「雪見酒」をぜひやってみたいとすら思う。たとえば2000m上空からこの雪が舞ってきた。それだけでも想像が膨らむではないか。

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今週の1枚
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第708回目。教会が雪化粧をした。中田藤吉神父様もきっと寒かろう。

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† 神に感謝 †
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