繰り返している本がある。
「老いを自由に生きる」著・アルボムッレ・スマナサーラ(スリランカ上座仏教長老)肩書は当時のもの。
2017年7月から読み始めたが、なかなかいいことが書いてあり、その意味を考えながら、何度も読み返している。
いま私の状態は、病を抱え、不便さを感じながら日々の生活を過ごしている。
外出は十分できないし、食べ物も消化のいいもの、過食はできない。睡眠が十分にとれないなど、病のため「不自由な生活」だ。
スマナサーラ 「身体が老いるのは当たり前のことです。次第に、身体のどこかしらがうまく動かなくなってくるのも当然のことです。病気になるのも、当然です。」
私は、当たり前のことを時々忘れる。今まで経験してこなかった未知のものには警戒する。病気にかかれば、いろいろと原因などを調べるが、結局は加齢などが影響しているのが分かる。病が、それ以上悪くならないように願うが、それは難しい。自然にまかせながら生きるしかないようだ。
スマナサー 「人生とは虚しく、苦しく、最後は死ぬだけ」という記述を読んだ時、私は、身も蓋もないなあと思った。
私が考える人生は、意味があり、与えられた使命を果たすものだ、と思っていた。
現在まで、使命は分からなかったが、ただ、懸命に生きてきて、今に至っている。まあ、悔いのないものであった。今は病をかかえ、大変な日々を過ごしている。病とはうまく共生するようにしているが。
スマナサーラ 「力を抜いて、もっと気楽に生きていいですよ」。私は若い時から、そういう風に過ごしてきた。
「明るくのんびりと生きることが大切なのです」。そうかもしれない、と思う。
スマナサーラ仏教長老が示唆するように、今の状況を受け入れ、無理することなく、日々明るく、のんびりと生きることがいいのかな、と私は思う。