昨日11日は、宮城県亘理町の「亘理町合同追悼式」に参列して参りました。
写真に写っている会場の亘理町立亘理中学校へは、公共交通が利用出来ない都合上、練馬区の災害担当の課長がレンタカーを運転してくれました。
練馬区からは、区長が公務と重なったため副区長と、練馬区議会を代表して議長である私が出席をさせていただきました。
式は10時から1時間ほど行われました。
・開式
・黙とう
・式辞 亘理町長
・追悼の辞
内閣総理大臣(代理)
宮城県知事(代理)
亘理町議会議長
・遺族代表お別れの言葉
・参列者代表献花
・一般参列者献花
という式次第でしたが、式の終了後も13時までは献花を受け付けるとのことでした。
遺族代表の方々のお別れの言葉は、あまりにも身近なお話が多く、まるで当日に自分もこの地に存在したかのような錯覚に陥りました。
そのくらい誰の身にも起き得ることだということです。
「102歳の長寿を迎えて元気だったのに津波で亡くなってしまったおばあちゃん」
「おじいちゃんとおばあちゃんを迎えに戻って行方不明になってしまった息子さん」
「明日も来るね、と元気に言ってくれた孫娘が…」
「足の痛みがひどく、まさかあんな津波が来ると思わず、家に残り、数日後にいつも過ごした居間のあった場所で遺体で発見された祖母。高校受験の合格を伝えられなかった…」
等々、10日と11日を境にあまりにも変わってしまった人生。
そしてこのことは、東京にも練馬区にも起き得ること。
何時なんどき、想定不可能なことが起こるとも限りません。
また、今現在、支援をさせて頂いている地域の皆さまに、助けてもらう日が来るかもしれません。
個人的には、毎日自分に正直に生きよう!区議会議員としては任期中に持てる限りの力を発揮して、やれるだけ仕事を成し遂げよう!!と自分自身に誓った小川でした。
結びに当たり、改めまして、お亡くなりなられた皆さまのご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、安らかにお眠り下さいと言うべきかもしれませんが、どうか、皆さまが愛されたご家族、ご親戚、恋人、ご友人を見守り、そして、いつの日か愛した故郷の復興を見てあげて下さい。
皆さま方の、生前のご功績と善意に敬意と感謝を捧げます。
写真に写っている会場の亘理町立亘理中学校へは、公共交通が利用出来ない都合上、練馬区の災害担当の課長がレンタカーを運転してくれました。
練馬区からは、区長が公務と重なったため副区長と、練馬区議会を代表して議長である私が出席をさせていただきました。
式は10時から1時間ほど行われました。
・開式
・黙とう
・式辞 亘理町長
・追悼の辞
内閣総理大臣(代理)
宮城県知事(代理)
亘理町議会議長
・遺族代表お別れの言葉
・参列者代表献花
・一般参列者献花
という式次第でしたが、式の終了後も13時までは献花を受け付けるとのことでした。
遺族代表の方々のお別れの言葉は、あまりにも身近なお話が多く、まるで当日に自分もこの地に存在したかのような錯覚に陥りました。
そのくらい誰の身にも起き得ることだということです。
「102歳の長寿を迎えて元気だったのに津波で亡くなってしまったおばあちゃん」
「おじいちゃんとおばあちゃんを迎えに戻って行方不明になってしまった息子さん」
「明日も来るね、と元気に言ってくれた孫娘が…」
「足の痛みがひどく、まさかあんな津波が来ると思わず、家に残り、数日後にいつも過ごした居間のあった場所で遺体で発見された祖母。高校受験の合格を伝えられなかった…」
等々、10日と11日を境にあまりにも変わってしまった人生。
そしてこのことは、東京にも練馬区にも起き得ること。
何時なんどき、想定不可能なことが起こるとも限りません。
また、今現在、支援をさせて頂いている地域の皆さまに、助けてもらう日が来るかもしれません。
個人的には、毎日自分に正直に生きよう!区議会議員としては任期中に持てる限りの力を発揮して、やれるだけ仕事を成し遂げよう!!と自分自身に誓った小川でした。
結びに当たり、改めまして、お亡くなりなられた皆さまのご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、安らかにお眠り下さいと言うべきかもしれませんが、どうか、皆さまが愛されたご家族、ご親戚、恋人、ご友人を見守り、そして、いつの日か愛した故郷の復興を見てあげて下さい。
皆さま方の、生前のご功績と善意に敬意と感謝を捧げます。