katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

急きょカサブランカの現場へ

2021-03-14 07:28:26 | 野暮用

今日がかぐやの最終日。そんな中、昨日のすーさんの知り合いの話が前向きに進んでいる事もあって、もしその話が決まると、先の見えない事になるから、今出来る内に・・・となり、急きょ材料を頂きに行く連絡を入れたのね。

倉庫にあるタイルを使って良いとの事で600角を貰いにね。所が雨の影響か、凄い渋滞で、今まで何回か通った道が全然動かず・・・そうは言いつつも何とか到着したのね。それと、何度も頼まれていたのに忘れていたタイルもお届けして・・・。

これで折り返しとなるのだけれど、段々雨も強くなり、スイスイと行きとは違って走っていた道も、また渋滞に・・・。そんな中、かぐやが1時間間違っていたらしく、このまま空港に直行しないとならず、余裕なく向かう事になる。

そんなこんなでようやく湾岸に出ると、建物が無いから景色が開けるんだけれど、雲が何か爆破でもされたような煙に見えて・・・更に高速の通行止めも見えると、何があったのかな?って感じだったが、何とかここまではたどり着いたのね。

ただここまで来れば間に合う・・・って話で安心したのも束の間、ゲートブリッジに入った瞬間、とんでもない豪雨。前の車が見えないし、ワイパーも全力なのに・・・だから何しろスピードを落として・・・何とかかんとか脱出。

おっかなかったのね。と言う訳でかぐやを送って折り返し。その頃には普通の雨になってて・・・アトリエ到着。それでは下絵に取り掛かるって事になるのだけれど、本来の予定では、現地でやる時間を増やすやり方だったのね。

例えば、今張ってあるタイルを文字や絵を入れる場所だけを壊して・・・って言う鳥の部分のようなやり方でね。ただ先日のカサブランカが想像以上に時間が掛かった事で、おかみさんがなるべく手間の掛からないやり方で・・・って話。

ただいつもの話で、こっちを取れば良い事ばかりで、こっちを取ると悪い事ばかりって話じゃ無いのね。常に良い事と思われる事にも、悪い事は付いて来るし、悪い事だと思っても良い事はあるもので。

例えば現地の時間を取るとする。って事は、施工中を見せるのだから、通行人にアピールが出来るのね。それが数日続くって事は、1日目の壊すって作業は何しろうるさいモノで・・・でもこの日は騒音で目立つのね。

ある意味新手なストリートなのね。これが素敵なサックスやギターだったら、寄って来るって話であって、壊すって言うのは騒音くくりで言えば、素敵な音楽と雑音の違いだけ。そこでその雑音を何とか緩和するって事になると、近い将来に

やって見たいのは、音的には申し分なく目立つから、当然こっちを見る。ただ寄っては来たくないから離れようとする。問題は聴覚として不快だから、視界で訴えたいがホコリも出るし・・・そこでその横にkatsu散歩の湯婆婆を置く事で、

単なる建築とは一緒にならず、何それ??と思って貰えば、離れたいのに近寄りたい人もいるかも知れない・・・。それで2日目以降は騒音無しとなれば、近寄りやすくなると、十分に営業しやすくなるって考えれば、徐々に仕上がる工程まで、

見せられる事になる。ただ当然現地時間は多くなるし、通勤の往復3時間が毎日掛かる事になる。逆にカサブランカのように四角い形の仕込みであると、同じ壊すにも壊しやすい。しかも現地は1日だから、話す時間も無く、1夜にして完成。

つまり昨日は無かったのに・・・って具合になる。ドラマチックでもあるが、営業は一切出来ないだろう。でどっちが良い?って事になると、今回は流石に時間が掛かり過ぎたと思うと、能率効率を取る事になり、アトリエ制作でとなる。

それだっていくらでも時間は掛けられるが、そうじゃ無くて、いかに掛けないか・・・がテーマなのね。以前棟梁の玄関の時もそんな事を掲げて、プチリフォームってやって見たものの、4.5日掛かった。もっともっと短縮したいのね。

質を落としてじゃ無くて、かつ丼の松竹梅みたいなね。あんな感じの。その時に、新しいものを作り続けるって言うのが新作って方向であるから、常に作り手はあれこれと考えて制作をするのね。今までとは違う何かをって。

所が数年経つとそれはいつしか中古となり、いらないもの扱いになる。まっその程度のモノだからなのね。でもそれがもし自分の価値以上に人の価値が高いと、その呼び名はレトロやアンティークとなり、古いモノなのに新品以上の価値になる。つまり同じ作るのなら、中古にならなずにレトロやアンティークに扱われるようなものを作りたいのね。

つまり今ばかりの意識が高いと、その時その時はヒット曲だったとしても、後から聞くと古臭く感じたりする。しかしながら、今風のアレンジで蘇る位に良く聞こえるモノも多々ある。だからカバーでヒットも出たりする。

ただ先日紹介した山下達郎さんがkinkiのデビュー曲の依頼を受けた時のエピソードで、何十年先でも歌える曲に・・・って考え方は、それに合致しているし、その時の若さに合わせた方向なら、踊れるし、イケイケなら明るい曲も良かろう。

がしかし、それをも超越して暗めな歌でヒットをさせ、未だにカッコ良く聞けるのは、そんな背景があるから。もっと言えば、サザンの勝手にシンドバッドも同じように、アレンジも変えずに聴ける。いかに斬新だったかが判るのね。

あれが40年以上も前の歌と言うのだから・・・。俺が子供の頃に40年も振り返ったら、戦後のリンゴの唄なんて出て来そうで、明らかに変わった事が判るのね。ただそこまで変わった事をすると、当然批判も多いのね。

俺ですら、テレチャンの後に、施工についての苦情の電話を何本か取ったし、建材展での床も、こんなのをこんな値段で作れるなんて表示をしやがって・・・ってクレームを聴いたり。ただそうい言う批判が出てなんぼであって、すんなり

通るって言うのは、みんなが知っている事であり、安心安全だって事なのね。それでは普通なのね。つまり歌なら、みんながボカロで作ると聞く回数が多くなり、それが好まれれば流行になる。それが今までと違う新しい音作りになる。

所が全ては似て来るし、でもそれが支流で普通になる。所がそれに逆行するような先端を作ったり、作らないまでもアンテナを張る人は、ヒラメちゃんのようなギター1本なんて言う人も出て来る。今までもずっと同じように繰り返して来た。

でもそれは音楽文化が人気があるからで・・・聞く側も耳が肥えて、より良いモノを求めるし、見つけるのもテレビやラジオでパーソナリティの好みを受け入れるだけだったものが、ネットサーフィンって言う自分で見つける行為は、ある意味、中古レコード屋で見つけていた行為を楽しんでいるようにも思えるのね。

とは言え、その仕組みで言うのなら、まだまだモザイクはその域には達していないから、何が新しくて何が古いか?も判らないし、比べるものもそう簡単には見つからなかったりもする。そんな中で、俺のモザイクを知ってくれた人の多くは、

俺しか知らない・・・って人もいたりする。つまり俺が定番なのね。当然大した事無いな・・・と思われれば、離れられるが、良いなと思う人達には、良いと思う理由が存在するもので・・・その中の1つに繊細さとか、変わってるとか、

そんなワードがあると思うのだけれど、今回の玄関はそれを一切否定して見たいのね・・・なるべく普通って。じゃ普通って何だ??となると、世界の遺跡とか、世界遺産的な雰囲気がある・・・ってあんな感じね。

つまり商業ベースの池袋の店舗みたいな、文字は切ったけど、後はなるべく切らずに張るだけ・・・って扇の模様の繰り返しみたいな・・・ある意味古典的なバック。上手く行けば、ビックリするほど早く終わるし、見た目も一般的な仕上がりで、モザイクらしい普通なものになる。ただその普通が何十年後にどう見えるのか??

l理屈通りなら・・・まっ結果は後から付いて来るだろうが・・・。


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