goo blog サービス終了のお知らせ 

katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

くじら教室と金魚の壁画

2023-10-05 01:44:54 | モザイクタイル教室
今日は午後からくじら教室。その前に、朝イチはホームセンターへ行って、金具を購入。先日のビジネスホテルに展示させて貰う金魚の作品を確認したら、以前の金魚のイベントの時は数日だった

事もあり、金具が簡易的で、長く展示を考えた時は、少し弱いかな・・・って言うのと、色んなお客さんがいる・・・って言う事も踏まえて、強固にするべきかな・・・って安全を考えたのね。

そんなこんなでお教室。そうね、まぁいつも通りにしばらくはお話。お題さえ決まれば、何でも良いんだけれど、それについてどう思うか?って事になるんだけれど、要するに考え方になるのね。

大抵、考え方って言うのは、自分が身を置いた方に片寄っていたりする。しかも自覚無しでね。それでも一般的に普通に生きていれば、左程問題では無いのね。そうね、例えばシャンプー何使ってる?

こんな程度の話では、えーそれなのぉ・・・こっちのが良いよ。押し付けな会話だけれど、影響されやすい人は、そんなに良いなら、いまのが終わったら使って見ようかな・・・ってなるし、

逆に負けないで、私の使っているのも・・・って逆プレゼンするって言うのもある。勿論、どちらでも無く、そうなんだぁ・・・って曖昧にして置くって言うのもあるだろうね。

普通の会話ってのはこれで良いのね。別に大した話題でも無く、次の話になって行くのだから。所が、俺もくじらもオリジナルとして、ありとあらゆるお題の作品を作らないとならないのね。

しかも俺の場合は、シャンプーを作って・・・って言われた時には、メーカーからの看板の依頼なんて事になるような、今の俺には非日常であっても、シャンプーで俳句を作るって言うのは、

普通な事だったりする。つまりいかなるお題であっても、そこに人の感情の違いだったり、何をどう感じるか?って事を考えられないと、えっと・・・ってその都度考えないとならないのね。

そもそも句会なんて発表の場は、事前に用意している場合もあるだろうが、即興なんて場合だってあるはずなのね。それを用意してくる時間がある時は、がっちり考えられるだろうが、

即興・・・つまりアドリブって言うのは、常に考えていないと、そんなに簡単に出て来るもんじゃ無いと思うのね。つまりこんな話は引き出し作りみたいなもんで、単なる素振りみたいなもん。

そこで、さっきの話を更に掘り下げると、自分のシャンプーのプレゼンをして来る人って、その会社の人だったり、旦那さんが勤めていたりすれば、自社製品の販売って事だから営業じゃん。

それが会社では無くて、団体所属ならアムウェイ的になるし、積極的に・・・だから、フォワードチックだなぁってな話になる。つまり仕事が営業って事になるから、断られたりしても、

挫けない精神力が問われるねぇ・・・ってな話になる。それを今度は言われる側で考えて見ると、根本的に貧困なら、値段が安いって事で買っているから、何を言われても質の良さよりも安さ。

となると、いかにこの場を雰囲気を壊さずに、次の展開の話に変えられるか?が問われる時、じっと待つわ、いつまでも待つわ・・・って事になると、あみんみたいになるんだけれど、

でもあみんだと、可愛いフリしてあの子やるもんだねと・・・って始まると、普通は思い込みで、いじめられている可哀想な子って思ったりする。でも最後の歌詞では、いつまでも待つわ、

他の誰かにあなたがふられる日まで・・・ともはやホラーであったりする。私待つわって、あなたの不幸を待つわなんじゃん・・・しかも、ふられれば私のものになるって思い込んでいて、傲慢

って感じにも思える・・・って、ユーミンのまちぶせ的な歌詞だったりする。みたいに、単なるシャンプーの話題を広げて、言った方、言われた方みたいに、心情を考えたりする。

かと思うと、相手もフォワード。実はライバル会社だったりすれば、こっちが良いって反論をするにも、ガンガン行くなら、会社の大きい方が知名度は高く、それを上回る何かが無いと・・・

とか、あの有名人が宣伝している・・・とか、海外セレブが愛用だったり・・・今どきならSNSで大人気とか、それを名乗って見たり、逆に待つわチックに、黙って待つわ、あなたの会社が

潰れる日まで・・・って言えば、ホラーだよなぁ・・・とか、要するにどうでも良い話を、お題にして、ホラー、恋愛、ギャグ、アクション・・・1つのテーマで、どう話を変えられるか?

オリジナルを考えるって言うのは、お話を作るって練習で、しかも頭以外の道具は要らないから、誰でも何処でもいつでも出来るのね。しかも人に悟られずに・・・。まぁ人からは良くぼ~っと

しているって言われるかも知れないけれどね。ただ一人で考えていると、大抵は壁にぶつかったりするのね。そこでこうした自分に無いウイルスチックな話に向き合う時、意見が違って諦めるのか

何か対抗出来る、説得出来る材料の話を出せるのか?それに対する向き合い方があったりして、でも正解なんか何も無い話だし、何処かにたどり着く話でも無いのね。ただ向き合う練習。

それを絶対数の少ない意見で逃げようとすると、それは駄目。例外なんて何処にでもあるから、それを否定の材料にするのなら、誰でも簡単に逃げられる。つまり諸説ありとすれば良いのね。

そうやってその場をやり過ごしても、句会は待ってくれないし、アドリブの弱さの露呈になる。しかもそれが末端なら、格下だから可愛げもあるが、格が上がれば、みんなが聞く耳を持つ。

そうした緊張した場面で、その場を逃げ切れる体裁なんぞありゃしないのね。つまり上を目指すって事は、あれこれ無理難題の対応力なんてもんも要求されるし、最後はそれを俳句だから、

17文字に削らないとならなくて、しかもそこに何文字か、季語を入れないとならないって・・・とんでも無く大変なのね。俺なんか説明が多いから、既に2436文字・・・ここまで付いて来られる

人なんてそうはいないだろうね・・・また長いわって、画像見ておしまいぃぃってね。でもブログなんて公開日記だから、自分の思っている事を入れないと、売れてからそう思っていた・・・

なんて、後出しジャンケンが成立する程甘くないのね。こうして売れていない時から、言ってた・・・ってね。いずれにせよ、くじら教室は、こんな感じの中で、

そろそろ張る・・・みたいな感じなのね。ただ本人もそろそろ完成させなきゃって言ってたのね。ただ思うのは、確かにくじらは普通の教室じゃ無いのね。でも例え何粒でも、疲れ果てたパーツは

一枚も無いのね。つまり楽で進めている。時間に追われる事も一切無いのね。それって考え方としては、俺の金魚の壁画と同じスタイル・・・やってりゃいつかは終わる。その時に俺の作品を

人が何て評価するのか?その時に、同じスタイルのくじらの作品は何て評価なのか?勿論、俺の評価がそこそこなのは大体想像は付く。でもくじらは?・・・恐らく自分の評価が低いのは、作っているくじらだけかもね。そんな後は、金魚の壁画。





この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 両親の病院からのひょんな事... | トップ | 瑞江第一ホテルさんに展示作... »
最新の画像もっと見る