katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイがとうとう張り終わりと金魚の壁画

2022-11-01 01:15:12 | モザイクタイル教室

今日は午後からキウイ教室。結果としては、とうとう張り終わったのね。本人の情報だと12年前からの制作らしいのね。ただこの作品だけに掛かりっきりだった訳じゃ無いけれど、それだけの年月が経つと、余りにも長い事掛かれば、その時間の中で色んな環境や状況が変わる。

例えば、12年も前になると、子供は幼稚園なんて事になる。その時は仕事はしていなかったけれど、今は仕事をしている。あの時にお母さん不在なんて考えられないが、今なら不在でも自分でご飯の支度だって出来る子になっている。こんな事1つにしても、あの時始められたのだから、あの時のまま

で終われれば、これを作ろう・・・って思った気持ちで完成して、飾る事も出来たりするから、誰にでも出来る事になるのね。その究極なのは体験教室で、3時間やれば、その日のうちに完成して、その日に飾れる。内容として個々の差で出来不出来はあったにせよ、出来ない人はいない。

しかし、どんどんと大きくなったり、細かくなったり、そしてオリジナルになったりって、こだわりと時間を掛けると、当然お金も掛かる。掛けた時間に掛けたお金・・・当然、それ相応のものにならないと報われない気持ちになるし、果たして良い出来なのか?もっと言えば、気持ちが変われば、

こんなもんに時間やお金を掛ける事が、馬鹿馬鹿しくなっても不思議じゃ無いのね。何せ宿題でも無いし、依頼品でも無く、ただただ今の自分の腕試しであって、自分の実力で何が出来るんだろうか?って話なんだから、試す・・・なんて実験のようなものなのね。つまり完成型が見えない・・・。

それが果てしなさを生むのね。大体、12年って子育て以外に一体何があるんだろうか?って考えたら、住宅ローンとか、病気とか、仕事とか・・・こんな事しか浮かばないのね。勿論、こうして習い事って言う人もマレにいるだろうが、12年掛けて終わった作品なんて中々出来る事じゃないと思うのね。

そもそも先生であっても、俺はやった事が無い。そんな事をしたんだから、何も見なくてもそれだけでも凄いと思うし、そもそもその行為自体が凄い事であるのなら、日々の繰り返しって言うのは、何でも上手くなるものなのね。例えば、未熟だった料理なんて事にする。

仮に小学生から始めたとすると、猫さんの手ね・・・なんて教わり、12年やり続けると、かなり包丁が上手く使えるだろうし、それと同時に味付けやら、レパートリーも増えているかも知れない・・・ってこんな事は想像出来たりするだろうね。けど、けどなのね。続かないかも知れないのね。

もっと楽しい事が出来たりしたり、友達は一切やっていなかったり、環境や状況が変わると、あの時はやっていたとしても、今は・・・になったりするもので、お母さんのお手伝いで始めた料理を、今でも一緒にやってます・・・こんな事はきっと中々無いだろうね。ってか、ほぼ全滅。

それがもし早くにお母さんが亡くなった・・・なんて事になったら?きっとやらざる負えない状況で、必死にやっているかも知れない。こんな感覚が労作展のような感覚なんだろうし、例えば、俺の場合なら、年をまたいで3回、つまり3年掛かって仙台の保育園の壁画を制作したが、それでも3年。

お金や時間や工期や納期の縛りの中では、強制力も働くだろうが、趣味って言葉の中で12年も掛かる大作・・・いつ心が折れてもおかしく無かったはずなのね。でも続いた。続ければ下手にはならないから、どんどん上手くなる。でも上手くなったのは何か?タイルを切る張る事なのね。

つまりこれがもし何かの模写って作品なら、絵は人のデザインなり、写真のままだから、何も考えずに黙々と切れば、上手くなった切る、張る行為だけで完成して行くのね。だから後は気、気持ちの問題になり、病は気から・・・みたいに、見えないものと向き合う事になるのね。

これでこっち側スタイルの人は完成に向かえるのね。所がオリジナルって言うのは、絵を描かないとならない。すると、私、絵が下手なんです・・なんて人がいたりする。そうね、そりゃその人の気持ちは、世の中のモザイク先生の中では、俺がトップに判るだろうなぁ。

そもそも例えば、美大なんて卒業して、私、絵が掛けないんです・・・って人はいないでしょ?って事は、まずそこでは無いって言えば、次に落ちる感覚って言うと、絵画教室みたいな所に行ったか?みたいになり、更に落ちると、クラブ活動となり、最後は絵は好きで描いてました・・・になる。

つまり自己流ね。じゃ一体何がどう違うの?って言うと、エリートと素人とか、上手い人と下手な人とか、結構みんなザックリ比較するのね。違う違う、そこで挫けるとただ洗脳されて、何もせずに挫けさせられる事になるのね。これがB'zのウルトラソウルの歌詞なのね。

己の限界に気づいたつもりなのかい?良いのかいぃぃ・・・かすり傷さえも無いまま終わりそうってね。そうなのね、そう思い込んでいるのは自分なのね。つまり、こんな作品を作れるようになったキウイでさえも、美大でも無いし、普通の主婦だし、ただの趣味だし・・・ってハードルが低い事を

お知らせしても、中にはキウイさんはセンスがあるから・・・とか、言う人がいたりするのね。それは俺もそうなのね。単なる普通の高校卒であって、友達に誘われてただ絵が好きだったから、美術部にちょこっと在籍した事がある程度の画力。そんな腕で芸術家なんて目指しているのね。

あほかって感じでしょ?確かに俺もそう思うのね。ただそれは絵画やら彫刻やら、巨匠のいるような分野の場合ならね・・・なのね。モザイクって分野に巨匠はいないね・・・何処に行ってもね。確かに上手い人はいっぱいいるけどね。けど・・・。でも絵画の分野ほどでは無いのは事実。

これが野球やサッカーのように裾野が広ければ、果てしなさ過ぎて勝ち残るのは無理だろうし、恐らくやるまでも無い気もしただろうけど、けどね・・・でも、けどってわざと2回入れているんだから、ここを見慣れている人なら、判るだろうけど、けどね、それって本当に?なのね。

一般的には、けれど・・・の後が本音だから、その前までの話なんてどーでも良いのね。そこからが本音の部分だし、文章の前に折角って付ければ、何でも前向きになれるって言うのは、子供でも判る必殺技だったりすると、要するに裾野が広いと勝ち残れない気持ちになり、裾野が狭いと、

勝ち残っても続けられる?って話。例えば何百万の中から・・・って言うのと、1回勝ったら決勝です・・・これを人はどう感じるか?になるのね。勝ち残れないって果てしなさで、やる前から諦めるって事が多いし、逆に優勝しても2回で・・・って言うと、大した事は無い判断をされたりもする。

それが気持ちの問題の部分ね。そこに腕やらの実力の比較になると、画力も無いのに・・・芸術家って事になる。所が、好きでも無かったのに、親がタイル屋ってだけで、職業を決めただけの俺は、辞めるって勇気の無いまま、勤勉に20年やると、飯が食えたりしていたのね。

つまりただ頑張っただけ・・・って言うのも継続するとそこそこ結果に繋がるのね。所がその基礎になるタイル屋を土台に使って、今度は本気でモザイクを20年同じようにやったんだけど、ただ続けても難しいのね。そもそも継続するのが難しいから、継続は力なりって言葉があるのね。

つまり普通に頑張っただけでは続かないものなのね。そうすると何か目標を持ちましょう・・・なんて、誰でも言うような漠然とした事を言われるのね。そりゃ昭和のど根性スタイルなら、それも良いけど、今どきそれをやっても、結果の出る確率は相当低いのは簡単に判るのね。

つまり一律なんてみんな一緒じゃ無いから、もうみんな揃ってなんて無理なのね。その人、その人にあった指導にならないと。でもね、そんなの塾しか出来ないのね。じゃ塾なら出来るのか?って言うと、そうね塾はやる気スイッチ入った人達が多いから、確率は上がるだろうね。

けどね、けど、それは実力ある子が実力のある先生に教わるからバランスが良いのね。だってそれなら結果の出ている選手だけを集めて、その中で競わせてデットヒートさせれば一流になれそうでしょ?でもね俺は、美大出の先生じゃ無いのね。つまり下手な人の気持ちがよーく判る。

だってそもそも、絵が描ける人はサラッと描くでしょ?それってデッサン力があるから、見たものを紙に描き写す時に、あれこれと鉛筆を使って角度やら、長さを測って、小さくしたり、拡大したり、自由自在に出来るから上手いのね。しかも消したとしても復元出来るから。何せ基礎が違う。

つまりそれが出来ない人が、へたっぴって事になる。じゃ簡単な話、美大の先生なら、それがすげぇ上手い事になる。じゃその道を追い掛けても今更無理で、そこに習った生徒以下にもなれないのね。つまりそれとは違う方法を考えないとならないのね。しかも例えば労作展なんて数ヶ月でだよ?

おいおいそりゃ無理だろっ・・・って言いたくもなるけど、折角出来なくて、折角時間が少ないなら、当たり前の予定調和じゃ無い工夫をしないと・・・って事になる。それを逆にキウイは、主婦であり、お母さんであり、趣味であり、って中なんだけど、1つだけ、終わるまで・・・って、

言う時間を使ったのね。ただ長いってのは心が折れたりするもので・・・でもね、こうして説明しても、センスって言われるとねー。違うのね。センスやテクニックなんて、いくらでも教えるよって言いたいのね。俺は何処まで行ったとしても、難しいのは気力だ、やる気なのね。

例えばお医者さん。説明すると簡単な話で、世界一の名医であっても、凄いのは技術なのね。切るのが上手いとか、縫合が残らないとか、難しい手術を何度も切り抜けた実績とか・・・つまり腕の話なのね。じゃ看護師なんて要らないじゃん。って言ったとする。すると、そんな事は無い・・

なんて、心優しいフリをする人は言うのよ。じゃ何でいるの?って質問した時に、えっ・・・とか、言ったり、チコちゃんみたいになれば、ぼーっとしてんしゃねーよっになる。俺はこう思うのね。看護師さんって言うのは、心を支える人達なのね。目に見えない事のスペシャリストなのね。

気配りなんて、切った張ったじゃ無いから、目に見えない。その気って部分を支える人なのね。別に雑用係じゃ無いのね。何だっけストレッチャーだっけ?移動するベッドみたいなやつ・・・あれでオペ室へ向かうまでの間、頑張りましょう・・・待ってますの心の支えであったりするのね。

それはお医者さんの役目じゃ無いのね。まぁこれが夫婦でも、仕事でも餅は餅屋で、昭和の場合には分担されていたけれど、今は平等になったにせよ、どちらがどう入れ替わろうが、やる事は、気持ちの問題の部分なのね。やる前から諦めるような事は無く、やったら最後までたどり着く。

そこまで持って行ければ、こうしてプロになる・・・なんて志なんて無くても、ここまで来られるって証拠がまた1つ出来たのね。しかもこれだけのグレードで。ここまで来れば、最高級の素人作品だから、追手はそういない。もうここまで来れば、こんな大作を作る事はしなくて良いし、ここからが

本当の楽しみ作品が作れるようになるはずなのね。もうこれ以上、大変な事は無くなったから。これからは何を作っても、こんな事は無いから。大変な事は、何を作ってもこれ以下なのね。だから作品に呑まれる事は一切無いし、その腕で楽しむのだから、何も困らないのね。

勿論、オリジナルって事になれば、考えるって部分では、いくらか悩む事はあるだろうけどね。そんな中、ちょっぴり金魚の壁画。


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