katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ピエロの壁画の2枚目

2024-09-11 22:21:25 | モザイク作家
今日はかぐやと朝からピエロの壁画の2枚目。そんな中、丸万の社長さんと、山周セラミックの社長さんと話したんだけど、普通のタイル屋さんって言うのは、通常問屋さんと話すものなのね。

でも商社さんとメーカーの社長さんと話している俺がいる・・・これがどう感じるか?人それぞれだろうが、常識とか普通とか予定調和が崩れないと、結果もそこそこ見えている当たり前の事しか

起こらないのね。それをこうして何か変わっている・・・って事を何個も積み重ねないと、新しい事は起きないのね。それとて、何回も同じ事が繰り返されると、慣れはいつしか普通になる。

そうだなぁ・・・例えば新しいって言うのは、新鮮であり、新品であり、鮮度が大事で、取り扱いが難しい・・・何しろ知らないんだから。気を使うし、でもその知らない距離感は馴れ馴れしく

は無く、って感じが、古いって言うと、熟成されていて、常にいつも通りで、特に新しい事は無く、常に繰り返す事で、歯磨きみたいになるから、特別な事は無く慣れる。確かに気を使わない

訳では無いが、常に一定なんで、特別感は少ない。みたいな違いが出る。勿論どっちが良くて、どっちが悪いって一方的では無いんだけれど、インパクトって点でも、即効性は前者になる。

つまり前者は抗生物質みたいなもんで、後者は漢方みたいな違いかな。勿論、薬の表現ならこんな違いになるんだけれど、これが人となると、人は気紛れって曖昧機能が備わっているから、その

曖昧機能がある為に一定ではいられないのね。こっちが安定していても、あっちが不安定、こっちが不安定なのに、今度はあっちが安定とか、勿論どっちも不安定とかね。その組み合わせを、

どんなペースで会うか?によって、新しい人か、古い人か?って事で、いきなり馴れ馴れしい人は中々いないだろうし、いやグングン初回から来る場合もあるかも知れないし、内気なら何度も

何度も会う内に、慣れて来るかも知れないし、初回で嫌になるかも知れないし、何度会っても馴染めないかも知れないし・・・ただ俺の場合、生徒さんだろうが、体験だろうが、ワークショップ、

業者さん・・・全てが仕事の人との出会いになる。しかも大抵は受け身だから、こちらから選ぶ事はほぼ無いのね。普通タイル屋さんなら、タイルの注文を問屋さんにする。そんな関係となる。

それが俺の場合、問屋さんでは無く、その上の商社さんに、メーカーさんに注文をする。ただどちらもタイルを買うって言うのなら、飛び級的な話になるだけにも思えるだろうが、そこから仕事の

見積もりの話が来る・・・となると、随分と話は変わって来る。購入では無く依頼では、決まるとお金が入って来る事と、買うってお金が出て行く事なのだからね。全く違うのね。付き合いがね。

ただ興味の無い人や、そんな事を普通にやっている人達には、普通な事でも、こっちとしては、初めてな事なら、それは新鮮で刺激で、新しい事だったりするが、一体それを何回繰り返すと、人は

慣れてしまうのかな・・・?そして俺は?ってだけの話なんだけどね。そう言う点では、こうして作っている壁画もこんな大きさは初めての事だし・・・でも慣れては来た。ただそのやり方はね。

でも今日はサル、明日はゾウ・・・なんて場合、常に新しいモチーフなんだから、模様の繰り返しとは違うのね。慣れなんか無いのね。ただこうやって作って行くのねって手順や段取りが、慣れ

て来るって話。いずれにしても、色んな事が動き出している感じもするし、ただそれは今携わっている事であって、今俺は知らなくても、相手は知っているって人もいる訳で・・・。

まぁいずれにしても、そうなりたい・・・と願って、日々の努力を繰り返すのは、当たり前の事。常に必然になる。所がその努力って言うのも、仕事ってのは、来たからやるってだけでは、

来なかったら出来ない・・・って話になるから、仕事を得る為の営業をしないとならないのだけれど、営業をするって事は、その日の仕事を出来ないって事になる。だから本末転倒な感じなのね。

今の仕事は即効性、でも明日の仕事を生むには種を巻かないとね・・・そう言う点では、相当種は巻いたのね・・・だってもう九月なんだから。そんな訳で、今は即効性の壁画を進めないとね。


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緊張と緩和

2024-09-11 07:16:28 | 打ち合わせ
今日は午後から小学校の相談への対応みたいな事になってて、それまでさくらやかぐやのせがれや、父母の楽しみも兼ねて梨園へ。まぁもしかすると、俺の息抜きになるのかも知れないけど・・

そんなこんなで小学校へ行く事になるんだけれど、その前に寄り道。

以前携わった交通祈願碑が設置された事を知ったんで、報告って事で。そんな事もあってのご相談って事なんだけれど、いつもの事だけれど、まず例えばこの仕上がりをどう見るか?・・・

まず記念碑と言う事を格式、きちんと、神々しく・・・と言う言葉に当てはめるのなら、小学生が何の練習も無くモザイクをすれば、全くそれには当てはまらないものになる。だからプロの手を

借りて、それらの言葉に当てはまる事を石にして貰った。当然、そんな事をすればプロは何十万、何百万って金額になる。つまり額を立派にして、絵は初めての子供って感じの仕上がりになった。

相反するものが融合した・・・そんな感じね。では学校に作るとなると、一体どんな趣旨でどんな形で作るものなのか?となると、そんなものが説明無しで作れるのか?となったら、何が起こるか?

そもそもこんな記念碑を作りたい・・・と思った時に、全てが言葉通りになるって事なのね。例えば立派な記念碑って、立派と付けたとする。すると、立派って一体どのくらいの大きさから立派に

見えるだろうか?となる。これが当たり前で、普通で、発展的にならないと、人それぞれなんて曖昧な表現になるのね。でもそんな事は無いのね。もし具体的に5mって言ったら、立派に見えると

思うのね。じゃ3mは?・・・って提案になった時、30cmで立派に見えるだろうか?って事になると、そう言う曖昧な輩は、小さくても立派な事がある・・・って、お馬鹿さんな事を言うのね。

こらこら小学校に作るってのは、記念碑なんて時、大抵はモザイクの分野に依頼すると、無条件にみんなで作る前提なのね。これが大理石の記念碑を作るって場合、出来ない前提にプロに頼む。

でもモザイクは自分達で作る前提なのね。それを踏まえて、小さくなるって言うのは、1人何粒張る前提なの?になり、最低一粒なら、5.600粒程度の完成って事になる。しかも切らずに。これが

つまりドットアートってスタイルで、並べて絵を作る・・・って事になる。その時にこうして一度携わると、前例があるから、あぁやって・・・って知恵が付くんだけれど、これは訳あって時間も

無く、待った無しでこうなった・・・ものなのね。では今回は?となると、決まる話なら来年であって、時間はあるものの、既に記念碑と言う事で、同じスタイルで既に石の土台は決まっている

ようなのね。でも、もし小学校の記念碑って言う趣旨であれば、みんなで作る事を重視するなら、最低限のブロックを立て、予算の大半をタイルにすれば、十分立派な記念碑は立つ。

しかしながら、大人の見栄えを気にするのなら、こう言う事になる。ただこの画像の記念碑は、一般の公園の一部として作られたから、格式重視となれば、当然こうした重々しさが必要になる。

所が今回は小学校内。そんなプロに見栄えを補わずとも、みんなで作るを重視出来るはず。ただお金を掛けて学校に残す・・・そりゃやった奴らは楽しかったで良いけれど、数十年後に見る奴らは

お粗末なものを残されてもね・・・ではそれが出来ないか?となると、以前の久松小の仕上がりはどうだったか?そして小学生と言えど、ウチの芦田愛菜はいかがだろうか?凄いとは言われる事は

あっても、小馬鹿にするものはいない。ではやり方次第では、それ相応の仕上がりは期待出来るはず。しかしながら、大きさ、デザイン、時間、お金・・・こんな条件が全て先方にあるのなら、

それはもはや奴隷なのね。ではこの説明をかぐやと言えどメールで説明が出来るか?となると、これが仮に電話であっても理解が出来るか?となると、まず無理なのね。何故なら腐っても鯛なら、

俺は責任者として権限があるから、今即決出来る。しかしながら、対応する人には何も権限が無いから、必ず上に報告をし、相談する事になる。しかしながら、ここまでの話を何と丁寧な説明と

判断してくれれば、上へ上げる時に、とても丁寧な説明でした・・・とても前向きなって報告をしたとしても、具体的な数字が出ていない事で、見積もりの金額は出ていないのか?なんて事にも

なり兼ねないのね。つまりトップと話せないとね。それならやるかやらないか?が上への報告が少ない分、話が早くなる。だから行った方が早い。そもそもこんなやり取りは、バスの伝達ゲーム。

間に何人いるか?で、ご希望の答えになるかならないか?であって、趣旨が一貫しないと、各々の気持ちなんてもんが入れば、二転三転なんていくらでも変わるのね。だからまず趣旨。

学校に残す記念碑の制作となれば、全員参加は当たり前。ただそれを俺が提案している時点でおかしいのね。何故なら俺はモザイクで雇われるのなら、何を置いてもモザイクの質重視で良いはず。

なのにモラルやら倫理の説明なんて、格式が高い場所の先生サイドの話である。そもそも一部で作るなんて有り得ないのね。例えば美術の点数の良い子だけ選抜して良いものを残す・・・。

そんなの有り得ないでしょ?じゃ何人落とす?このバランスってエリート選びならクラスで数人でも良いが、選ばれたとて、ウチは勉強があるから・・・なんて家の方針があれば、やりたいとは

限らないのね。しかし全員参加となると、公平だけれど、そうなると授業に取り入れる事になる。じゃ何時間潰せる?って事になると、そりゃまたハードルが上がる。堂々巡りになる。

しかもそこに外の壁画となれば、どのくらいの大きさが適切か?・・・そんな事が決まってから、それをやるにはいくら掛かるか?これが予算となり、見積もりなのに、記念碑が作りたいいくら?

これでは余りにも乱暴な質問なのね。つまりこのやり取りが吊るしの作品を買う事と、一点もののオーダーメイド的なワークショップのような事で記念碑を作る見積もりの違いなのね。

プロが作る石の記念碑いくら?って事でも、予算はいくらですか?って聞かれるのに、子供達が作るデザインも予算も何も決まってない見積もりって・・・俺は出せないなぁ。

これを徹底的に説明して来たのね。ただそこにはドットアートのモザイクも、クラッシュのモザイクもあって、説明はいくらか楽ではあったけれどね。まぁ冒頭に頼む頼まないは別にして、

これをやる方向になるのなら、他の誰がやっても、叩き台になる話になるように伺いました・・って一切営業する気無しって言うスタートを切ったのね。まぁ誰がやってもやらないよりも、

モザイクが1つ増えるのなら、比較対象物が増えるのだから、とても良い事なのね。思い切り比べて貰って、もっと傷付け合う・・・これこそが切磋琢磨。お手々繋いで仲良くなら、何の責任も

追わずに人の金でやれば、一時楽しければ良いだけだから、すぐに風化する。しかしながら、本当に大事なものになれば、どんな形であっても残そうとするはずなのね。永遠とはそう言うもの。

俺は学校なんて場所に残す責任無しで、楽しくだけで受ける気は無いのね。やはり永遠に残して頂けるものであり、いつかそれをやった子供達が親になりここに来た時に、自慢出来るもので無いと

・・・。それが人のお金を使う責任だと考えるのね。まっ面倒臭いヤツなのね。さてそんな後は、緊張と緩和・・・さくらの家で夕飯をご馳走になって梨を置いて来た。かぐやも手土産持って。

そこにさくらのせがれもいたのね。もう高校も終わるような年齢となるようだが、昔、毎月教室に来た時の事を思い出す、親戚の爺さん的な思いがあるんだけれど、この時間はきっと特別。

俺がサッパリだった駆け出しの頃の2人の弟子。かぐやにさくら。誰が見ても普通のおばさん達に、初老の爺さんの俺、そこに弟子の子供がいる。きっと誰が見ても知り合いの集まりに見える。

しかしながら、俺には助さん角さんとか、大政小政にも思えるし、ヤツのせがれがBTSが好きだから、俺はBTSみたいになりたいんだよ・・・こいつらとって言うと、とても困った顔してた。

きっと絶対信じていないだろうし、絶対有り得ないし、でも変なオジさんって言えないし、何て言えば良いんだろう・・・ってさくらの目を見て、目が泳ぐ。良いよ無理して信じなくても。

ただ俺には関係ないって思うなよ・・・俺はそうなりたいだけで、一緒にそうしたいってヤツのせがれなんだから・・・一応、売れる前に最後のお話だし、きっと最後の時間になるだろうから・・

きっとさくらのせがれ以外は、この話の大切さと、この時間が、二度と無い時間になるかも・・・って思っただろうね。いずれにしても、何かさっきのご相談が緊張なのか?こっちのメンバーの

時間が緊張なのか?・・・そんな最後は、丸万の社長さんから見積もり依頼が来ていたのね。さてまた同じ事を電話で理解して頂けるのか?面倒なヤツと思われちゃうのか?・・・いずれにしても、

明日以降の話。

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