katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

展示用作品の部材の取り付けとカツオノエボシ

2024-04-17 07:09:21 | モザイク作家
今日はまずサンシャイン60の展望台のワークショップで展示させて貰う、リュウグウノツカイの裏側の部材の取り付けから。そんな中、大家さんが来たんで相談すると、細かいネジとか貰って・・

やり方も教わって、無事に解決したのね。その後は、カツオノエボシの追い込み。ここからは少しお教室が続くんで、少し進めないとね・・・って事で・・・随分と感じが出て来たのね。

ただここまで来ると、特に焦ってはいないんだけれど、ついこの間までは、ワークショップの準備をしていた頃は、焦らないように・・・と早めに始動していた事もあり、展示用のカツオノエボシ

の作品を作れる時間を捻出出来た。それもこうして何とか終わる事が出来そうなのね。しかも当然の事ながら、準備を前倒しにしているのだから・・・そうなると、開催前にまた余裕が出来る。

普通であれば、そこで賃金の発生する作品制作に戻る所なんだけれど、あれもこれもと、まだ正式決定では無い事がありそうな気配があって・・・しかもそれらの全てがお金が発生しない案件。

全てが宣伝に繋がる・・・と言った所。まぁ中々の覚悟がいるのね・・・そんな中、つっちーの話の詳細がそこそこ判ったのね。ただね、いつもの事なんだけれど、このカツオノエボシのような話

で、例えば、しながわ水族館に2回開催させて貰ったが、最初はかぐやの営業から始まったのね。そこで1回目に、ワークショップで営業しつつ、展示ブースを獲得したんで、みんなで作った作品

を撮影スポットと銘打って展示させて貰ったのね。それが好評だった事もあり、2回目は依頼となり、今度は一転みんなでは無く、katsuの作品をメインとし、去年の作品をも展示させて貰った。

つまりワークショップの条件は変わらずに、ギャラでは無く宣伝広告スペースが2倍になったって感じね。それが発信となり、紹介によって今度はサンシャインの展望台に行く事になった。

そこでもワークショップだけで無く、展示作品も連れて行ける事になった。こうした事で、人に知られる・・・って営業活動になるのだけれど、ワークショップがギャラとなるんで、いくばくかの

お金にはなるが、主としては営業なのね。いかに作家katsuをどさくさアピールが出来るか・・・と。ただこんな場合は、やり過ぎたとしても、結果が良ければ全て良しに繋がる。

割と単純に考えられる。所が他に人がいるような場合、何処に行っても一人だけ異様な雰囲気になる。まぁ勿論、個性的ってのは江戸時代にギヤマンって言えばお洒落に聞こえるが、それだって

今だから簡単に受け入れられても、みんなと違う、普通じゃ無い、見慣れない・・・こんなワードに引っ掛かると、その場の雰囲気を壊すのね。それを水族館で深海生物のイベントだから・・・

って、それに寄せれば、趣旨が合っている分、結果に繋がるが、今回は展望台で水族館での毒生物のイベントやっている・・・って少し距離感がある提案だったりもする。ゆかりが薄いって感じ。

ただそれも、ご理解頂ければ色々とチャンスはあるし・・・ハイリスク・ハイリターン狙いなのかな。ってそんな事を考える余裕すらあったりもする。でも普通なら、そこ止まりなんだけれど、

次なる話が次々聞こえて来ると、やるとしたらこんな感じ、こんな感じと、構想準備が出来る分、いきなり来てから考える・・・って余裕の無さよりは良いのね。ただどれもが無償・・・。

それをどう乗り切るか?こっちの方が大変なのね・・・しかもそれとて、昔とは違って、キツさは軽減されているから、先日の車検やタイヤ交換なんて、昔なら頭を抱えていた事も簡単にクリアー

して、ストレスらしきものは無くなった。そうなるとお金の心配よりも、違う事に悩みは変わった訳で・・・例えば、学校に行くとする。お金持ちも貧乏も制服だから、割と平等で、大きく考える

事は無いのね。所が修学旅行となると、貧乏人は行けるかどうか?って資金集めのやり繰りかな始まるのね。しかも普段着を何枚・・・みたいな。しかもその上、お小遣いとかね・・・。

これが日常と非日常の違いだったり、お金持ちと貧乏の違いなのね。いきなり楽しめるって、それは恵まれている環境なのね。ただ貧乏ってのはやさぐれてて、生きるのに必死だから、当然で

人のものまで奪ってでも生きる・・・こんな状況がハングリー精神を生むのね。こんな場合、受験なら、公立一発よ・・・私立だ浪人だなんて無理・・・とプレッシャーは大きいのね。

所がお金持ちなら、多少は仕方無い・・・みたいな余裕が、ゆとりにも繋がり、金銭の追い込まれ方は少なく、ありとあらゆる良い環境が作って貰える。まぁ親ガチャと言われる話は、子供サイド

から考えた言葉だろうが・・・。だから逆に考えれば、少ない額で優秀ならエコカー的になるし、親孝行なんて言葉で言えば、子ガチャと返せば良いだけで・・・おっと話を戻して、

そんな考え方をすると、ハングリーって言うものは貧乏人の特権なのに、いくらか俺はそこから抜け出し掛けている事になる・・・ここなのね。昔から昭和歌謡と漫画で人生を渡って来たんだけれど、

考え方としては、こんな場合はシンデレラの話なんかを思い浮かべちゃうのね。そもそも良いトコのお嬢様なんだから、舞踏会に馬車で行けるのは当然。そこに行けないシンデレラはチケットを

貰った所で、来て行くドレスは無く、身の丈身の程なんて言葉すら要らないのだから、日常を暮らせば良いだけなのね。毎日の繰り返しのみ。まっこんなのは修行と考えれば、お手伝いさんの

ベテランには成れるかもね。ただ職人なら、そこをいつか・・・見返してやるって気迫や気力、ここでも気なんだけれど、忍耐って忍び耐える訳ね。だって魔法使いなんて現れないから。

所が、そそのかす風が吹くのね・・・そう言う努力をしている人には。お天道様は見ているのね。その努力を独立しないか?・・・的に声を掛けてくれるような事がやって来たりする。

勿論、明日があるさの歌詞のように、独立する奴もいれば、会社に残る奴もいる。俺にはシンデレラの話は世間のような捉え方だけでは無いのね。もっとやさぐれて、悪意を持って、ハングリーに

考えられるのなら、図々しい女だな・・・って考え方もある。黙って日常を暮らせば良いのに、魔法使いがドレスを出すと、馬車まで用意させる。12時までに帰れの約束は破る。

その屋敷の女達がみんな王様狙いなのを知っていて、横取りをする。しかも借りていたガラスの靴まで置き去りにして・・・まっやりたい放題だな・・・って言う考え方もあるはず。

ただ、女中さんとかメイドの癖に・・・ここはやさぐれ感を出す為に、あえて癖にを使うが、働くしか出来ないはずなのに、見事に踊れるって・・・何処で習ってたんだよってツッコミたくなるが

・・・きっとあのガラスの靴を履けば、誰でも踊れるんだろうが。いずれにせよ、欲しいと思っていた奴らには手に入らず、ただ単にその場その場で選んだ結果が、そうなった・・・とでも、

言わんばかりなら、キャンディ・キャンディでも同じ事。丘の上の王子様だろうが、アンソ二ーだろうが、テリュースだろうが、髪型が変わっただけで、みんな同じ顔の美形。やっぱ顔だなっ。

ってしっかり、いがらしゆみこさんに習ったもんなのね。しかもみんなに満遍なく愛想良くするから、みんなキャンディが好きになり、意地悪なニールの心まで奪って行く魔性の女の話・・・。

そして最後は一人だけ幸せになる・・・まっシンデレラの話ね。なるほどこうしてシンデレラは成功を手にするって言うのなら、じゃ俺も・・・。ただね、シンデレラはブスじゃ無いのね。

キャンディだって、ソバカスがある・・・って嘆くフリをするが、最近の薬屋のひとりごとのアニメも同じで、ブスに見せかけた美形。そこが主役に必要となるから、そこだけが俺に無い。

まぁ大きな欠点ではある。そこを補う腕となると、物作りってのは、プレーヤーと違って、素敵な小説家で、素敵な歌手でも、素敵な絵を描く画家でも、本人が素敵な顔をしている訳でも無いし、

ただ大谷さんとなると、プレーが凄いだけで無く、顔も言動も、行動も、とても30歳くらいの人と思えないし、その所作誰に習った・・・って、本当にスーパースターなんだろうな。って思う。

おっと更に戻って、このやさぐれた考え方を出来るのが、今の環境、状況であって、残りの短い時間の中で、言い尽くさないと、その日が来ると、12時前に辞めなくちゃならなくなるのかな・・・

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