今日も引き続きしながわ水族館の展示用作品の、リュウグウノツカイ制作。昨日と比較してくれれば進んでいるのは判ると思うんだけれど、結構細かくやっているんで、中々進まないのね。
そんな中、以前斜向かいのバイク屋さんのお客さんからの流れで、見学して行かれたお客さんが、25cmの看板を注文して下さり、打ち合わせに見えたのね。更に先日のご近所の方に連絡を入れ、
色々悩んだ末に、リュウグウノツカイ分のタイルを注文したのね・・・そうね、例えばしながわ水族館展示用・・・って限定したら、もう充分な仕上がりだと思うのね。ただもっと先を見て、
これはその先何処へ行くの?・・・って考えたら、そこに相応しくなった方がなぁ・・・って思ったりもして。じゃ一体何処へ行くのかなぁ?・・・そんな時にいつも思うのは、例えば旬な話題が
大谷さんがドジャースに行く・・・20代の若者が世界を巻き込んでいるのね。勿論それだけの活躍と、実績を残しているからなんだけれど、その前にイチロー選手なんて言うのもいたりする。
彼もまた世界に名を残した選手だけれど、良く彼は自分の人生を語る時に、人に馬鹿にされたり、否定的な事を言われて覆す人生・・・みたいな事を言っていたんだけれど、大谷さんも二刀流を
散々叩かれたりした。でもこうして結果を残すと前人未到な事だらけになる。要するに一般的な場合、先人にそんな事例は無い・・・って事で、その物差しで図られるから、否定的になる。
かと思えば、ブギウギの笠置シズ子さん。戦前に女の人がラインダンス的な歌って、踊って・・・って。どう考えても普通じゃ無い。何しろブッ千切っているのね。先人とはそう言うものなのね。
やっぱり人から、そんなの無理とか、何してんだか・・・とか、理解しづらい事をしているようで無いと、常識の範囲でいると、非常識な事、つまり群を抜く事は起きないのね。
あぁ上手いよね・・・とか凄いぃぃなんてのは、常識範囲であって、そう言う点では、イベント内容に合わせに行くスタイルなんで、いつものように深海生物のイベントにリュウグウノツカイ・・
普通は注文でも無い限り作る機会など無いモチーフ。つまり世界を見たとしても、こんなモチーフは何処にでもあるようなものでは無いのね。だからモチーフとしては充分だとは思うのね。
そんな中、前回は生徒さんや弟子と一緒にグループ展的な展示をしたのね。それはとても好評だったんで、それはそれで良かったんだけれど、同じようなグレードを繰り返しても刺激は少ない。
そこで今度は時間の関係もあって、みんなの下絵と下地作成の時間を取れなかった分、作家katsu1つで・・・って事にしたのね。これで大きさとしても迫力があると思うのね。
そしてイベントとして、来場する深海生物ファンに向けても、充分だと思うのね。でもそれが終わった時、それが最高のシチュエーションが揃っての展示なの?それなら完成すれば充分なのね。
でももっと上があるんじゃ無いの?って考えると、そこは何処?・・・そうねぇ、さかなクンが幼少の頃から魚好きだったりすると、身の回りの親切な人が、水族館や漁師、ペットショップ・・・
そんな提案をしてくれる。でも実際は魚博士になっているのね。それは最初からでは無く、一生魚に関しての仕事・・・って考えた時、それらを体験して違和感を感じた上で、博士になる・・って
変化したものであって、それは俺も同じで、タイル屋の親父だからタイル屋になったものの、あぁでも無く、こうでも無く、こうはしているものの・・・って話で。さて俺は一体何処に向かって
いるのかな・・・ってね。ただこの作品を単なるイベント展示用で良いのか?いつかこれを水族館では無く、美術館に置きたいと思うのなら、それ相応にならないとな・・・って事になる。
ただね、じゃ今年も終わるって事になると、当然今年を振り返る確定申告なんてもんがあるのね。ただそんな事をしなくても、一体どうやって暮らしているの?って考えれば、まとまったお金を
いつ貰った?って考えれば、大体想像は付く・・・本来ならタイルを買っている場合じゃ無いだろうな・・・ただね、酒もタバコも趣味だった金魚も無く、休み無くアトリエの毎日。
遊びに使うんじゃ無いんだから、タイルくらい買っても・・・と思うのは作家のエゴであって、家族がいないからって、稼ぎも無く好きな事やるつもりかい・・・って本来なら、おっかない女将に
怒られるはずであり、60にもなって・・・って話で、もはや落語に出て来る駄目な人を生で体験しているようなもので・・・そんな事を考えている時点で、普通なのね。もっと後先考えずに・・・
例えば、矢沢永吉さんなら、九州から東京へ向かって一旗上げようと上京するも、何か横浜で降りて、レコード会社に自作テープを持って行くも、足蹴にされた曲が、チャイナタウン。
かと思えば、岩崎宏美、良美姉妹を育てた松田としさんに、何度も落とされた中森明菜さん。成功の中には、こうした事例はいっぱいあって、普通なら諦めるものだが、ハングリー精神って言う、
貧乏にしか出来ない芸当は、裕福からは生まれないのね。そっち側の成功なら、ユーミンのように、中学生から深夜のクラブに毎日出入りし、何十人もいる呉服問屋の娘。こうで無いとね。
裕福には裕福の成功があり、そうで無いものにはそうで無い成功はある。ただどちらにしても、続けないと・・・・しかもタイトル的に言えば、芸術家を目指しているのなら、死にそうな年齢の、
芸術家なんてゴマンといる。つまり歌丸師匠のように死ぬ間際まで出来るって事なのね。じゃまだまだ時間はある。とは言っても、きみの腎臓を食べたい・・・の映画では無いが、人の人生など、
いつ終わるか解らない。どんなに努力をしても叶わない事もあるし、じゃ身の丈身の程と自分で決めて、自分で諦めるってスタイルなの?って自問自答すれば、簡単に答えは出る。やるかぁって。
結局簡単な話で、諦めて満足な結果なら、それはそれで良いのね。でも諦めた事を後悔するのなら、諦めた意味が無いのね。きちんと諦められないとね。ただね、20年以上も続けるとね、簡単
では無いし、もっと言えば、続けられないかも・・・ってお金で追い込まれた事が何度もあるんで、死なない程度のお金を持っている以上、ただきついだけなら、ギャンブルを続けないと。
勿論、ギャンブルって言っても、ただkatsuって台につぎ込むだけ・・・だからタイルを買ってやる。って決められれば簡単なんだが、一応お伺いって事で、かぐや俺、買える?って聞くと、
はい・・って。そう来たかぁ・・・例えは、止められる時は、俺の残金を良く知っているのだから、本気で止められたら、本当にヤバい事は判る。でも止められなかったって事は、少しは平気
って事になる・・・つまりやるやらないは自分の判断。己の限界に気付いたつもりかいぃぃ・・・良いのかい、かすり傷さえも無いまま終わりそう・・・ってB'zのウルトラソウルで歌われる。
自分の目で自分を見て、やりもしないで身の丈と諦めて、無傷で終われる人生なら、その目は正しいだろうが、もしその目が間違っていたとしたら?もっと目指せば出来た自分がいたとしたら?
それでは諦められない・・・しかも成功ありきなら、誰にだって出来る。何か目指している人達って言うのは何の保証も無く信じてやるしか無いのね。そうね、簡単な話で、さかなクンが魚好きで
もし、ウチで働きなよ・・・って言われた漁師だったり、魚屋さんだったりしたら、本当は博士になる人だったのに、自分で諦めた事になる。でもそれとて、必ず成功ありきだから話はしやすいが
普通なら、なれないよ・・・と思う人が普通だろうね。でも博士なんて普通の人じゃ無いのね。つまり普通の人の評価に流される必要は無いのね。これは、みにくいアヒルの子の話。
アヒルじゃ無いし、黒いし・・・でも白鳥だったのね。一緒の話で、こんな童話が教訓なのね。なら馬鹿にされて、いじめられて当然じゃん。やっぱそっちに行かないと・・・俺。
ただね、判っているけれど、60だからある程度常識って知っているのね・・・知ってて、そっちへ行くのはドMか余程の気が触れて無いと・・・中々きついのね。まともな人はやらないのだから。
かと思うと、受験。どこでも良い大学に入れれば・・・これなら、何処かに入れるだろうね。死ぬほど頑張らなくても。つまりあぁ楽しかった程度の体験のモザイク。きっと楽しめる。でも、もし
ギリギリまで頑張ったら・・・って何の保証も無いのに、高みの大学を受け、しかも受からなかったら・・・って滑り止めなんて絶対受かる前提の大学がある・・・って。ギャンブラーでしょ?
実はみんなやってんのね・・・人生ってギャンブルを。その後はね、結婚や出産、マイホーム、病気・・・あれもこれもその選択って具合にね。その都度、悩んで何らかの答えを出したのね。
それを大谷さんなら、成功者として羨ましい結果を残せた人として、認められるが、結果を残していない俺程度の話・・・信じる信じないは勝手なんだけれど、何人かに言われた事があるが、俺の
結果次第で、自分の選んだ道が良かったか?悪かったか?リトマス試験紙・・・みたいな事があった。つまり俺が成功したら、後悔をし、俺が失敗のままなら、これで良かった・・・ってね。
そうであるのなら、今の所は、良かった事になるだろうね・・・今の所は。
そんな中、以前斜向かいのバイク屋さんのお客さんからの流れで、見学して行かれたお客さんが、25cmの看板を注文して下さり、打ち合わせに見えたのね。更に先日のご近所の方に連絡を入れ、
色々悩んだ末に、リュウグウノツカイ分のタイルを注文したのね・・・そうね、例えばしながわ水族館展示用・・・って限定したら、もう充分な仕上がりだと思うのね。ただもっと先を見て、
これはその先何処へ行くの?・・・って考えたら、そこに相応しくなった方がなぁ・・・って思ったりもして。じゃ一体何処へ行くのかなぁ?・・・そんな時にいつも思うのは、例えば旬な話題が
大谷さんがドジャースに行く・・・20代の若者が世界を巻き込んでいるのね。勿論それだけの活躍と、実績を残しているからなんだけれど、その前にイチロー選手なんて言うのもいたりする。
彼もまた世界に名を残した選手だけれど、良く彼は自分の人生を語る時に、人に馬鹿にされたり、否定的な事を言われて覆す人生・・・みたいな事を言っていたんだけれど、大谷さんも二刀流を
散々叩かれたりした。でもこうして結果を残すと前人未到な事だらけになる。要するに一般的な場合、先人にそんな事例は無い・・・って事で、その物差しで図られるから、否定的になる。
かと思えば、ブギウギの笠置シズ子さん。戦前に女の人がラインダンス的な歌って、踊って・・・って。どう考えても普通じゃ無い。何しろブッ千切っているのね。先人とはそう言うものなのね。
やっぱり人から、そんなの無理とか、何してんだか・・・とか、理解しづらい事をしているようで無いと、常識の範囲でいると、非常識な事、つまり群を抜く事は起きないのね。
あぁ上手いよね・・・とか凄いぃぃなんてのは、常識範囲であって、そう言う点では、イベント内容に合わせに行くスタイルなんで、いつものように深海生物のイベントにリュウグウノツカイ・・
普通は注文でも無い限り作る機会など無いモチーフ。つまり世界を見たとしても、こんなモチーフは何処にでもあるようなものでは無いのね。だからモチーフとしては充分だとは思うのね。
そんな中、前回は生徒さんや弟子と一緒にグループ展的な展示をしたのね。それはとても好評だったんで、それはそれで良かったんだけれど、同じようなグレードを繰り返しても刺激は少ない。
そこで今度は時間の関係もあって、みんなの下絵と下地作成の時間を取れなかった分、作家katsu1つで・・・って事にしたのね。これで大きさとしても迫力があると思うのね。
そしてイベントとして、来場する深海生物ファンに向けても、充分だと思うのね。でもそれが終わった時、それが最高のシチュエーションが揃っての展示なの?それなら完成すれば充分なのね。
でももっと上があるんじゃ無いの?って考えると、そこは何処?・・・そうねぇ、さかなクンが幼少の頃から魚好きだったりすると、身の回りの親切な人が、水族館や漁師、ペットショップ・・・
そんな提案をしてくれる。でも実際は魚博士になっているのね。それは最初からでは無く、一生魚に関しての仕事・・・って考えた時、それらを体験して違和感を感じた上で、博士になる・・って
変化したものであって、それは俺も同じで、タイル屋の親父だからタイル屋になったものの、あぁでも無く、こうでも無く、こうはしているものの・・・って話で。さて俺は一体何処に向かって
いるのかな・・・ってね。ただこの作品を単なるイベント展示用で良いのか?いつかこれを水族館では無く、美術館に置きたいと思うのなら、それ相応にならないとな・・・って事になる。
ただね、じゃ今年も終わるって事になると、当然今年を振り返る確定申告なんてもんがあるのね。ただそんな事をしなくても、一体どうやって暮らしているの?って考えれば、まとまったお金を
いつ貰った?って考えれば、大体想像は付く・・・本来ならタイルを買っている場合じゃ無いだろうな・・・ただね、酒もタバコも趣味だった金魚も無く、休み無くアトリエの毎日。
遊びに使うんじゃ無いんだから、タイルくらい買っても・・・と思うのは作家のエゴであって、家族がいないからって、稼ぎも無く好きな事やるつもりかい・・・って本来なら、おっかない女将に
怒られるはずであり、60にもなって・・・って話で、もはや落語に出て来る駄目な人を生で体験しているようなもので・・・そんな事を考えている時点で、普通なのね。もっと後先考えずに・・・
例えば、矢沢永吉さんなら、九州から東京へ向かって一旗上げようと上京するも、何か横浜で降りて、レコード会社に自作テープを持って行くも、足蹴にされた曲が、チャイナタウン。
かと思えば、岩崎宏美、良美姉妹を育てた松田としさんに、何度も落とされた中森明菜さん。成功の中には、こうした事例はいっぱいあって、普通なら諦めるものだが、ハングリー精神って言う、
貧乏にしか出来ない芸当は、裕福からは生まれないのね。そっち側の成功なら、ユーミンのように、中学生から深夜のクラブに毎日出入りし、何十人もいる呉服問屋の娘。こうで無いとね。
裕福には裕福の成功があり、そうで無いものにはそうで無い成功はある。ただどちらにしても、続けないと・・・・しかもタイトル的に言えば、芸術家を目指しているのなら、死にそうな年齢の、
芸術家なんてゴマンといる。つまり歌丸師匠のように死ぬ間際まで出来るって事なのね。じゃまだまだ時間はある。とは言っても、きみの腎臓を食べたい・・・の映画では無いが、人の人生など、
いつ終わるか解らない。どんなに努力をしても叶わない事もあるし、じゃ身の丈身の程と自分で決めて、自分で諦めるってスタイルなの?って自問自答すれば、簡単に答えは出る。やるかぁって。
結局簡単な話で、諦めて満足な結果なら、それはそれで良いのね。でも諦めた事を後悔するのなら、諦めた意味が無いのね。きちんと諦められないとね。ただね、20年以上も続けるとね、簡単
では無いし、もっと言えば、続けられないかも・・・ってお金で追い込まれた事が何度もあるんで、死なない程度のお金を持っている以上、ただきついだけなら、ギャンブルを続けないと。
勿論、ギャンブルって言っても、ただkatsuって台につぎ込むだけ・・・だからタイルを買ってやる。って決められれば簡単なんだが、一応お伺いって事で、かぐや俺、買える?って聞くと、
はい・・って。そう来たかぁ・・・例えは、止められる時は、俺の残金を良く知っているのだから、本気で止められたら、本当にヤバい事は判る。でも止められなかったって事は、少しは平気
って事になる・・・つまりやるやらないは自分の判断。己の限界に気付いたつもりかいぃぃ・・・良いのかい、かすり傷さえも無いまま終わりそう・・・ってB'zのウルトラソウルで歌われる。
自分の目で自分を見て、やりもしないで身の丈と諦めて、無傷で終われる人生なら、その目は正しいだろうが、もしその目が間違っていたとしたら?もっと目指せば出来た自分がいたとしたら?
それでは諦められない・・・しかも成功ありきなら、誰にだって出来る。何か目指している人達って言うのは何の保証も無く信じてやるしか無いのね。そうね、簡単な話で、さかなクンが魚好きで
もし、ウチで働きなよ・・・って言われた漁師だったり、魚屋さんだったりしたら、本当は博士になる人だったのに、自分で諦めた事になる。でもそれとて、必ず成功ありきだから話はしやすいが
普通なら、なれないよ・・・と思う人が普通だろうね。でも博士なんて普通の人じゃ無いのね。つまり普通の人の評価に流される必要は無いのね。これは、みにくいアヒルの子の話。
アヒルじゃ無いし、黒いし・・・でも白鳥だったのね。一緒の話で、こんな童話が教訓なのね。なら馬鹿にされて、いじめられて当然じゃん。やっぱそっちに行かないと・・・俺。
ただね、判っているけれど、60だからある程度常識って知っているのね・・・知ってて、そっちへ行くのはドMか余程の気が触れて無いと・・・中々きついのね。まともな人はやらないのだから。
かと思うと、受験。どこでも良い大学に入れれば・・・これなら、何処かに入れるだろうね。死ぬほど頑張らなくても。つまりあぁ楽しかった程度の体験のモザイク。きっと楽しめる。でも、もし
ギリギリまで頑張ったら・・・って何の保証も無いのに、高みの大学を受け、しかも受からなかったら・・・って滑り止めなんて絶対受かる前提の大学がある・・・って。ギャンブラーでしょ?
実はみんなやってんのね・・・人生ってギャンブルを。その後はね、結婚や出産、マイホーム、病気・・・あれもこれもその選択って具合にね。その都度、悩んで何らかの答えを出したのね。
それを大谷さんなら、成功者として羨ましい結果を残せた人として、認められるが、結果を残していない俺程度の話・・・信じる信じないは勝手なんだけれど、何人かに言われた事があるが、俺の
結果次第で、自分の選んだ道が良かったか?悪かったか?リトマス試験紙・・・みたいな事があった。つまり俺が成功したら、後悔をし、俺が失敗のままなら、これで良かった・・・ってね。
そうであるのなら、今の所は、良かった事になるだろうね・・・今の所は。