katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

kameyaさんと健さん教室

2024-05-26 02:02:00 | 出張教室
今日はkameyaさんの出張教室からの、アトリエで健さん教室。そんなこんなで朝、いつもより早めに行くと、大家さんがペンキの塗り替えの為の足場の立ち会いに来ていたのね。

何かkameyaさんで大家さんに会うのは、新鮮で・・・そんなこんなでおかみさんから。そうね、タイルを切るって言う事に、全く困らないおかみさんに指導となると、切る事じゃ無くて味付け。

料理で例えるとね。ただ切るって言う事に問題は無いって事は、その切ったパーツは美しいんだから、美しいパーツをいかに引き出す味付けが出来るか?って言うと、簡単そうで難しいのね。

しかも美なんてもんは、個人の見解って言えば、その通りなんだけれど、そこに根拠があってね・・その人、その人にね。でもそんなの本人は意識していないから、大抵は感なのね。

それじゃその日の気分次第なんて、確率を恐ろしく下げるもんなのね。そこでその人その人の傾向と対策が必要なのね。例えばおかみさんの場合、薄味で繊細が基本・・・ってものがあるのね。

じゃそんな人が作る・・・って前提で、この作品の趣旨は?って言うと、娘さんのプレゼントって事なのね。そんな場合のおかみさんの心持ちはいかに?となったら、自分の作品以上に力を入れる

としたら?いつもよりも繊細になる。徹底的に・・・とかね。じゃ何処の何がとなると、中央の花を散りばめる・・・と言いつつ、ほって置くと徹底的に入れる・・・になる。しかも切る事が

上手いとなると、徹底的に細かい花をね・・・入れられるだけ。それじゃ散りばめるでは無くて、入れ込むになる。言葉のニュアンスが変われば、当然結果も大きく変わって来るのは当たり前。

でそのままにすると、花を細かく入れるだけ入れた後の、残りのスペースに白のガラスタイルを入れる・・・って事になるのね。つまり余白に入れる・・・この考え方は料理と洗い物の関係。

素敵な料理と残務処理のようなね。これが本当に素敵に見えるだろうか?なのね。そこでここまで切れる人の味付けの指導って言うのは、残務処理のバックでは無くて、花の大きさや色に

こだわったように、バックの白いガラスタイルも考えるべきなのね。ただ白いガラスタイルって決まっている以上、大きさしか悩め無いのね。でもおかみさんの性格上、細かくなっちゃうのね。

つまりバックを残務処理の意識無く、残務処理をしてしまうのね。そこでほって置くと細かくなる人へのアドバイスは、いかにジャイアンを入れるか?なのね。しかもこの中に何人のジャイアンを

・・・。こうした意識をする事で、花を入れ込むんでは無くて、ジャイアンの大きい白で抜け感を出すイメージにする事で、単なる白じゃ無くて、メリハリを大きさだけで付けるって話。

ただほっとくと細かくしちゃうから、いかに自分が許せる大きめなパーツを何個?これがジャイアンなのね。それを考えるだけでも、しつこさが薄れるのね。甘くするのに少量の塩って話。

逆も真なり。それが寄り効果的になり、花の細かさを引き立てる・・・って事になるのね。それを花を入れ込んだ後始末のバックって、細かそうじゃない?つまり花より細かくなっちゃうのね。

それじゃ折角の細かい花が引き立たなくなるのね。それを意識させる事が指導って事になるのね。それでは棟梁。


ここも一緒で、同じ花を慣れで同じように作ったら、ハンコを押したようになる。いかに違うように見せるか?となるんだけれど、組み合わせとなると、全部の花びらを違うって事は無理だから、

素敵に見えるのはどれ?って意識して、細かくイコール繊細では無くて、メリハリ。つまり太めなラインと細めなラインとか、グネっとさせることであって、ロボットにしない・・・とか、

こんなワードで気付いてくれれば何よりなのね。そしてりょうさん。

ブログでは見てくれていただろうけれど、生で見るのは初めて。すると2人に良いぃぃって言われたのね。って事は、今日の分を張っても良いぃぃって言わせれば、今日も良いになる。

それを何回も繰り返せば、凄く良いぃぃになるのね。それを何かなぁ・・・って言われたら、今日の分でマイナス点になった事になる。それが2人なら、切る事に心配が無いから、味付けの話だが

りょうさんはまだ、切る事もアップアップ。だから切る事も張る事も油断ならないから、緊張感が増すから、楽な部分が1つも無いのね。だからきっと疲れると思うのね。そこに楽しいだけなんて

ある訳無いのね。だから楽なモザイクじゃ無いのね。ほら必然的にチャレンジを続けるんだから、完成度の満足感や達成感を得る為であって、気分を良くする為の数時間の楽しみモザイクじゃ無い

のね。この姿勢は、常に上手い人がぶっちぎりで、見る人へため息を付かせられるだけの側では無くて、上手い2人にプレッシャーを掛けられる作品に見えるはずなのね。何か凄いぃぃってね。

勿論、技術は2人に見劣りはするのね。ただ見劣りはするものの、気迫とか、コツコツと進む事や、追い掛けられる気持ちのような、圧倒的な差を埋めて来ている、ひたひた感を感じるのね。

たった1回の個人レッスンに来ただけなのにね。まっ理由はもう一つあって、やはり自宅でのパーツ切りの仕込みが進行速度を急激に変えているのね。いずれにしても2人の刺激にはなるのね。

そんなこんなでアトリエで健さん教室なんだけれど、2マスだから、ぶっ続けの6時間。

男の人でこんなに熱心に習うって言う事は、そう簡単じゃ無いし、そもそも単に物作りが好きってだけじゃ続けられない事を考えると、心って部分に関して、かなり強靭なものがある気がする。

そうね、例えば女の人が習い事って、普通にいっぱいいても、物作りに男の人・・・って、昔、かぐやのせがれが幼稚園に行っている頃、送り迎えの男性は1人しかいなかった。でも今はイクメン

なんて言葉があるくらいだから、普通化している。これを踏まえて、運転手や職人、はたまた板さん・・・今まで男社会だった場所に女の人を見掛ける事が普通になった。じゃ逆に女社会の場所の

男の人って・・・そうね、そう考えれば、モザイクに限らず俺はそっち寄りの女社会にいるから、
良く判るんだけど、女の先生なら自宅教室も出来たりしても、俺は完全に無理がある。

ただ健さんも、いくらやる気があっても、何処へ行っても、恐らく女の先生の自宅教室って不可能な気がするのね・・・つまり男女平等と掲げた所で、女性の進出と男性の進出と比較したら、

大きな差はあると思うのね。同じように、例えば20年タイル屋をやっていた俺が、今更タイルの仕事をしていたら、やっぱり食えないからタイル屋やってんじゃん・・・扱いになると思うのね。

所がタイル屋の器用な人が、モザイクをしていたら?・・・どう扱われるかな?恐らく同等にはならないと思うのね。こんな仕組みみたいな事が、野村監督のような、あれだけの成績を収めて、

王、長島と比較しても遜色無くても、自分をかすみ草と比喩するくらい、卑下したようなセリフになってしまうのと、そう言われた人達が、自分はひまわりです・・・って言っているのも、

聞いた事は無いんだけれど・・・いずれにせよ、華があるって事と、無いって事は、腕の良し悪しに関係無く起こるものだったりする。それを顔が良い、成績も申し分なく、人としても立派と

なれば、例外中の例外の大谷さんになれる。だから、まぁ何しろ今はやさぐれましょう・・・って言う見解になるんだけれど、健さんは優雅に見えるんだよなぁ・・・。同じ浮世離れ感があるのに。

って言うと、笑ってたんだけどね。まぁ6時間も一緒なら、こんなたわいも無い話も出たりして・・・いつも通りに終了。

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