katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ウチの犬の杏さんとリピーターさん教室とペーパー掛け

2023-01-05 00:54:28 | モザイクタイル教室

今日はまずウチの犬の杏さんからなんだけれど、特に新展開は無いんで、ちょっとビックリした話題から・・・実はこの方の実家が神社なのね。そんな中、ご結婚された事に寄って、今までずっと初詣は自宅だったらしいのね。つまり初めて新年の初詣が自分の家では無かったらしいのね。

そんな話からこんなシンプルな話になったのね・・・それが神社仏閣って、つい続けて言っちゃうけど、神社は神様で、お寺は仏様・・・言われれば、なるほどなぁ・・・って思うけど、特にそう思って初詣に出掛ける事は無いから、何となく近場の有名なとこって言うと、亀戸天神か帝釈天・・

神社とお寺かぁ・・・考えても見なかったなぁ。ってこんな話をこのまま流せば、ただのお茶のみ話なんだけれど、要するにこれを自分の話に転換して、どんな感じになるのかな?って考えたりするのね。例えばこだわりがある人と無い人の違いって話なんだから、こだわる側って事になると、俺は

タイルについてはこだわる側だから、ぺきぺきだとか、1cmタイルだとか、ガラスタイル、大理石・・・物凄くこだわる側になる。でもそもそもそれが、タイルかどうか?なんて素材が判らない人達がいっぱいいる。これをどうやって違いを伝えるか?・・・になる。例えばそれが習いに来たって、

生徒さんとなれば、そりゃ聞く気があるから条件は良いが、こっちから出向くようなワークショップや、マルシェのような販売では、感覚とかフィーリングと言ったような、見た感じ何となく好き・・・位になる。だからインパクトとか、キャッチーな事が重要になる。それが通となると、

常に新しいものを追求する人もいれば、逆も真なりで、アンティークだのレトロと言った古いものが好きだったりする。所が古さを間違えると、中古みたいな感覚になるから、お洒落では無く、リーズナブル的な要素の感覚になったりする。こんな違いがあるとして、これがファッションなら、

きっと流行なんて言葉があって、今年の・・・って感じに購買意欲をそそられる事になるし、段々年齢を重ねると、着られれば良いよ・・・になると、大きさとか、ほつれたり、破けていなければ良し・・・なんて事になったりする。これではこだわる側とは掛け離れる。それが音楽にしても、

音質の良いヘッドホンなんて言うのは、こだわる側になり、何でも聴けりゃ一緒って側もあるし、聴く音楽にしても、矢沢、長渕、中島みゆきさんのような感じのファンは、何かそれ一本って感じで、バイブル的な感じになり、教祖と信者の関係にも思えるから、ファンは檀家さんチックな感じね。

しかしそれは生き様とか、人生って重みすらある。でもファッション的に流行って、流れて行く・・・となると、その時代、時代に流行ったって事になるから、その時はブレイクしていたかも知れないが、懐かしいなぁ・・・となり、お笑いでも使われる一発屋的な感じになるんだろうね。

その1つの例としては、お洒落なんて感覚は、その時代、時代に合ったものだから、流れて行く。つまりその時代に合ったタイルみたいなものは、時代色が濃いから、今の浸透性が早いんだろうが、浸透が早い分、冷めるのも飽きるのも早くなる。つまり煮物的にじっくりコトコト・・・みたいな弱火

になると、じっくりは時間が掛かる。確かに味は染み込むが・・・。それが先日の狼少年の話では無いが、狼が出たよ・・・の嘘つき少年みたいな感覚だと、良いタイルだよ・・・って良い続けても、言っている人が知名度あるとか、ブランドとか、何かしら影響力のある発信元では無いと、場合に

寄っては維持出来なくなった業者がそれに見切りを付ける。だから次々となる。ただ時間が後から付いて来る的なものは、発信元が無名なのね。大抵ね。サザンにしても、最初はコミックバンドとか、色物扱いだったと思うのね。多分、ファンで無ければ、完全無欠のロックンローラーを聴いている

のと何も変わらなかったと思うのね、勝手にシンドバッドでは。でもいとしのエリーで変わるのね。そこまでに3曲。つまりそれが出るまで持ちこたえられれば、次が出せるが、その結果が出ないと、解散なんて事になったりする訳で・・・。先日ラジオでユーミンさんが、結婚して松任谷になって、

知名度が下がり、地方公演の時に、ポスターに元荒井由実って印刷された・・・って。ネットが無い時代の地方公演はユーミンだってそうだったと聞くと、そりゃ一大事って気になるのね。俺ごときだとね。ただ、大きく違うのは、その元荒井由実で思い出す人がいっぱいいるのと、お前誰?の俺では

戦略が一緒な訳が無いのね・・・って長くなったけれど、たった神社仏閣のこんなワード1つで、こんな感じになるのね。これが想像力の練習。連想ゲームはゲームだけれど、これが俺の仕事なのね。いつどんな仕事が来るか判らないのに、それに対応する能力を身に付ける為にはね。

モザイクって単なるタイルを切って張って・・・ってやっていては、単なる楽譜通りに弾くだけ。ネタ通りに漫才をするだけ。言われた通りに動くだけ・・・って考える事を捨てる伝統へ進む事になる。それを歌を作る、ネタを作る、言われた事だけでは無い事をする・・・に変わると、生み出す側になる。

最後の言われた事だけでは無い事・・・これはちょいと違うかも知れないが、想像して1歩先回りをするなんて事が出来ると、最低でも草履を懐で温める程度の事は誰でも思い浮かべる事が出来るはずなのね。つまり最低限、秀吉程度には慣れる可能性がある。それが気。この場合、気が利く。

気って言うのは習わないし、これも能力だから、鍛えないと学力や運動能力と一緒なんだけれど、目に見えないのね・・・判る人には伝わるんだけれど。ほら戻った・・・判る人には判る・・・じゃ他は判らない人なのか?って言うと、知らなかった・・・ってのもあるのね。つまり宣伝力。

この辺まで解決すると、後は流されるって人が付いて来るから、流行なんて言うのが起こるんだけど、流行は一過性だから、立ち消えする。まぁ俺はまだそこまで行っていないから、そこを深く追求するよりも、まず一発屋狙いなのね。お次は闘牛士の背中のリピーターさん。

ただ今日はフクロウナギ制作。

切る事が上手くなった人が、なるべく切らないでね・・・って封印されると、悩んでしまうのね。何しろ得意な事が出来ないのだから。ただこれが勉強になるのね。つまり歌詞が先か曲が先か?みたいな歌作りだとすると、常に切る前提で始まっているのね、ウチの人達の場合ね。

その理由は、モザイクは所詮色数が少なく混ぜられないから、色は選ぶだけになるから。だからカットの上手さが質の向上だったり、違いだったりするからなのね。所がお絵描きタイルは微妙な色を作れる。それならあまり切らずに色合いだけでも良いでしょ?つまり予定調和崩しなのね。

いつもと同じ・・・って安定を崩す事で、手慣れた感で作れないようにしているのね。そのルールが余り切らないでなのね。しかもしっかりモチーフを見る・・・ってスタイルは犬の方も闘牛士の方も同じようだけれど、大きく違うのは、その通りに真似出来る大きさなら真似れば良いのね。

しかし、もしその大きさでは限界って事になると、何かを削って表現しないとならないのね。つまりそれがデフォルメになる。どの部分を削る?これは各々の判断で大きく変わって来る。それを濃い部分を削れば、薄味になるし、逆に薄い部分を削れば濃い味付けになる。この判断こそが考える部分。

いつもの自分の作品とはちょっと違うのね。それと緊張感。条件はみんな一緒なのね。それを一緒に展示する・・・これも中々無い経験になるのね。ここには発表会的なものが無いからね良くも悪くも緊張感が薄れるのね。この刺激は自分の作品制作では味わえない感覚なのね。だから勉強になる。

この方の場合、歯が多いし、カット部分が多くなるから1回では終わらないだろうな・・・って思っていたから、こんな感じは妥当な所かな。そんな後は、お馴染みになったペーパー掛け。

後50枚って所まで来たんだけれど、ペーパー掛けって、指先まで擦る感じになるから、持っている指先の指紋が無くなり、ツルツルになるのね。しかもそこが薄くなるから穴が開くのね。もうカットバン貼らないと痛くて出来なくなって来たのね・・・ただ後50枚。ひとまずか?おしまいか?

嬉しい誤算になるように・・・なら追加だろうし、足りたわ・・・なら、その程度の結果だった事になる。ただ期待と不安って言うのは、きちんと準備をしたものだけのセリフで、準備を怠った者のセリフじゃないのね。つまりそのセリフはまだまだ・・・。


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