katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室

2022-08-27 02:01:29 | モザイクタイル教室

今日はキウイ教室。とは言え、今やっている事に何も教える事は無いから、発展的な話として、今後の事だったりすると、例えば、コープみらい埼玉用の鍋敷きを公民館でも出来ないか?とかだったりするのね。こう言うのが大事だったりする。

例えば、昨日のフェルメールの方だったり、今日のキウイも、サンプルを作って直ぐに反応があったのね。興味を持って貰えた事は幸先が良いのね。それとただ反応があっただけで無く、例えばフェルメールの方だと、鍋敷きが何枚もあっても・・。

って話なんだけど、そうねアトリエに通う回数が多くなれば、手頃な鍋敷きって言うのは作りやすいから、何枚か持っていると思うのね。それも良く判るのね。ただ、だからそれを4枚分合体してミニテーブルにしたいって変化させて来たのね。

そうやって変化させてくれると、またそれはそれで違うモノに見えたりもする。それは例えばフォークギター1本の歌を豪華に4本で演奏みたいな感覚で、同じ歌でも違うような感覚になると思うのね。当然デザインも少し変わって来るだろうし。

そうなるとアレンジを変える事みたいになるんだろうしね。それがキウイの場合なら、今度は同じサンプルを企画会社さんみたいに何処で開催しようか?みたいな事を考えてくれる訳で・・・。1つのサンプルが幅広い展開になる可能性・・・

それは話が膨らむし、もう1つは常に思っている事なんだけれど、例えば松山千春さんね。最初は旅立ちって曲をフォークギター1本のスタイルでデビューしたんだけれど、その当時のフォークソングの歌手の中では、群を抜くカッコ良さ。

それからヒット曲の季節の中でとか長い夜なんて言うシングルヒットで、ベストテンを賑わす感じになると思うんだけど、ここが分岐点になると思うのね。デビュー当時からのファンは、バンド編成になったヒット曲はフォークでは、

無くなった感じが、歌謡曲になった感じがした・・・と言う反応が多く、しかしながら、それによって知名度を上げたって市民権を得たような感じでもあった気がするのね。つまり分岐点って言うのは、予定調和では無くなる時に起こる。

それがサザンの場合だと逆で、勝手にシンドバッド、気分次第で責めないでと2曲続いた後、色物みたいに賑やかしをしといてからの、いとしのエリーは、いきなりの変化に万人受けされた・・・今度は一部のファンでは無く、万人に・・・。

こうした違いがあれど、必ずそうした分岐点になる作品って言うものがあるのね。宮崎駿さんにしても、テレビ漫画でヒットを飛ばして、映画のチャンスが来るものの、カリオストロ・・・ルパンって人のキャラでの作品。

ルパンのファンからはあんな顔じゃ無い・・・みたいな声はあるし、ガンダム全盛の頃では、当時ビックヒットにはならなかったエピソードがある。しかしながら、それから十数年後に、ナウシカを当てると、過去の作品を掘り起こされ、

カリオストロは名作扱いになる・・・。それは落語の世界にもあって、はたののりゆきって話があって、2代目の木彫り師が、先代と比べられ、ヘタッピ扱いを受けるのね。しかも、2代目は河童なのか?狸なのか?判らないものを作る人とまで、

馬鹿にされるのね。しかも死ねとまで言われて。その不憫さを見て、母が観音様だったかな?形見に彫ってくれって頼むと、飲まず食わずの1週間で、それが先代の作品と変わらなく見える作品を作るのね。そうすると、かっばだぬきすら、

名品として扱われる・・・。そもそもたった1週間で上手くなるはずが無いのね。つまり最初から上手かった事になるのね。しかもどうしてその上手さを周りが気が付かなかったか?なのね。それがフェイクとしてのかっばだぬきの作品。

そもそもが、何であろうと技術として彫るって技術は、1日や2日で上手くなるはずは無いのね。それは日々の積み重ね。しかし、技術って言うのは技術のある人にしか判りづらいのね。そこへ持って来て、既存の真似では無くて、かっばだぬきって言うオリジナル。

こんな見た事も無いものを評価出来る眼を持っている人がいるか?となると、大谷さんくらいになれば、誰もが評価する事になるんだけれど・・・。それを踏まえて、例えばピアノやフィギュア。誰が上手いか判る?

多分、有名なら上手いと思うだけで、音を聴いて判断なんて出来ないと思うのね。所がプロを目指すなんて人なら、この人上手いぃぃって見抜く事が出来るはずなのね。技術って言うのは、素人さんには簡単には見抜けないものなのね。

そうすると、どうしてもこっちサイドとしては、これでもダメか・・・ならこれかっって、どんどん意地みたいに凝る事になるものなのね。どうしても何とかしなきゃ・・・になるから。そんな1つが徹底的に切るなんて事に繋がるのね。

他者との違いを見せる為だったりして・・・。例えばそれがフォークソングはギター1本なんて、定着した考えが浸透していれば、そうじゃ無いものは違和感を持たれるし、サッカーからラクビーが生まれたのは、ボールを持って走った人が

いたらしいのね。つまり新しい事って言うのは違和感から始まるし、予定調和をいかに切り崩すか?だったりするのね。しかし、形を崩すって言うのは、とても難しいのね。もう決まり事がいっぱいあるしね。

こう言う事を先人のどの分野の人達も通過して来たのね。さてそうなると、俺はどうする?って事になるが、最近のサンプルは、お絵描きタイルを使って切らないスタイルだったり、今回のサンプルでは5粒しか切らないスタイル・・・

明らかにkatsuの教える切るスタイルからは意識的に大きく変えているのね。それをフェルメールの方が興味を持ってくれた。でもフェルメールを作れるような技術になった経験者な人の評価なのね。それがキウイの場合なら、こんな作品が

作れる人なのね。その腕や眼で評価となると、上手さに差はあっても、katsuの教室の生徒としての上手さは十分あると思うのね。その人達の評価だと、普通ならほとんど切って無いじゃん・・・とか、趣味じゃ無いからとか、鍋敷きは沢山

あるから・・・って言う各自の自分の評価になるものなのね。それがこうして良い評価を貰えると、ギター1本のスタイルを続けていなくても良いって言う曲になって来た感じがするのね・・・。つまり体験の人達って言う人は、この2人の

ようには技術は無いのだから、技術の評価では選ばれずらい。しかし流行りのようなタイルや使い方では、何処でも一緒・・・それをいかに万人受けしつつ、個性を見せられるか?になる訳で・・・。ただそれとは全く反対に、矢沢です。ロックです。

って、ずっと同じスタイルを続けるスタイルもある。こんな葛藤ありきで、提案って難しいのね。これが同じ提案でも、依頼品となると、俺の場合、全て違うモノなんで、デザインの使い回しが無いから、定番って言うのが無いのね。

だからとても時間が掛かるし、それが表札であってもね・・・。そんな事を踏まえて、

なおみぃぃに頼まれたんだけど、お教室の下地であっても、流石にデイ・サービスと同じものは出しづらいのね。これはなおみぃぃの1点物下地だから・・・。やっぱり吊るしの洋服とは違うな・・・ってイージーオーダー位にはしないと。

ただね、考えるって言うのは、そんなに簡単では無いし、増して人の好みとは難しいのね。しかもそこにお金って言うのも発生するからね。でも最低デイ・サービス超えは、制作サイドとしては必須なのね。

ただ流石に0からスタートは切れないから、ベースは一緒としてなんだけれどね。ただこれ以上はやり過ぎるとお手軽感が無くなるし・・・さじ加減が難しいのね。それと、なおみぃぃの実力も加味しないと・・・。

簡単過ぎれば、あっと言う間になるし、少し手応えとしての作り応えってのも必要なのね。例えば高校生に九九を言って見て?とか、漢字で名前書ける?って馬鹿にしているみたいでしょ?つまりある程度の難易度は必要なのね。

ただやり過ぎると、大学生問題になっちゃうと、お手軽感どころか、悩みになっちゃうから、気を付け無いとね。って話。そんなこんなで、キウイはいよいよ、鳥と花だけになった。


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