今日は丸々1日理容院の看板。そうね、こんな話は何処にでも落ちている話だから・・・って話なんだけれど、そうなんだぁ・・・って気付きにでも使える人もいるかも知れないから、一応触れると、世の中には保守と革新みたいに相反する考え方があったりするのね。簡単な所では、古典落語と、
新作落語とか、歌舞伎とスーパー歌舞伎とか、池坊的な華道の流派と假屋崎省吾先生みたいな感じとか・・・こんな比較対象だと思って貰えると良いのかな。まずその時に長く続いている側には、やり方とか所作とか、ルールが沢山あって、それは次の世代に伝承して行かないとならないのね。
じゃこっちを王道とすると、相反する邪道とされる側に立つ方は、そちらの考え方とは違うから、あんなの・・・って最初は言われるんだろうね。ただ邪道側にも言い分はあって、こんなに多種多様になった時代に、果たしてそのままのスタイルで残れるのか?なんて思うと、新しいやり方を模索する
なんて考えたりするだろうし、もっと言えば、所作的段階で面倒臭いって感じでハードルが高くなったり、それ以前の問題で本来の趣旨までたどり着かない・・・なんて思いもあったりするのね。そしてこれを説明するには、どちらにも所属しないと一方的になるのね。
ちなみに俺の場合、タイル職人を20年やっていて、曲がりなりにもそっち側も経験した。これはこうじゃ無きゃ駄目ってね。そして今は、こっち側のスタイルで、こっち側には師匠はいないし、見様見真似でやっているのね。だからどっちの気持ちも良くとは言わないが、何となく説明出来る。
歴史や伝統側は曲げちゃ行けないもので、この封建的なスタイルは、そうじゃ無きゃ行けないのね。例えば、溝を彫って組み合わせて釘を使わないって宮大工さんの仕事を、そんなの時間が掛かるし、今のスーパー機械で、パンパンって打ってしまって良いか・・となれば、絶対に駄目なのね。
でももしそのスタイルを一般住宅に取り入れたら、恐らく一般の人が買えない値段になるだろうし、宮大工の人数から言って、いつ建つのか予定は立たないだろうね。だからどちらも必要なのね。でも、邪道側を初めて始めた人達って言うのは、波風が立つし、まず世の中が否定から始めるのね。
それが良い証拠に、大谷さんだって、どっちか1つなら通用するが、二刀流なんて・・・って全てのレジェンド達が否定をしたのね。それを否定しなかったのは栗山監督と日ハム・・・そしてそれを受け入れたメジャー。でももし満足をして貰える成績が残せなかったら、やっぱり、だから・・・って
非難の嵐だったろうが、2年連続の凄い成績。こうなると一転、みんなが認めだすと、もはやヒーローになる。でも見ていて何か気持ち悪いのね。仕方が無い事なんだけれどね。何せ見た事の無いものは、認めづらいし、自分のものさしで人を測っては行けないって教わるのは、そうしてしまうから。
そもそも男女平等とて、いちいち言っている時点で、そうじゃ無いから言っているようなもので、そんなの無理に決まっていると思っている時点で、新しいものは生まれないのね。でもそこに留まっていられるのは、留まる場所に居場所がある一部の人達だけなのね。そこまで追い詰められていないからなのね。
例えば昔の農家。長男なら跡目が継げるが、果たしてそれ以外はどうか?もし貰えなければ、他の職業を考えなければならないし、もし水呑み百姓だったら?老人を捨てに行かないとならないかも知れない・・・ほら追い詰められた時に仕方無いから諦める?それとも何か考える?
それを進撃の巨人では、100年続いた安心安全の壁は崩れないから大丈夫・・・って思っていたら崩れた。ガラスの仮面では、ラーメン屋の貧乏娘は夢なんか見ずに働け・・・って。要するに先人って身の丈身の程のルールに縛られず、人に非難や否定をされて、継続は力なりを信じて、何しろ続ける。
まぁスタイルとしては、こんな事になると思うのね。勿論、実は古典側にいても同じなんだけれどね。でも、大きく違うのは、考えるってスタイルを持っている人って言うのは、いちいち疑問を感じてしまうのね。何でだろう?って。でも大抵はルールだから、昔っから決まっているとか、余り説明を
されずに、公式のように思い込まされたのね。それでもそこに居られれば良いが、そこに居場所が無いまで追い込まれれば、新しい側に行かないとならないのね。ちなみに俺の場合、全くモザイク側を詳しく知らなかったし、常に何か変わったタイル屋になりたい・・・って言ってた。
それがひょんな事から、Natsuって作家さんにあって、タイルって素敵ですよね・・・の一言でやる気スイッチが入った。そうね、言葉を選ばなかったら、タイルは素材としか思っていなかったタイル屋だったから、くそっ、女の人に、素人に、ムカつく・・・って気持ちになった。
本気になったのはそこから。ただその場だけは、そう思ったが、基本受け入れる姿勢って言うのは、古典的な側で育っているし、腕を盗むって言うのは、職人の基本。見れば何をどうしているのか?って考える事は出来る。そんなのがモザイクのきっかけ。まぁきっかけさえあれば、後は継続。
それだけでも、そこそこ何とかなる。ただね、タイル屋の時と大きく違うのは、本気度だな。タイル屋の時も辛い事は多々あったけれど、そこそこのお金は頂いたから、並の生活位は出来た。でもね、モザイクになってからは、まぁ地獄を見たねぇ・・・生きるって大変だわって。
タイル屋の時なんて比べるまでも無いのね。だから、上手くて当然、凄くて当然、当たり前にしか思わない。そうで無いとやる意味を感じない。でもその位じゃ無いと・・・世界遺産を作りたいんだから。まぁそんな事を思いつつ、でもねぇ・・・この看板、先人からしたら新作落語やスーパー歌舞伎側に見えるだろうな・・・。
まっそれならそれで、どーでも良いんだけどね。さていよいよ終盤。