katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今年最後の高洲のサークルとしながわ水族館の下地直し

2022-12-14 23:59:10 | 高州のサークル

今日は今年最後の高洲のサークル。残念な事に3人・・・ではまずキウイから。おいおい、終わらないのかよぉ〜って話なんだけれど、相変わらず終わらなくなるような事してんのね。だから質に関しては一切気になる事は無し。お見事なのね。ではタピオカ。

お絵描きタイルだから、極力切らない方向なんで、正直な話、時間内に張り終わるだろう。って感じに思っていたんだけれど、結果としてここまでだったのね。別に早さを気にしていただけでは無いんだけれど、実はしながわ水族館のディスプレイ作品を有志にやって貰うんだけれど、それをやると

この位は掛かるであろう・・・の目安的なものだったんで、タピオカでこの程度かぁ・・・なのね。ただ下地が区切りのある下地と、こうして丸の下地とでは、区切りの中を入れるってスタイルと、下書き通リ、線に反って切るっていうのは、そこにピッタリにしたくなる。

区切りがあれば考えずに済むが、線に反って切るって言うのは、こだわればこだわる程、時間が掛かる事なのね。だから一概にこの結果だけ取って有志の人達がもっと掛かるとは、限らないのね。そして最後はのりちゃん。

新作の下絵を写して今日はおしまい。どうやらこちらもお絵描きタイルで・・・って事なのね。このタイル可愛いって。そんなこんなで今年最後のサークルも何とか終えたのね。そんな後、結果として、その後にアトリエでキウイは仕上げ。

完成ぃぃ。お見事です。そんな後は、下地・・・・


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リピーターさん教室とデイ・サービスの絵馬下地終了

2022-12-14 00:39:27 | モザイクタイル教室

今日は午後からリピーターさん教室って事で、それまでにデイ・サービスの絵馬下地完成。

これで後は、来月分のサンプルなのね。その後、しながわ水族館のディスプレイ用の作品の下地写し。これでひとまずほぼ写し終わったって感じなのね。そんなこんなでお教室なんだけれど、いつも通りの安定感なのね。きちんと揃えて同じ幅を切るって事は安心して見ていられるようになった。

これは、蕎麦をずっと繰り返し切るって感じで、うどんもきしめんも入らないって感じ。そうなると今度は、段々・・って事になる。そうなると、蕎麦、蕎麦、蕎麦からうどんに切り替えるなんて事になるんだけれど、これを数字にすると、3mmの蕎麦からいきなり6mmのうどんでは、ガタンって

段になる。だから3mmの蕎麦から6mmの前に、片方は3mmで片方は4mm、次は4mmから5mmの、そして5mmから6mmの、最低3枚のつなぎパーツが必要になるのね。これを滑らかに移動させるテクニックが段々って事になるんだけれど、それも上手くなると、ギュって締め付けるように見えずに

キューって感じになるのね。それも中々難しいんだけど、それも出来そうなのね。こんな場合こっちとしては難しいのね。出来るから、次、出来るから次・・・ってわんこそばみたいになると、そもそもまだ2作目の人なのに、楽しいんじゃ無くて、大変ならまだしも、辛いになったら・・・

元も子もない。本来ならまだ楽しむ段階で良いはずなんだけれど・・・ただいきなり外用ボンドで、いきなりリップルから始めた位、固さにも慣れているし、そもそも他分野で数年続けられている習い事があるなんて実績があるのだから、辛抱強さは持っているだろうから、そうなると単なるこっち

の老婆心なのかな?・・・って気にもなる。それじゃ・・・と切り替えるのは、先生katsuでは無くて、作家katsuのスイッチに入れ替える事になる。そっちは、感受性とか感性って話だから、モザイクの話は一切無くても良いのね。全ての話をどう思う?のやり取りをし続ける事。

これってどっちも考えて話す・・・って事になるから、頭を大きく使う事になるのね。しかも、とんでも無いくだらない話から始めるから、馬鹿馬鹿しさ満点なのね。つまりこのたわいも無い話は一体何か?と言うと、例えば、子供にドレミファソラシドってこうだよ・・・と教えるとする。

最初はえっ?あっ?みたいに自由に指が動かない・・・なんて事になる。だから必死なのね。所が大人に、では縦笛のドレミファ・・・って言ったら、あー判りますって感じにならない?それがヴァイオリンだったら?きっと本気で聞くと思うのね。勿論マレにどれでも本気な人はいるけれどね。

こんな違いがあったとする。それは以前の経験値で見た事、やった事があるって認識があるから、驚く事無く出来るって判断になるんだけれど、子供の場合、何もかも初めてって言うと、音が出るだけでもビックリしたりする。勿論エリートなら既に出来る人はいるだろうし、今はネットで、ありと

あらゆる物が見られるから、既に見た事があるかも知れないが・・・子供とて。こう言う事を前提に、例えば、お風呂に入って何処から洗う?って質問をしたとする。はぁ?馬鹿じゃん・・・って場合、チコちゃんの質問はほぼ馬鹿馬鹿しい話になる。それをそっちは楽しく見られる人がいるなら、

それはチコちゃんの魅力で見ていたり、テレビの影響だったりする。そして肝心なのは単なる答え合わせのシステムなのね。最後は答えが合っているか?とか、間違っていたとしても、正しい答えを教えてくれるシステムであって、当たっていたらよ~しみたいな気持ちになったりするゲーム。

そんな感じになるが、俺のは違っていて、二人の話なんだけれど、二人共一緒なら、ここでは正解になるし、他では正解じゃ無いかも知れない、曖昧なやり取りになるんだけれど・・・。ではさっきの何処から?その時に、大事なのは、何故?どうして?って質問はするから、適当に答えるのは駄目。

すると、悩んで顔?・・・って言うから、何で?と聞くと、一番綺麗にしたい順番に・・・って言うから、もしその理由からなら、顔の後に頭を洗ったら、頭の汚れが洗った顔を通過しますよね?って言うと困った顔をするのね。これでその理由は通らないから、他の理由で納得させて・・・。

それでもし、じゃ頭からで良いです・・・なんて言うのなら、最初の意見を1個のつまづきで諦めるスタイル。つまり作品作りに反映する事になるのね。だから作品って言うのは自分自身なんだ・・・って話なのね。つまり答えを見つけることが出来ないから、面倒だから諦める姿勢って事になる。

そんな場合なら、オリジナルをせずに、何か人の絵や写真を見つけて、模写をすれば安心安全であって、何も考えずに済む。このスタイルなら、楽譜、レシピ、図面・・・って徹底的に真似をして、そっくりにする、似せるを追求すれば良いのね。所がオリジナルって言うのは、何も無いのね。

だから、一体、何をとうすれば良いか?・・・って、全てを考えないとならないのね。それを大抵の人は悩んで終わるのね。考えると悩むのは全く違っていて、考えるって言うのは、必ず何かを提出して、それを叩き潰すような感覚でも、残ったものだけが骨格になるものなのね。

その残ったものをベースに、いかに思い描く方向に持って行くか?行けるか?になるんだけど、子供の勉強だってあいうえおから始まったり、書き取りだったり、基礎ってものがあるように、考えるって言うのは、想像力の話。画像が無くても思い描かないとならないし、とは言っても、クリエーター

の人生の人はここには来ないから、想像する・・・なんて言う事はあったとしても、想像を具体化するなんて行為は、ほぼ一切した事は無いだろうし・・・だから、くだらない事、今更あいうえおかよ・・・になってしまいがちなのね。でも本気なら、そのくだらない事に向き合える。

いきなり甲子園で結果を残すなんてのは、余程の構築力的なバックがいなければ、思いつきの理想の肉付けになるだけで、結果が出るはずが無いのね。だから河原で練習。河原なら失敗しても誰も見ていないし、俺は先生だし・・・ただそんな前提でもこんなくだらない話に乗れるか?なのね。

これが時々、先生katsuの指導の方が良い人もいるのね・・・こんなやり取りに慣れると、想像する為には、思い出さないとならないから、観察力も必要だし、洞察力なんてのもいる。勿論、俺のように乏しい知識と、うる覚えの忘れがちな初老の場合は、知識賢者を1枚持つと非常に有利なのね。

何せ伝える能力だけは自信があるんでね・・・。いずれにせよ、こんな話も早く無さそうなのかも知れないのね。もしかしたら・・・。


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