katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

お教室とプルメリアの玄関ポーチ

2021-06-01 07:42:50 | モザイク教室

今日は午前も午後もお教室。今ね、こんな状況だと詳しく入れるのもね・・・って事で、自分の事を中心にしてるんだけれど、お教室が2つとなると、それに触れずに膨らませるってのも中々なのね。ただこんな話があるのね。

それはドットアートのような切らない方向のモザイクと、切らないと作れない方向のモザイク。ウチの場合、極端にカットする方向にあるので、中々ドットアートのようなものを作る方がいないのね。ただ過去に数人いたんだけれど・・・。

まず目に見える説明をすると、カットしないのと、カットするの違い。ここが問題なのは、この時点でカットすると難しく、カットしないと簡単とか、カットしないんだから技術なんて要らないじゃん・・・こんな認識がある事が多いのね。

もしこの認識で始めた時に、簡単じゃん・・・で終れたのなら、楽しめたんで良かったねって何でも無い事になるんだけれど、それが始まる前は簡単って思っていたのに、始まったら悩んで進まない・・・なんて事があるのね。

その原因の1つは、何もしていない時点で、カットしないから簡単って思い込みから来るものなのね。それは、カットって言う技術無しで出来る、だから簡単・・・って、実はこんな風に感じていたからなのね。

その時に誰もがタイルをカットするんだ・・・と、カット無しね・・・と思いがちだけど、実はカットをしない事の中にも技術がある・・って事なのね。例えば、カットの技術が抜群。その人にカット封印となると、眼に見える事だけなら、

素人同然になっちゃった事になる。だってカットしない事で技術なんて要らないって判断をしているから。つまりカットをしなければ、誰もが平等みたいな感覚。でも実は張る技術もあったりして、均等に目地幅を取って水平垂直を保ったり・・・。

でもそれだって目に見える技術。だから、反復するとか、隣を見るとか、何とか真似をすれば良いと思うのね。所が考える・・・って事はそう簡単じゃ無いのね。そう簡単じゃ無い・・・どんな人が?なのね。難なくこなす人は良かったね。

だから、アドバイスは要らないのね。もう材料さえあれば楽しめるから。でも中には初めてなのに、楽しむ事よりも、グレードの良いものが欲しい・・・って人もいるのね。その時にグレードの良いモノ欲しいって名乗りを上げてくれれば、

当然簡単じゃ無いけれど、こんな事こんな事って何個かアドバイスは出来ると思うのね。ただ周りの人よりも時間は掛かるとは思うけど。それより何より厄介なのは、自分では簡単と思い込んでいるものが、教える側としては非常に難しい事だったりして、

明らかに見解の相違がある場合。つまりその思い込みを直してからじゃ無いと、こんなはずじゃ無かった・・・ってな結末になってしまう可能性が高いからなのね。そもそも取り組む前に、やった事の無い事が簡単だって認識がある事が問題なのね。

ただ人には色々あって、やらなきゃ判らないじゃん・・・って進んで来た人の場合、当然失敗はあったはずなのね。でもじゃ次、次って進めるから当然成功する事もある。まぁこれは失敗を失敗とも思わず進めるフォアード的な考えで、

何回失敗しても良いから俺に回せ・・・こんな場合は、1回の成功を喜べる。ただそれには俺が俺がって感じの前に出る心の持ち主の成功例であって、しかもモノ作りだとしたら、失敗の数だけお金も掛かる。

逆に失敗したらどうしよう・・・私に出来るかしら?こんな場合は、やる前から失敗前提の話になり、さっきとは正反対の事例になる。つまり前者は成功ありきのスタートで、後者は失敗ありきのスタートになる。

まぁタテとホコみたいな話で、前者は点を取りに行く。後者は点を防ぎたい。この違いであっても、両者ともに良いモノが作りたい・・・と掲げても、性格1つでこんなに変わって来るのね。そんな中でカットする技術を封印するドットアートをするとしよう。

どんな事になるか?本来、イケイケどんどん的な場合、失敗を恐れない感じがするから、カットする事にひるまないで済む。なのにカットは出来ない感じにならないかな?つまりこの時点で若干窮屈な感じにならないかな?

逆にカットしなくて良いのかぁって・・・イケイケの人はカット出来ない・・・に対して、しなくて良いのかぁ・・・窮屈やストレスって前者と違い、安堵感にも感じる。つまりゆとりや余裕がいつに無く出来る可能性も生まれる。

そんな違いの中、お好きにどうぞ・・・ここからは素敵なデザインを考えた方が素敵に見えるのね。何せただ並べるだけ・・・所が同じデザインでも、ボンドだらけになってしまう人もいれば、上手に器用に張る人もいる。

つまり切るのも技術だし、張るのも技術。けれど、考えるって言う眼に見えないアイデアも技術なのね。それが、切れるから、張れるから・・・って、考えられるとは限らないし、考えられるからって、切ったり張ったりが上手いとは限らない。

その時にどんな人がやろうとしているのか?・・・が問われると思うのね、先生側としては。こんな考え方を本人は自覚無く思い込んでいるとしたら?最低でも失敗にならないように・・・となると老婆心の説明をしたくなる。

だからこんなに長い文章になる。まぁ何とも詰まんないって思うだろうね・・・きっと。ただ、これでマイナス側にいる人は救われる事もある。あぁ自分はこっち側だから・・・と。要するに過信していた人も、へりくだったような、卑屈にも思える後ろ向きのような人も、プラマイ0の位置から始めれば、大きな失敗にならないと思うのね。

ただそれを繰り返していると、最初は楽しかったのに、段々と窮屈になってしまう事もある。それは簡単で楽しいモノは、楽だからからであって、ラクが続くと飽きてしまう事もある。つまり自分が簡単だと思って楽しかったのは、初心者の時であって、

カットをしないスタイルは、簡単に真似も出来るし、可愛いねだけの評価になる。そのままで5年、10年習い続けられるか?となったら、恐らく数回で会得出来ると思うのね。勿論、壁画の大きさになれば評価は違うけどね。

じゃカットをするとなると、そりゃ簡単には上手くならないし、根気が必要になる。でも仕上がると凄いって評価も出て、可愛いって言う事もあり、広がりが見える。そう簡単には真似出来なくなるし、カット無しよりも小さい作品が作れる。

ただ根気がね・・・って話。どちらも一長一短。ってまとめに入ると、そう言う考えを踏まえて、ラクに作るも良し。しっかり考えて構想を練ってから始めるも良し。ただ後者の場合、悩んでばかりじゃ始まらないから、ある程度考えたら、

1歩目は勇気。考え疲れするとやる気が折れる。こんな指導が先生katsuとすると、作家katsuって言うのは、ラクを選べないから、しっかり構築って方向に行くのみ。当然時間が掛かる。まず何を頼まれても1点モノである事。そしてkatsuが作ったって言う爪痕。

もしこれが大巨匠なら、今よりも予算は多くなるし、認められた上でのプレッシャーも大きいだろうし、同じテーマや課題であっても、人とは違う何か?があるだろうし・・・

だからその日の為にも、練習な気分で取り組まないと。まぁ、いずれにしても、何が正しいって言うのは、特に無いのね。でも何かなぁって感じる事はあるのね。だから、みんな自分で楽しみ方を探す事なのね。

何しろ何処まで行っても、きっかけ作りや技術なら教えられても、楽しみ方を、教えるのは中々難しいのね。だからある意味、イレギュラーな事って、いつも教える機会に恵まれたって思って取り組んでいるのね。それは生徒さんの為だけで無く、自分の為でもあるのね。だからいつも何をしても勉強なのね。

 


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