katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

トラックの玄関ポーチとkatsu散歩

2021-06-10 07:38:32 | モザイク作家

今日から本格的にトラックの玄関ポーチの仕込み。金曜日に600角タイルが届くから、それまでの間はひたすら切るだけ。そんな訳で、話も画像も地味ぃぃになるんだけれど、そんな中、今日もKATSU散歩。さて何処行こうかな?となって・・・。

まぁ何処でも良いんだけれど、行けば誰かと会うのだからとは思うものの、心のどっかに湯婆婆を組み立てて動き出す前の時間に、折角駐車場代を支払う訳だし、1人でも多く見て貰いたい・・・って思ったり、こんな事してて・・・とも思うのね。

所が歩き出すと、さてやらなきゃ・・・と人っ気を探すなんて事になる。こんな事の繰返し。まぁある意味、大作を作るのと似てて、何しろ果てしなさにやられちゃうのね。ただやらなきゃ何も始まらないのね。いつか・・・なんていつなの?

林先生じゃ無いが、思い立ったその瞬間が今・・・だと思うのね。ただ思い立って今やると、考えなしでやっているようなものだから、当然何か失敗する。だからその失敗の是正を考える・・・こんな方法になると思うのね。でもそれが嫌で、何か

良い考えが浮かぶまで・・・と動かない場合、あぁすると・・・いやこうすると・・・と完璧な答えを出したいが故に、自分の考えを自分で潰すようになり、結局自分と向き合い疲れしてしまうのね。まぁこんな場合、難しいぃぃなんて言うけど、

本当は、自分のやりたい事が決まらないから難しいのね。つまり自分が難しいのね。これが作品は自分自身って言う話に繋がって行くと思うんだけれど・・・。だから初めは出来る事を探して結果が出ると楽しいのね。所がそれに慣れると飽きる。

その時に少し難しいって事にチャレンジすると、楽しいだけじゃ無くて、大変なんて事にぶつかる。でもそれがまた出来たって事になると、大変な事が出来た自信と結果で階段を1段上った事になる。まっ進級って感じなんだろうね。

ただこの繰り返しで、その大変さを良く知っちゃうのね。そうすると、例え小物でも、良いのが欲しい、ちゃんとって姿勢で作る様になるから、必ず良い結果は出るんだけれど、小物ですら大作のように作ってしまうから、気軽に作れなくなる。

これが上手くなった人に良く起こるのね。つまり上手くなったら、その時こそ、ノリで・・・って作り方で小物を作ると、結果も良いし、時間もそんなに掛からずに、楽しめたりするのね。逆に初心者から少し抜けた位の人が、一番難しいのね。

何しろ楽しい方ばかりになると、簡単に沢山作れちゃうし、その時は楽しくても、どんどんと作品が溜まって行くから・・・しかも手ごたえが無くなって行くし・・・増して人のデザインばかりでは、考えない分、悩みも少なく・・・

とは言え、オリジナルってハードル高そうだし・・・って感じになりやすい。これがもし他にメインになる事があるのなら、これは話が変わって来るのね。例えば子育て真っ最中なんて場合なら、子育てがメインになる。

そしたら空いている時間なんて、そうそう無い。それなら簡単に1時間程度で完成するなんてものが楽しい。それなのに、チャレンジなんて作品と向き合うと、子育てで十分向き合っているし、ダブルで大変なのはしんどいのね。

だから大作なんてお勧めしないし、所が中にはマレにそっちへ進む人がいたりする。そうなのね、その時に本当に作りたいって気持ちがあると、いつか終わるし・・・みたいな気持ちがあると、子育てしているのに、出来ちゃう人もいる。

逆に仕事をしている人でも、同じで、仕事は大変なのね。でも仮に1か月に1回アトリエだけの人が、自宅で1回だけモザイクをしたとする。わずかな時間だとしても、2倍になった事になる。これが上手くなるって言うきっかけの1歩なのね。

それは時間では無く行為なのね。独りでやった・・・って。アトリエでは常に俺がいて、聞けば簡単に答えが見つかる。でも自宅では俺はいない。その時に伸び伸びやれるのなら、きっと縛られた気持ちから解放って言う感じだから、楽しいだろうね。

ただ良い事と悪い事は背中合わせ。縛られた気持ちの解放で楽しいのだから、アトリエは窮屈みたいになる。じゃ結果は?恐らく注意していた老婆心は全く思い出される事の無い状況で完成するであろう・・・なのね。

逆に俺はそこにいないのに、あっ、あっ・・・って、キーワードとして言って置いた言葉が、思い出されると、ニッパーの持ち方から是正するだろうし、そうなると失敗が少なくなる。それが助けになる事もあったりする。

まぁどう取るか?はその人次第だけれど、共通するのは独りでやった事。いかなる結果になってもその経験値は残る。それを踏まえて次があるのか?それで凝りてしまうか?が1つの分かれ道になるんだけれどね。ここがとても大事なのね。

随分と長い枕になってしまったが、そんな俺とて営業なんて素人そのもの。作る事は評価を得て来たとしても、それと比較すれば、見劣り所の騒ぎじゃ無いのね。しかも先生もいないし・・・だから見よう見まねとなるんだけれど、みんなちゃんとな訳よ。

きちんとした営業なんて、60にもなろうとしている俺が1からやっても間に合わない。だからそれとは違う事考えないとね・・・って事になる。そうね、そこでまずは、かぐやとインスタを始めたのね。こんなのは今更って話だけれど、

ちょっと話が変わって来るのは、20年分の作品の画像を放出なのね。誰も知らない作品だらけ・・・そもそもモザイクなんて時間の掛かるものを毎日アップしたら、限界がある。でも俺は20年分・・・しかも毎日ほぼモザイクのみで過ごして来た。

人一倍見せるものがある。それと金魚みたいに1つのモチーフしばりでも無いから、色んなアプローチも出来る。それと同時にアナログ的なKATSU散歩。ワクチンだってネット予約だけじゃ無いのなら、やっぱり自分が廻らないとね。

そんな中、今日は地元の篠崎公園に行ったのね。駐車場には6台・・・割と広い中にポツンって感じ。どうなるのかな?と思いきや、奥に進むにつれて結構いるのね・・・そんな中、あれ?これって篠崎の人?って声を掛けられたのね。

どうやら実家の看板を見てくれたらしいのね。良いのね、地味ぃぃにこんな事を狙っているのだから。きっとこの人は次に実家の前を通る時、意識して見てくれるだろうし・・・もしかしたら、一緒にいた人に説明してくれるかも知れない。

何しろ知られないと何も始まらないからね。とてもこんなの営業なんて言えないけれど、ただ黙々とアトリエでやっているのはもう良いかな・・・そろそろ露出して行かないとね。そうそう、良く紙芝居屋さんと間違われるんだけれど、今日ね、

篠崎公園で本物の紙芝居屋さんに遭遇したのね。生紙芝居屋さんって最後に見たのいつだろうか?・・・あっ、それと500枚のチラシが無くなったのね。手渡しで500枚・・・結構頑張ったのね。ただ既に追加で注文しているのね。

さて次はどんな風にしようかな・・・。


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