katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高洲サークルとバイク屋さんの看板

2020-01-23 07:04:48 | 出張教室
今日は高洲のサークルの日だったんだけれど、色々あって朝、アトリエに積み込みに行く事になって、遅刻が嫌なんで早めに動いていたら、結構早めに到着しちゃったのね。ん・・どうしようかな?って事で、katsu散歩の趣旨として知って貰う・・・って意味も込めて、ここでも連れて歩く事にしたのね。

とは言っても、今日は館内に人が少なく、余り見ては貰えなかったが、それでも数人には話し掛けられたリ、名刺もお渡し出来たりしたのね。勿論、サークルの人達も見るなりビックリしていて、最後に来たナオミぃぃも入り口に置いてあったので、迷うこと無く入って来られたのね。さてそれではそのナオミぃぃから。いよいよな感じで、

もうすぐゴールなんだけれど、そのゴールが意外と遠い気持ちになるものなのね。その原因は、まずここまでどんな道のりだったか?ナオミぃぃはここだけのモザイクの人なのね。だからこの作品は何年も掛かっているのね。果てしない時間が過ぎたと思うのね。それを踏まえて、ではグレード。どう思うかな?俺は見事だと思うのね。

ここまではね。じゃその残りわずかな部分を大きな失敗をしなければ、お見事な作品になる・・・って事でしょ?じゃそうして。・・・それこそがプレッシャーなのね。つまり自分の中でも気に入っていればいる程、失敗したく無いって思うのね。折角ここまで上手に出来たのだから・・・ってね。じゃ慎重に今まで通りやれば良いじゃんって話。

そう簡単に思う人はそうすれば良いだけなのね。所がそう言う人はね・・・であって、そうじゃ無い人だったら?簡単な話で、人はみんな同じじゃ無かったりする。だからインチキなアドバイスに迷うのね。もし、後少しじゃんって軽く言う人に言われたとする。その人が上手い人なら、その人は上手いから簡単に言えるみたいな事になる。

こんな場合、慎重だったり、比喩として石橋を叩いて渡ろうとしたら、大ハンマーで叩き壊しちゃって渡れなくなる位の人だったら?ほら進まない。でも、もしそうだよねー、チャッチャかやっちゃおうって思える人なら、言われた事で安心して鵜呑みにして、倍以上の早さで終わる事が出来るだろうね。それこそが深層心理の話。

つまりアドバイスって言うのは、その人にあったアドバイスがあって、もっと言えば深層心理の話なら、きっかけ作りこそが先生の役割になるのね。しかもその人が調子を崩していたら、いつもとは違うし、調子が良くても違うもので、その人の普通を知らなきゃ迂闊に口出しなんて出来るものじゃ無いのね。勿論大作の場合にはね。

だって作品に掛けた重みが違うもの。そんな事を踏まえて、話を戻すと、上手い人のアドバイス・・・じゃそれに該当する人をキウイにすると、果たしてキウイがこんな事を知らないでアドバイスをするか?となった時、知らないはずは無いのね。だからナオミぃぃに、それを含めて叱咤激励で、アドバイスをしてくれるのね。

それはここの会長でもあるし、大作もやっているし、経験も豊富で教える事も手伝って貰っているから。ではタピオカは?ここも経験は豊富だし、教える事もパンの先生だった人だし、ナオミぃぃのお友達だから、気心も知っている。当然そのアドバイスはキウイに無いものも持っていたりするから、これもまた大事なアドバイス。

ではお母さん。当然大作も持っているし、経験も豊富だし、アトリエにも来ている位だから、中々の腕前。しかも一番年上の方だから、私もやっているのよ・・・の一言は言い訳無用みたいな重みもあり、これもまた2人とは別目線のアドバイスにもなる。ではのりちゃんは?となると、実は経験値はあるものの、教える側の手伝いを

した事が無いのね。これが若干3人とは違うのね。ただ経験値は十分。つまり教えるなんて・・・って言う言葉こそ控えめなんだけれど、目線が同等な分、他の3人とは違って同級生チックなアドバイスになったりするのね。これもまた、そうよねぇ・・・って共有出来るような気持ちになる安心感に繋がる良い存在だったりするのね。

こうして説明すると、誰も適当に良いじゃん・・・って軽く言う人はいないのね。つまりちゃんとみんなその人の気持ちになったアドバイスが出来る人達なのね。いい加減な相槌をしないのね。それは批評は容赦なく・・・って教えて来たから。それを遠慮が美徳だけだと、その人の為にもならないし、そうすると自分の批評も甘くなり、

厳しい意見無くほんわかだけが残る。つまり上手くはならない。そんな環境でここまで来た・・・ノープレッシャーなはずが無いのね。それに加えて、ここからはナオミぃぃの趣味趣向の問題なのね。それは比較的薄味が好きな事。これが着地を遅らせる原因なのね。理想を言えば後は紺の2色を多く使えば下が重くなるのね。

けれどその紺を出来れば多くは使いたくない・・・けれど、使う事をアドバイスを受けた・・・入れれば良い事は判っている・・・けれど、あんまり好きじゃないし、その丁度良い量はどの位?ぎりぎりなら入れるから、ぎりぎりって何処に何個?・・・ってそれってサンプル欲しいって意味じゃん。って話なのね。

そこで今日は席も近かったし、違うアドバイスで、今までやった所を全体を離れて見てご覧。その時に葉っぱのタイルの濃い部分を見ながら、最後に使おうとしている紺をイメージして見て・・・薄い紺が良いのか?濃い紺の方が良いのか?何処に濃い紺があるとしっくり来るのか?そうすると、そこだけを見ていた時とは違うように

見えるはずだから・・・と。ただ流石に次回は張り終わるとは思うのだけれど。それではのりちゃん。

去年のオーナメントを張り終わってからの

もう特にこの程度の作品なら楽しく、しかもこのグレード・・・一番丁度良く楽しい作品作りな感じがするのね。そしてキョンキョン。

同じオーナメントでも、まだ1cmタイルを切る事に余裕が無いから、かなり必死に頑張っていたんだけれど、もう既にタイルの色は選んであるし、後は切るだけ。練習の下地としては丁度良い感じだと思うんだけれど、何しろ周りが上手過ぎるから、出来た事だけ楽しんでくれると良いんだけれど、それでも1cmタイル・・・。硬いから

均等に切ろうとか、揃えようって気になればなるほど、厳しくなるのね・・・細かいし。だから、余計なアドバイスはしないように、外側に切り口は向けないでとか、はみ出さないでね・・・タイルと木を指で確認しながら・・・みたいな事以外は、自力で張り終わったのね。こう言う小物作品は時間内に終わらせるって難しさがあるのね。

お母さんに

キウイ。この2人はアトリエに来るし、この作品には特に言う事は無いかな・・・それじゃタピオカ。

そうね、例えば髪の毛の線の部分を1cmタイルで、間をガラスタイルで・・・って進めているんだけれど、当然、間に入れるって難しいのね。だから余りに細い部分は太くならないように気を付けて、タイルとタイルの間を入れるじゃなくて、タイル、ガラス、タイルって順番に張った方が良いかも・・・ってアドバイスになるんだけれど、

ただそうなると良さとしては、タイルとガラスが混ざって見えて、一体化するんだけれど、一体化するって事は、眼が惑わされるって事なのね。つまり段々何してるのか?判らなくなっちゃったりするのね・・・良い事と悪い事は背中合わせ。そこで先端だけ入れるようにすれば、太くなれば間も入れやすくなるのだから。ただね、これ

も性格の問題なんだけれど、きちんと・・・って人であれば、ここまでやったらここも入れたいな・・・とか、ここを入れたならここもって整理整頓的にやっちゃうと、混じり合ってしまって、、戸惑っちゃったりしているし、もう1つ上のテクニックとしては、1cmタイルって横から見ると、かまぼこのような、真ん中が膨らんでいるのね。

これを3分の1のように切ると、両端と真ん中の雰囲気は変わるのね。両サイドは綺麗なままと切り口。真ん中は両方切り口ってね。その時にどんなに上手く切れたとしても、両サイドとは同じにならないのね。その時に折角って言葉を使うのね・・折角切れないのだから。ってね。ただタピオカクラスの切れないって言うのは、かなり

精度は良いけれど、見比べると違う・・・そんな感じ。でも性格上から言えば、やや違うって判断をするだろうから、そうね音楽で言えば、AとA`くらいの差がある。これを大して違わないじゃん・・・の人には関係無い話なんだけれど、タピオカには大きく変わって見えるはず。そこで折角違うのだからって使い方としてね、その精度で

違う事を利用して、この子の髪質を考えると、サラッとしている毛と跳ねてツンツンした感じの場所の違いが見えないかな?って話なのね。つまりサラッとしている中心部には、サラッと見える両サイドに切り口の無い部分を使う事で、整っている分、綺麗にサラッとして見える髪質になる。ただ注意して欲しいのは、それだけを選び

更に、右に合わせて・・・とか軍隊の整列みたいにしちゃうと、それは機械化しているようにも見える訳で。そこでわざとルーズな斜めに走った髪質の部分を交差させる時に、真ん中の切り口が両方を使うと、転校生がやって来た・・・って違和感を生むのね。つまり田舎の学校が田舎であればあるほど、帰国子女が目立つ・・・。

そんな感じになる。それが手櫛のカールみたいな場所で、更にツンツンの跳ねた場所には、集中的に真ん中だけを使えば、サラサラとツンツンの使い分けが出来たりすると思うのね。まぁ面倒臭い話でしょ?けれど、クリエーターはきっとみんなこんな考え方しているのね。例えば歌で比喩するのなら、切ない歌詞だったとする。

王道を行くのなら切ないのだから、バラード?・・・こりゃ普通でしょ。こんな事が予定調和。一般的にはベタだな・・・なんて表現をしたりもする。これを崩すとなると、崩す為により王道チックを前持って降って置きたいから、最初はバラードで、途中にガラッと転調?それともスピードアップ?みたいに裏を掻く事になる。他には、

レベッカのフレンズのように、切ない歌詞をロックでガンガン責めると、走り抜けた月日が伝わるし、元に戻れない時間の早さにも思えたりもする。まさに逆も真なりで、切なさをゆっくりでは無く、早さで表現をするなんて事もあったりする。こだわるって言うのはそう言う事で、ただ出来たでは満足出来なかったりするのね。

作り手の貪欲さってのは計り知れない。勿論、プロじゃないし・・・って言う人もいる。ただナオミぃぃの話の中に、海外でモザイクを見た・・・って話が出て、どんなだった?と聞くと、大きくて迫力があった・・・って言うのね。そっか大きかったかぁ・・・迫力があったのかぁ・・・。つまり2つワードがあったけれど、大きければ迫力も出る。

別にキムタクや福山君じゃなくても、映画のスクリーンに俺のアップ迫力は一緒なのね。所が質が違う。そう質がね。もう気が付いた人はいるはず。その表現に質の良さは伝わって来ない。何故なら凄かった・・・が無いから。勿論、語りべじゃないから表現力が今一歩だったと言うのなら、それも良かろう。けれどもし、本当に凄さを

感じなかったとしたら?それが例え世界遺産だろうが、へっぽこなのである。しかも言い訳無用でプロとしてお金を取ったものが、しかもモザイクを習っている人に評価をされない・・・もはや無様と言えよう。そして問題はみんなが作っているものが小さい作品である事。それでは迫力は中々求められない。ならどうする?

どうしたら上手く見える?もしかしたらそれが繊細さなのかもね・・・それについては俺の評価が上がった時に、そうだったんだね・・・になるはずで、今は夢の途中なんで控えて置きます。けれど、俺の生徒であって時間を掛けた作品をこうして終えようとしているのであるのなら、小さくてもきちんとした評価が貰える報われる作品

に連れて行きたいな・・・と思ったりする。ナオミぃぃの作品にもそんな匂いがした。そんなこんな後はコーナン。

彫り終わった・・・恐らく昨日と合わせて4時間位かな?・・・・

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