はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆7月度

2015-08-25 21:01:58 | 受賞作品
 はがき随筆の7月度月間賞は次の皆さんです。

 【優秀賞】25日「母の日記帖」一木法明(79)=志布志市志布志町
 【佳作】10日「祝辞」道田道範(65)=出水市緑町
 【佳作】29日「ブロック塀」高橋宏明(71)=日置市伊集院町

「母の日記帖」 「徒然草」のなかに、ひとり反古紙などを整理していると、昔の人の手紙が見つかり、読んでいると、その人とまるで向き合っているような気分になるものだという一節があります。ここでは亡き母の日記帖を読んでみたばかりに、かえって処分できなくなったという、母と子との間の、親密でもあり微妙でもある心理が卓見に描かれています。
 「祝辞」 全編結婚式の祝辞からなっています。それが、人生を誠実に生きようといている青年と、それを見守る医師のあたたかさとを表し、感動的です。親孝行の青年の面影も彷彿としますが、祝辞の形でいっぺんを構成した技法にも感心しました。読んであたたかく優しい気持ちにしてくれる一遍です。
 「ブロック塀」 二十数年前、ブロック塀の工事を頼んだら、小4の女の子と小2の男の子がブロックを運んで、父親の仕事を手伝っていた。その塀は今でも丈夫だという内容です。子どものときから、労働の意味を身につけていく親子の関係に、考えさせられるものがあったようですが、どうしても現在の子どもたちと比べてみたくなります。
 この他3編を紹介します。
 宮路量温さんの「紙風船」は、捜し物をしていたら紙風船が見つかった。子どものとき弟と遊び、最後には両手で破裂させ、母親にもったいないと叱られた。今同じ事をやってみた、しかし母はもういない。追憶がある情緒を醸し出しています。
 門倉キヨ子さんの「うれしい雨」は、梅雨時になると、網戸を外に出し、雨に洗ってもらう。この年中行事が鬱陶しい梅雨時のむしろたのしみである。生活の知恵ですね。
 竹之内美知子さんの「砂に埋もれて」は、元気なつもりで、指宿の砂蒸し温泉に行ったら、砂は重いし熱いし、脱出(?)したが、足はふらつくし鼓動は乱れるし、とんだ年寄りの冷や水でした。
 李恵隣さんの「私は留学生」は、この欄を担当して初めての外国人の投稿です。頑張って下さい。
  (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦)


バス停の名称

2015-08-25 21:01:18 | はがき随筆
 生き方は「てげてげ」であるが、山歩きと好奇心は誰にも負けない自負心を持っている。
 今回「関吉の疎水溝」が世界遺産の一つとして登録され、うれしい限りである。昨年来、物好きの一人として関吉まで足を運ぶこと数回、その水路をたどることもした。しかし県道16号線より先が未知の世界であった。雀ケ宮より磯までの狭い道も歩いた。地元の人に聞くこと10名余り。とうとう水路か磯に下る地点を探し出した。150年前の出来事であるが、ちゃんと現在まで残されていた。それはバス停「落し」ではないだろうか。
  鹿児島市 下内幸一 2015/8/21 毎日新聞鹿児島版掲載



夏の思い出

2015-08-25 20:59:47 | はがき随筆
 夏といえば「ミッジャビイ」。古里を流れる川のふちが水遊び場だった。フリチンか赤ヘコで川にドブン! 下級生には上級生が手をとり教えた。母ちゃんが「午後から川に行くとワロドンが足を引っ張っど」と言ったので「ワロドンを見たい」と言い返すと「ギヲユナ」とゴツン! あ~痛かったな~。 
 四季折々自然と触れ合い、風習も守り伝え続けてきたが、今はこどもたちの川遊びもプールが奪ってしまい、自然も破壊され、冒険心をも摘んでしまった。親にガラレても、じっとしていられなかった。あの頃の風情ある夏が懐かしい。
  さつま町 小向井一成 2015/8/20 毎日新聞鹿児島版掲載

指輪

2015-08-19 15:29:17 | はがき随筆
 振り返ると、あっという間の41年間。最近、指輪が窮屈になり、やむを得ず外す羽目となった。だが、なんとなく落ち着かない。そんな折、96歳の義母から思いがけず指輪を譲り受けた。主人も賛成してくれた。念のため、義母に「これ、頂いても構わない?」と尋ねると、満面の笑みを返してくれた。幸いにもサイズはぴったり。あつらえたかのよう。とてもうれしかった。決して良い日ばかりではなかったが、心が通い合った瞬間だった。いつか、我が家の嫁さんにも受け継いでほしいと、ひとりひそかに思いをはせ、心を弾ませた。ありがとう。
  鹿屋市 中鶴裕子 2015/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載

お出掛け

2015-08-18 15:36:13 | はがき随筆
 久しぶりに娘と出掛けた日、普段あまり構わない私なのに、ちょっとおしゃれをして行くことにした。
 白いパンツは夏らしく活動的で背筋まで伸びた感じ。アクセサリーをつけまくり、変身した姿に思わずフフッ。おしやれに元気をもらった。日々の生活では運動量も少なく、スパイスを加えて外出することは健康的だと思う。
 やがて娘が迎えにきた。「あら、ステキよ。イヤリングが反対だけど」
 笑いを乗せて車は走り出す。街中では腕を組み支えてくれる娘に、今日もありがとう。
  鹿児島市 竹之内美知子 2015/8/18 毎日新聞鹿児島版掲載

金魚

2015-08-18 15:35:10 | はがき随筆
 その儚さは承知の上なのだが、私は金魚すくいの店を素通りできない。子どもにせがまれるのはもちろんだが、実際は自分が欲しいのだ。
 残念ながら、私はうまく金魚を育てられない。水槽を工夫したり、えさを変えたりしても、気がつけば金魚は白い腹をさらして浮かんでいる。あるいはその儚さこそが金魚の真骨頂なのかもしれない。ひらひらと舞う美しいひれや輝く鱗は下天のものではないのかもしれない。
 今年もまた、六月灯で猩々を求めた。鉢底で身を翻す琉金は、夏のひとときを楽しんでいる。
  鹿児島市 堀之内泉 2015/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載



祖父の手紙

2015-08-18 15:34:02 | はがき随筆
 母方の祖父の手紙が2通見つかった。毛筆で巻紙に2㍍近く書かれている。東京で書生をしていた明治の末に、鹿児島の母親と妹へ宛てた手紙である。
 文面には切々と母親への思いと望郷の念がつづられ「もし世の中で何がうれしいかと問う人がいたら、故郷からの手紙と為替を手にした時と答えん」と。父親を早く亡くし、母親は学資の工面に苦労したようだ。
 卒業後、新聞記者になり、東京に長く住んでいた。戦後、生家に戻ってきたので、小学生の私が会いに行くと、とても喜んでくれた。若き日の祖父を知り、一層祖父が好きになった。
  鹿児島市 田中健一郎 2015/8/15 毎日新聞鹿児島版掲載



平和だからこそ

2015-08-18 15:31:03 | はがき随筆
 海外旅行が身近になり、パスポートひとつで大概の国を訪問できる。正式には国交がないはずの台湾への入国もスムーズだ。これが実は、日本人ではればこそのことだと最近知った。中国籍のパスパートを持つ人は、外国旅行しようとすると渡航手続きの書類を何枚も提出し、保証人も必要だと聞いた。
 我々が好きなときに欧州やアジアに遊びに行けるのは、戦後70年間平和を守り、他国の人を傷つけないと認識されているからに違いない。世界で信頼される日本人であり続けたい。国民を危険にさらすような法案はごめんだ。
  鹿児島市 種子田真理 2015/8/14 毎日新聞鹿児島版掲載



不謹慎でしたが

2015-08-18 15:26:21 | はがき随筆
 近所に住んでいた方が、世にいう孤独死をなさった。81歳。ご主人を47歳で亡くし、1人暮らしを続けられた。子どもさんは京都に1人、近くに1人と、家庭を持っていらっしゃる。
 斎場に行かれる前に、家に伺った。「長生きのほうですよね。子どもさんにおむつ一枚換えてもらうこともなく、子孝行なさいました」と。遺された家族はなんどもうなずかれたり、涙を拭かれたり。場違いと思いながらも本音がでた私。まさしくGNP(元気で長生きピンころり)とかPPK(ピンピンコロリ)とかいわれる亡くなり方で、憧れる。新盆を前に謹んでご冥福を祈ります。
  いちき串木野市 奥吉志代子 2015/8/13 毎日新聞鹿児島版掲載



恩は返せず

2015-08-18 15:24:54 | はがき随筆
 私が中2の時、学校で父に国語と書道を習った。黒板の字を書く姿が目に浮かぶ。面はゆい我が子に困惑したのか「うっかりお父さんと呼ぶな」と小声。当然家でも厳しかった。ある夜、寝ている私に「書道の出品は」と質問。「書いたけどまだ」。すると「今から投函するよ」と寝間着姿で私を暗闇に連れ出し、勇み足で歩く。橋の上を「ゴトゴト」とげたの音が響き、やっと郵便局前に着いた。ポストの中へ「ポトン」。
 沈黙する親子に寒風が吹く。
 明治生まれの父は87歳で他界した。今こそ精いっぱいの恩を返したいが、時すでに遅し。
  肝付町 鳥取部京子 2015/8/12 毎日新聞鹿児島版掲載



ごめんね

2015-08-18 15:22:45 | はがき随筆
 宿題を抱えて孫姉弟が遊びに来た。弟のプリントを見ると、間違いばかり。姉に「弟のハルちゃんはばかだねえ」と茶化すと、姉も「ハルはばかだよ」相づちを打っていた。
 ところが、姉は弟の宿題を引き寄せると猛然と解き始めた。私はあわてて姉に「小3が小1の問題を解けるのは当たり前。ハルちゃんにやらせないと勉強にならないよ」と言うが、聞く耳を持たない。あらかた済ませると、姉は弟を呼んで「うすく答えを書いたから、なぞって書くといいよ」。弟は大喜び。
 ばあばに弟をばかと言われて傷ついたのね。ごめんね。
  出水市 清水昌子 2015/8/11 毎日新聞鹿児島版掲載



黒揚羽と鬼百合

2015-08-18 15:20:58 | はがき随筆
 長雨の合間。庭に数本咲いている鬼百合に、時々、黒揚羽が蜜を求めて飛んでくる。蝶は羽をばたつかせて蜜を探す。恥ずかしながら歌にしてみた。
  黒揚羽 鬼百合の蜜
  吸うごとく我は吸いたし
  真実の汁
 また、細長い鬼百合は黒揚羽がとまったとき、少し揺れる。
  揚羽蝶とまりし時に
  鬼百合は静に揺れて
  蜜あたえおり
 単純だし、どこか問題がありそうな気がする。歌の詩人と呼ばれるような人はこんなとき、どんな歌を詠むのだろう。
 私は歌人にもっと学びたい。
  出水市 小村忍 2015/8/10 毎日新聞鹿児島版掲載



クラブ

2015-08-18 15:18:44 | ペン&ぺん


 県内の社会人野球クラブチーム「鹿児島ドリームウェーブ」が、7月に宮崎市であった九州クラブ野球選手権大会で沖縄のチームを破って優勝し、9月4日に埼玉・西武ドームで開幕する全日本選手権への出場を決めた。全日本選手権出場は3年ぶり2度目。クラブチーム日本一を目標に掲げるドリームウェーブが今回、どこまで成績を伸ばせるか、開幕を楽しみに待ちたいと思う。
 チームは、〝欽ちゃん球団〟として話題になった茨城ゴールデンゴールズとの鹿児島市での試合に合わせて、2005年に鹿児島ホワイトウェーブの名前で発足した。チームによると、国鉄鹿児島鉄道管理局野球部(鹿鉄)が1987年になくなって以降、県内では社会人の硬式野球部がなかったという。欽ちゃん球団との試合は5―1で見事に勝ったが、試合後も野球を続けたいと願う関係者が集まって再スタート。12年には現在のチーム名に変更した。
 社会人野球は大きく企業チームとクラブチームに分かれている。日本野球連盟傘下のチーム総数は昭和20年代には200を超えた企業チームは今年4月時点で86まで減り、逆にクラブチームは268に増えている。
 企業チームが恵まれているとは決して言えないと思うが、クラブチームの場合、選手の雇用協力を仰ぐところから始まり、選手は選手で社業と野球の両立に向けて懸命だ。それでも野球を続けたいという情熱がないとできないことだと思う。
 鹿児島のチームとして地元で親しまれるためには「まず試合で勝つこと」とチーム関係者は言う。プロ以外でスポーツに関わって生きていくにはどうすればいいのか。ドリームウェーブの挑戦は鹿児島のスポーツ文化に試金石の一つといっては大げさだろうか。そんな意味でも全日本選手権での活躍を祈りたい。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載


2015-08-18 15:15:54 | はがき随筆
 この6月、はがき随筆が掲載されて3年目に入る。投稿者の方々の名文、美文に圧倒されてペンを置こうと思うこと度々。だが「石の上にも三年」。冷たい石も3年も座ると温かくなるとの例え通り、周りの人の温かさに触れ続いている。
 特に義妹は、毎回メールで批評してくれる。ピアノを高度に奏でる嗜みがあるせいか「♯」な半音高い評価をしてくれる。義妹が書けば五線譜の音符のようにリズムある随筆が望めると思い、投稿を勧めるが「読む方がいい」。何時の日か書いてくれることを願い、私はタクトを振り続ける。
  出水市 宮路量温 2015/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載


精霊トンボ

2015-08-15 06:23:28 | 岩国エッセイサロンより


2015年8月11日 (火)

岩国市  会 員   角 智之  

 夏から秋にかけて太陽が西に傾く頃、道路や河原の上に群がって飛ぶ様は、風情がある。図鑑には「薄羽黄トンボ」で載っているが、知っている人はほとんどいない。実家のすぐ裏の石垣に茅が生えていて、夕方にはこれがねぐらとなり、池に突き出た細い葉にたくさんぶら下がる様子が面白く、寝ころんで暗くなるまで眺めていた。盆には、このトンボが大切な人の御霊を乗せて家々を回るという。昆虫などは、正式名よりも通称の方がよく知られていることも多い。このトンボは、なじみ深いあかトンボと同様に広く知られて精霊トンボいるお盆の使者、精霊トンボ。   
  (2015.08.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロン より転載