2015年8月13日 (木)
岩国市 会 員 山本 一
今年もお盆を迎えた。実家は島根県吉賀町で、墓も当地にある。
いつもは妻と2人で墓参りをするが、今年は4歳の孫も一緒だ。暑い日が続き熱中症対策など、あれこれ考えなければならない。
実家は一昨年、売却した。兄弟4人とも遠方に住み、近所に迷惑を掛けられないと、管理の負担が気になっていた。幸いにも買ってくれる人が現れ、大変に幸運だったと思う。
しかし、たとえ廃屋になっても実家があるのとないのとでは随分と勝手が違う。実家がなくなって何より寂しいことは、古里に帰っても身を寄せる所がないことだ。廃屋でも、実家があると心が落ち着く。
何だか古里が遠くなったというか、自分から離れた感じがする。
古里で出会う人たちとの距離も、実家がない後ろめたさのようなものがあり、自然に自分の方から遠ざけているような気がする。
墓の前に立つと、父母の悲しむ姿が見えるような気がして、心が騒いだ。
(2015.08.13 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載
岩国市 会 員 山本 一
今年もお盆を迎えた。実家は島根県吉賀町で、墓も当地にある。
いつもは妻と2人で墓参りをするが、今年は4歳の孫も一緒だ。暑い日が続き熱中症対策など、あれこれ考えなければならない。
実家は一昨年、売却した。兄弟4人とも遠方に住み、近所に迷惑を掛けられないと、管理の負担が気になっていた。幸いにも買ってくれる人が現れ、大変に幸運だったと思う。
しかし、たとえ廃屋になっても実家があるのとないのとでは随分と勝手が違う。実家がなくなって何より寂しいことは、古里に帰っても身を寄せる所がないことだ。廃屋でも、実家があると心が落ち着く。
何だか古里が遠くなったというか、自分から離れた感じがする。
古里で出会う人たちとの距離も、実家がない後ろめたさのようなものがあり、自然に自分の方から遠ざけているような気がする。
墓の前に立つと、父母の悲しむ姿が見えるような気がして、心が騒いだ。
(2015.08.13 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載